第63話:秋月祐也は想う

 先週日向と一緒にK市に行った後、学校ではもちろん日向と話をする機会はなかった。そして迎えた次の土曜日。

 日向が料理教室を休むことを母から聞いた瞬間、目の前が暗くなるように感じた。


「残念ねぇ~」

「あ、いや。別に残念とかそんなんじゃ……」

「なに言ってんの。顔に残念って書いてあるわよ」

「はぁっ?」


 そんなもの、顔に書いてあるはずはない。それはわかってるんだけれど、ついつい確かめるかのように手で顔を触ってしまった。

 さっき日向が休むと聞いて、確かに一瞬目の前が暗くなるように思えた。


 俺は……そんなに日向に会えないことが残念なのか?

 いやいや、そんなことはないって。


 いや……それは嘘だ。

 素直に自分の気持ちに目を向けてみたら、自分自身でも意外なくらい、確かに残念な気持ちがある。


「日向ちゃん。風邪ひいて熱があるんだって。さっき電話があった」

「そうなんだ。昨日学校では、普通に元気だったけどなぁ」

「うん。今朝起きたら喉が痛くて、徐々に熱が上がったんだって」

「そっか……」


 ──日向は大丈夫なのだろうか。


「あ、日向ちゃん、そんなに酷い訳じゃないけど、料理教室だから他の人に風邪をうつしちゃダメなので大事を取るんだって。祐也君にも心配しないでって、お伝えくださいって」

「……あ、そうなの?」


 ホッとして、つい気の抜けた声を出してしまった。

 重い風邪じゃなくてホントに良かった。


「そうよ。だから、この世の終わりみたいに心配な顔をしなくていいから」

「ばっ……バカ言わないでくれ。この世の終わりみたいな顔なんてしてない」

「そっかなぁ……ふふふ。まあいいけど」


 さすがにこの世の終わりみたいな顔はしてなかったと思う。それは母のオーバートークだ。だけど病状は大したことがないと聞いて安心した反面、今日は日向の顔を見れない寂しさがじわりと心に広がる。


 ──あ、いや。別に寂しくなんかないぞ。


 自分に無理やりそう言い聞かせて、料理講師の仕事を全うすることにした。





「ありがとうございましたー」


 生徒さん達が挨拶をして全員帰った後、母が俺の方に寄ってきた。


「祐也。あんた、今日はボーッとしてることが多かったよ」

「えっ……そ、そうかな?」

「そうよ。日向ちゃんが来なくて寂しいのはわかるけど、しっかりしてよ」

「いや、日向は関係ないよ。ちょっと期末テストのことが気になって……」

「ああ、はいはい。わかったから、とにかくバイト中はしっかりしてよ」

「ああ、わかった……」


 そう言い残して、俺は早々に自分の部屋に戻った。これ以上母と一緒にいると、自分でも気づかない自分の気持ちを、どんどん見透かされていくようで怖い。


 部屋に入ってすぐ、勉強机に向かってドカッと座った。

 確かに今日はボーッとしていたことが多かった。それは自覚がある。日向の顔が何度も頭に浮かんだのも確かだ。


 俺は……いったいどうしてしまったのか。


 ふと机の上の国語辞典が目に入った。それを手にして、パラパラとページをめくる。


 【恋】『人を好きになって、会いたい、いつまでもそばにいたいと思う、満たされない気持ち』


 まさか。俺は……日向に恋をしているのか?


 ──いやいや、それはないよな。

 別に日向に会いたいとか、そばにいたいとか思ってるわけじゃない。

 うん、思ってないぞ。思ってないんだからな。


 ──いや……違う。それは嘘だ。


 ああっ、くそっ。やっぱり自分で自分を誤魔化すことはできない。俺は……もう自分を誤魔化せないところまで来てしまっている。

 今俺は、明らかに日向に会いたいと思っている。顔を見たい、話をしたいと思っている。


 K市での楽しい時間を日向と一緒に過ごして、あれからゆっくり話ができていないことに満たされない気持ちを持っている。


 だけど──これは恋なんかじゃない。

 俺は日向に、恋なんかしていない。

 いや、もっと正確に言うと……俺は日向に恋なんかしてはいけないんだ。


 いくら鈍感な俺でも、日向が俺に好意を持ってくれていることはわかっている。

 けれどもそれが友達としての好意なのか、それとも異性としての好意なのかは自信がない。


 ホントは俺だって、日向が俺を異性として好きになってくれたら嬉しい。だけど日向は超モテモテのスーパー美少女で、俺は人付き合いが苦手で今までモテたことがない男。

 だから日向が俺を、異性として好きになるなんて望み薄だろ。


 日向が友達として持ってくれている好意を異性としての好きだと勘違いをして、俺が日向を好きになってしまったら……後で自分が辛い想いをするだけだ。

 だから俺は、日向を好きになることを今までずっと、あえて自制してきた。


 ──いや百歩譲って、もしも日向が俺を好きになってくれたとしても。

 高城千夏が言うように、アイドルを目指す可能性がある日向には、男の影があってはいけないんだ。つまり俺と付き合うことはできない。

 これだけはもう、自分の努力や熱意でどうにかなるものではない。


 ほら、答えが出た。

 もしも俺が日向に恋をしたとしても、それが上手くいく可能性はゼロなんだよ。


 せっかく日向とは仲のいい友達になれたんだ。だから日向とは今までどおり、週に一回だけここで同じ時間を過ごす、仲の良い同級生でいるべきなのだと、改めて心に決めた。


 とにかくさっき母に言ったように、あと2週間ほどしたら期末テストが始まる。

 中間テストの時のように、ギリギリになって試験勉強に追われることは避けたい。今回は余裕を持って試験勉強をしたい。


 そう思って俺は勉強机に向かって試験勉強をすることにした。



◆◇◆◇◆


 それから俺は心に決めたとおりに、今までどおりの日々を過ごした。

 学校では日向と関わりがないふりを続けて、うっかりと彼女を見つめないように気をつける。

 料理教室では講師と生徒という関係ではあるが、もちろん仲の良い同級生として自然なレベルで日向と接した。


 期末テスト前に講師バイトを休まなくて済むように、試験勉強は計画的に前倒しで進めた。


 そう、これでいい。こういう日常が続くだけでいいんだ。

 俺は──本気でそう思っていた。

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