第64話:春野日向は夏休みも来る
期末テストの期間が始まった。
雅彦は前回少しは成績を上げたので、亜麻ちゃんから怒られることはなかったらしい。それに気をよくして、今回も頑張ってテスト勉強に励んでいる。
そのおかげもあって雅彦は試験に手応えを感じているようだ。俺も前回同様手応えを感じているし、まあまあの成績は取れそうだ。
そしてテスト最終日を終えた。
「祐也は夏休みどうすんの? 何か予定はあるのか?」
そう。一学期の期末テストが終わって一週間もしたら夏休みが始まる。
ウチの高校は赤点を取ると夏休みにも補講に出ないといけないのだけど、まあそれは心配はないだろう。
「いや別に。だらだらして過ごすだけだな。雅彦は?」
「アマンと一緒にプールと夏祭りは行く約束してる」
プールと夏祭り。
──うわ、リア充の大定番だ。聞くんじゃなかった。
「それと、他にもどっか遊びに行こうってアマンと話してるんだよ」
「ふーん。お幸せなこって」
「そうだ祐也。お前も一緒にどうだ?」
「はぁっ? お前らラブラブカップルと一緒に俺が? 3人でお出かけ? 全力でお断りします!」
いくら夏休みに遊ぶ予定がないからって、そんな話に乗るわけがない。
「いや、そうじゃなくてさ。前に言ってたろ。アマンの友達を祐也に紹介したいって。その子に声かけて、4人で遊びに行こうや。ダブルデートって感じで」
雅彦はニヤリと笑う。
その話、まだ生きていたのか。だけどもそんな話はやっぱり気乗りがしない。
「いや、遠慮しとくよ」
「祐也もさ。春野さんに見とれる暇があったら、ちゃんと現実を見て彼女を見つけろよ」
「春野なんて興味ないって何度も言ってるだろ? 春野は関係ないよ!」
「あ、ごめん。そんなに怒るなよ」
「あ……いや、別に怒ってないけどさ。雅彦があまりにしつこいから……」
「わかったよ。もう言わないから。許せ祐也」
「あ、うん……」
雅彦は恐縮して苦笑いを浮かべている。でもこれで、もう日向のことを言ってくることはないだろう。
だけど今のは俺が悪かったな。別に本当に怒ったわけじゃないんだけど、つい強い言い方をしてしまった。それは雅彦に対して腹が立ったというよりも、図星を指されて少し焦ったというのが正直なところだ。
それと──
一瞬心の中に、他の女の子を好きになれば日向への想いが薄れるかもしれないという考えがふと浮かんだ。だけどそんなのは、その子に対して失礼なことだよなって、すぐに思い直した。
それに、日向という存在を自分の心の中から追い出そうとするような、そんなことを少しとは言え、思い浮かべた自分自身に対して憤りを感じたのだった。
「じゃあ帰るわ」
「おう、またな雅彦」
お互いに手を振って雅彦と別れた。ようやく試験が終わったし、雅彦は今日はこのまま亜麻ちゃんと遊びに行くと言っていた。
──雅彦よ。まあせいぜいリア充を満喫してくれ。
ところで、夏休みの予定か……日向はどうするんだろ。最近日向が料理教室に来た時にも、夏休みはどうするかなんて話はしなかった。明日はまた料理教室があるから、その時にそういった話が出るかもしれない。
もしかしたら……夏休みに一緒にどこかに遊びに行こうと、日向から誘われることはあるのかな……
──いやいや、期待するな。期待しちゃダメなんだよ。
日向とは今までどおり、週に一回だけ料理教室で同じ時間を過ごす仲の良い同級生でいるべきだと、ついこの前心に決めたばかりじゃないか。
それ以上のことは望むべきじゃない。
だから例え日向が日向が夏休みにどこかに行こうと誘ってきても、それを毅然と断わるくらいでいいんだよ。
──あれ?
こんなことをわざわざ考えるのって、日向が誘ってくれることを期待しているってことだよな? おいおい、しっかりしろよ俺。
日向が俺を誘ってくれることを期待して悶々と色々考えてるけど、そもそも長期休暇で日向が料理教室に来ないっていう可能性もあるんだ。
もしもそうなったら、めちゃくちゃ寂しいよな……
あ、いや。思わず本音が漏れてしまった。
そうじゃなくて、しばらく日向と合わない時間があった方が、俺が頭を冷やすいい機会になるじゃないか。うんそうだ。そんなふうに前向きに捉えよう。
俺はそう考えて……というか自分に言い聞かせて、翌日、つまり夏休み前最後の料理教室を迎えた。
◆◇◆◇◆
「あ、うん。夏休みの間は、来れたり来れなかったり、かな」
その日の料理教室が終わったあと、日向に夏休みは料理教室はどうするのかと尋ねたら、彼女はそう答えた。
「ああ、そうなんだ」
「うん。今までどおり毎週土曜日に、できるだけ来るようにするけど、お母さんと旅行に行く話もしてるから……来れない時には前もって言うね」
「そうだな。わかった」
「祐也君は、夏休みは何してるの?」
「特に決めてないけど……いつもより講師バイトを増やそうかって由美子先生とは話してる。小遣い稼ぎをしたいし」
「ふーん……そうなんだ……」
日向は少し何かを言いたげな素振りを見せたが、特に何も言うでもなく「じゃあ帰る。また来週ね」と言って帰って行った。
──やっぱり、一緒に遊びに行こうなんていう話は出なかった。
別になんの落胆もない。
……って言いたいとこだけど、正直に言うとやっぱり残念な気持ちがある。
あれほど期待をしちゃいけないって自分に言い聞かせていたのに……俺ってなんて心が弱いんだろう。
だからと言って、もちろん俺の方からそんなことを持ちかけることもしない。俺は日向と適度な距離を取って、日向への想いを冷ますべきなのだから。
しかし夏休みの間も日向はほぼ毎週ここに来るんだ。普通なら学校の同級生とは、夏休み中にはほとんど会わない。それが日向とは毎週のように顔を合わせる。
──だからそれでいいじゃないか。
誰に、なんのための同意を求めているのかわからないけれども、俺は心の中でそう呟いた。
それから一週間が経ち、試験の結果が発表された。日向は相変わらずの1位で、俺は二つ順位を上げて8位になっていた。
別に日向と競い合ってる訳じゃないけれど、少しでも日向に近づくことができて、なんだか嬉しい。
──そして学校は夏休みに突入した。
夏休みが始まって最初の土曜日。料理教室に来た日向は、俺が8位にアップしたことを、それこそ自分のことのように満面の笑みで喜んでくれた。
本当に日向っていいヤツだ。自分が1位を獲ったことよりも、いつも俺のことを一番に喜んでくれる。
それからの8月の上旬までは日向は毎週料理教室に来て、その『特別な日常』が予定通り繰り返されたのだけど……
お盆期間はお母さんと旅行に出かけるらしく、日向は料理教室を休んだ。そしてその次の週も、急に用事が入ったから来れないと前日に連絡があって、日向は来なかった。
──あると思っていたことが急になくなる。大げさに言えば喪失感。
それは一度期待を持ち上げてから落とすことで、落胆の度合いが高くなる。
もはや自分で自分を誤魔化しようがないほど、そんな寂しさや落胆が胸に広がっている。
日向がお母さんと旅行に行くことは事前に想定されていたからそうでもなかった。けれども、その翌週まで来ないということは予想していなかった。
考えてみれば……二週続けて日向の顔を見ないなんて、彼女が料理教室に来るようになってから、初めてのことだ。
今まで特に意識はしていなかったけど、俺は日向とほぼ毎週のようにここで顔を合わせていたんだよなぁ。
「まあ、そりゃ寂しい感じがするのも当たり前か」
ふとそんな独り言が口をついて出た。
でもまあこれから先もほぼ毎週顔を合わせるんだから、たまたま二週間会わなかったくらいいいじゃないか。
──そう思い直すことで、少しは気が楽になった。
そしてその予想通り、翌週の土曜日はいつも通り日向が料理教室に顔を見せた。
その日は8月も下旬で暑さのピークは過ぎたとはいえ、快晴で汗ばむような暑い日だった。
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