第12話:春野日向は嬉しくない

 俺が春野を慰めるつもりで、苦手なものが一つくらいあってもいいじゃないかと言うと、春野は頬を膨らませて、ちょっとムスッとした口調で言い返してきた。


「別に苦手って決まったわけじゃないし」


 ──そうだな。

 苦手って決めつけて悪かった。


「ああ、そうだな。スーパーアイドル春野のことだ。きっとすぐに上手くなるさ。今日は初めてなんだから仕方ない」

「あの……秋月君?」

「うん?」

「そのスーパーアイドルっての、やめてくれるかな?」


 春野は少し眉尻を下げて、困ったような顔というか、懇願するような感じの表情を浮かべている。


「だってみんな、そう呼んでるぞ」

「そう呼ぶのは勝手だけど、私はそんな呼ばれ方、嬉しくない」

「ふーん、そうなのか? でも春野は本物のアイドルを目指してるんだよな。スカウトされたんだろ?」

「スカウトはされたけど……ホントにアイドルを目指すかどうかはわかんない」

「そうなのか?」

「うん」


 春野は真顔でこくんとうなずく。


 ──そうなんだ。


 確かに学校でも、春野はみんなに何度も、まだ決まった話じゃないからと言い続けていた。

 あの時は単なる照れ隠しかと思ったけれど、今の態度を見ると、本当にまだアイドルになるって決めているわけではないらしい。


「まあ、わかったよ。春野が嬉しくないなら、俺はそんな呼び方はやめとく」

「あ……うん」


 春野は少しホッとしたように、淡い笑顔を浮かべた。いつものような他所よそ行きではなく、思わず心の中から漏れたような自然な笑顔。


「まあ俺なんて、料理以外には取り柄なんか何もないしなぁ。色んなことを高いレベルでやれる春野って、ホントに凄いと思う。でも料理なんてそんな肩肘張らなくていいからさ。後で美味しい物を食べられるのを楽しみにして、続きをやろうぜ」

「あ……う、うん、そうだね。美味しい物を食べるのは、私も大得意だから」

「だろー? あはは」

「だね。あはは」


 春野の顔にいつものような笑顔が戻った。いや、いつものというか、もっと自然な屈託のない笑顔だ。

 こんな自然な笑顔をされたら、やっぱりめちゃくちゃ可愛いな。


 そんな笑顔の春野が調理台の方に戻っていく。俺はなんだかホッとした。



 ウチの料理教室に来て料理を嫌いになられたら、悲しくて仕方がない。そういう意味でも、春野が前向きになってくれて良かった。


 そんなやり取りがあって以降は、春野も肩の力が抜けたのか、下手くそながらも割と楽しそうに調理実習に取り組んでいた。





「さあ、これで完成です。みんなで試食しましょうー!」


 ようやく完成した料理を前に、母がみんなに声をかけた。


 生徒さん三人と母と俺。

 五人で調理台を囲んで、椅子に座る。

 目の前には、今しがたみんなで調理をし終えた本日のメニュー、『豚のしょうが焼き』が並んでいる。


 俺は春野の隣の椅子に腰掛けた。


「いっただきまーす!」


 春野は律儀に手を合わせて、ゆっくりと頭を下げた。その仕草は丁寧で、春野の真面目さを表しているように思える。


 やはり彼女は、単なるプライドが高い系の女子ではない。母も感心したように目を細めて、春野の姿を見つめている。俺も改めて、彼女の性格の良さを実感した。



 春野は味噌汁のお碗を手にして、ズズっとひと口含んだ。


「うーん、美味しい! さすが私っ!」


 何を言ってるんだか。

 さっきまでの自信のなさは、いったいどこへ行ってしまったんだ?


 それにしても春野は、両目をきゅっと閉じて、本当に美味しそうな顔をするなぁ。整った顔でそんな顔をするものだから、やけに可愛さが強調される。

 うーむ。学校で春野のファンが多いことに、深く納得だ。


 まあだからと言って、いきなり『好き』とか、恋愛感情になるかと言えば、やはりそれは別なのであるが。


「ああ、これも美味しい!」


 豚の生姜焼きを箸でさっとひとつまみして、ぱくりと口に放り込むと、はむはむと味わうように噛みしめる。

 そしてまたきゅっと目を閉じて、この上なく幸せそうな笑顔になる。


 春野はさっき、美味しい物を食べるのは大得意と言ってたけど、確かにめちゃくちゃ美味しそうに食べるもんだ。


 俺が料理好きなのは、食べてくれる人の笑顔が嬉しいからだ。だから春野みたいな顔で食べてくれる人は、とても好ましい。


 俺がテーブルに頬杖をついて、そんな思いで春野の食べっぷりを眺めていたら、ふと彼女がこちらに視線を向けた。


 俺がじいーっと春野を眺めていたことに彼女は気づいて、ハッと我に返ったように笑顔を作る。


「な、なにを見てるの、秋月君?」

「いやぁ、春野って、ほんっとに美味しそうに食べるなぁって」

「そ、そうかな? だって美味しいもん」

「だろ? 自分で苦労して作った料理は、ホントに美味いだろ?」

「あ……そ、そうだね」


 春野はちょっと気恥ずかしそうな苦笑いになった。


 料理が苦手で、途中で帰るって言い出した自分が作った料理。

 それを美味しいと言って食べている自分に気づいて、春野は少し恥ずかしく思ったみたいだ。


「俺もいただくとするかな」

「あ、うん」


 味噌汁のお椀を手に持って、箸で具材の大根を挟んで持ち上げる。春野が指を傷つけながら切った大根だ。


 その大根を眺めていたら、横で春野は緊張した面持ちになった。


 そして俺が「うん、綺麗に切れてる」と声に出した途端、春野は相好を崩してにんまりとした。

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