SS:春野日向は祐也を知る②
「おい
秋月君は自分の鞄から紙とペンとセロテープを取り出して、何かを書き始めた。
「落とした人がこれに気づかなかったら、かわいそうだろ」
そう言いながら、紙に「落とし物・コックタイです」と書いて、標識に結びつけたビニール袋の表にそれを貼り付けている。
「これで良し!」
秋月君は満足そうな笑顔を浮かべてる。
ボサボサの前髪のせいで目元はよくわからないけど、口元がニカっと笑ってる。
──ああ、この人。こんな笑顔をするんだ。普段は無気力そうな顔が多いけど……
「ねぇ日向! 早く行こうよ!」
「えっ? ああ、ごめん
さすがに待ちくたびれた千夏が不機嫌な声を出したから、仕方なくその場を離れて、ジェラートのお店に向かった。
秋月君の意外な一面を見たのは新鮮な発見だったけれど、だからと言ってどうということもなく……
この日の出来事は、すぐに忘れてしまった。
それから何ヶ月か経って年末になり、二学期の学期末テストの結果が廊下に貼り出された。
私はいつもどおり、学年で一位を獲れてホッとする。そしていつものように、上位50人くらいの名前をざっと眺めた。
──あ。
45位。秋月祐也君。
その名前がなぜか目に飛び込んできた。
彼は今まで、50位以内にはいなかったはずだ。
たまたまなのか、がんばって伸ばしたのか、いずれにしても初めての50位以内だと思う。
真面目で誠実なのが取り柄だって言ってたから、頑張り屋さんなのかも。
そんなふうに思ったけど、これもまた、だからと言ってどうということもなく……
すぐに忘れてしまうような些細なことだった。
それからまた何ヶ月か経って3月になり、高校一年生も間もなく終わりを迎えようとしていた。
そんなある日、学年末テストの結果が廊下に貼り出されたのを見て、私は久しぶりにその名前を意識した。
──秋月祐也君。今度は学年で30位になっている。徐々に成績を伸ばしてるなぁ。頑張ってるんだ彼。
そんなことを思ったものの、ただそれだけのことだった。
もうあと数日で一年生も終わる。
秋月君とそれ以上の関わりができることなんて、露ほども思いはしなかった。
──その時までは。
二年生になると調理実習があるらしい。
一年生の最終日にそんなことを友達に聞いて、私は少し焦った。
正直に言って、私は料理が大の苦手。いえ、苦手どころじゃない。もはやトラウマの領域。
幼い頃に家で料理に大失敗して、母に怒られたのが、未だに心に傷として残ってる。料理を練習しようと考えただけで、母が怒る鬼のような顔が頭に浮かんで、身体がすくむ。母の方も、それ以来私に料理だけは手伝わせようとしなかった。
でも私は、今まで勉強もスポーツも音楽も、すべて人よりも上手にやってきたし、周りからも凄いと言われてきた。
母からも、何でも上手くできる子になりなさいと、言われ続けて育ってきた。だから人よりも劣っている姿を周りに見られるのが、怖かったりする。
料理も、何とか上手くなりたい。このままだと、調理実習で同級生に恥ずかしい姿を晒してしまう。
だから母に相談したら、料理教室に行ったらどうかと勧められた。
──なるほどっ!
それはいい考え!
やっぱりプロに教えてもらうのが一番上達が早そうだ。
だけど大手の料理教室に行くと、万が一、同級生とか知り合いも来てるかもしれない。
だからあえて、ネットで個人経営の料理教室をお母さんが探して、次の土曜日の体験教室を予約してくれた。
体験教室ってどんなんだろ?
ちょっと楽しみだけど、うまくできるか不安もある。
だけど予約した以上は、今さら辞めるってわけにもいかないし、とにかく行ってみようと心に決めた。
春休みの土曜日の夕方、私は駅から料理教室への道を歩いていた。途中で川があって、歩行者専用の橋を渡る。
ふと橋の欄干越しに川に目を向けると、真正面に夕陽が見えて、立ち止まった。茜色に染まる空に浮かぶオレンジ色の夕陽。
──あ、綺麗。
私は思わず欄干に歩み寄って、夕陽を眺めた。美しくはあるけど、なにかもの悲しい気分が込み上げてくる。
それと同時に、今日の昼間千夏と一緒に出かけてる時に、芸能事務所の人にスカウトされたことを思い出した。
「アイドルかぁ……」
誰でもがチャレンジできるわけではない、夢への挑戦。やってみたい気もするけれど、私には分不相応な感じもする。
それに今の高校生活に不満があるわけでもない。どうしたらいいんだろう……
お母さんは、きっとぜひチャレンジしなさいって言うだろうなぁ。
──あ、こんなところでのんびりしてたら、料理教室の時間に遅れちゃう。そろそろ行かなきゃ。
まあアイドルの話は少し考えさせてくださいって言って了承をもらったし、またゆっくりと考えよう。
そう考えて、私は料理教室に向かった。
料理教室に行ってみると、そこは一戸建て住宅の一部を改装して、教室にしているこじんまりとした所だった。
教室に入ると、明るくて活発な感じの女の先生が迎え入れてくれた。話しやすい感じの人で、少しホッとする。
他には3人の生徒さんが参加していて、全員が女性だ。
まず最初に、私たち生徒は教室内のキッチンの横で、先生から今日の進め方について、レクチャーを受けた。
調理の進め方を教えてくれているのだけど、これから料理をしないといけないと思うと、どんどん緊張が増してくる。だけども私は何食わぬ顔をして、自信があるふりをしながら先生の説明を聞く。
先生は手元の資料を見ながら私たちに説明をしてくれていたのだけれど、突然私たちの後ろの方に視線を向けて、大きな声を出した。
「こらー、
いったいどうしたのかと振り返ると、白い洋食料理人の服装をした男性が教室に入ってきて、私たちのほうに歩み寄って来るのが見えた。服装からして、この人も講師の先生なのだろう。
髪をきっちりと整えて、きりっとした顔つき。かなり若く見えるけど、何歳なんだろ? なかなか感じのいい人だ。
私はその先生にも挨拶をする。もちろん自信があるような、落ち着いた態度で。
「よろしくお願いいたします」
そう言って、ゆっくりとお辞儀をした。
「春野……さん?」
「えっ?」
──なんで!?
なんでこの男の先生は、私の名前を知ってるの!?
もしかして知り合い?
いえ、見覚えはないし、そもそも料理の講師に知り合いなんていないし!!
「一年生で同じクラスだった、
──えっ!? 秋月君?
あ……確かに。
普段学校ではボサボサヘアで前髪を下ろしてるから、全然気づかなかった。だけど確かに、前に落し物のコックタイを拾った時に見た秋月君の素顔は、こんな感じだった。
「秋月……祐也……くん?」
「そうだよ。印象が薄すぎて、わからなかったかな、あはは」
「いや、そうじゃなくて……学校とあまりに印象が違うから……」
秋月君が印象薄いなんてとんでもない。コックタイを拾った時のことは印象に残っているし、テスト結果の掲示でも何度も名前を見て、しっかりと印象に残ってる。だけど学校でいる時のイメージと今は全然違って、わからなかった。
学校の時よりもカッコ良くて、いい感じに見える。なぜ学校でもこういうスタイルをしないのかな……?
ところで秋月君が、なぜここにいるの?
──あ、そっか。
講師の先生かと思ったけど、もしかして秋月君も……
「秋月君も、料理を習いに来たの?」
「いや、俺は……ここで講師のバイトをしてるんだ。ここは母親が主催する教室だからな」
「こ、講師?」
高校生なのに?
料理講師の先生なの?
まさか……
ちょっと信じられなくて、女性の講師の先生をチラッとみたら、「うん」と頷いている。
ああ、それって本当のことなんだ。でも同級生がこの料理教室にいるなんて……それどころか、この料理教室は秋月君のお母さんが主催しているなんて……どうしたらいいの? ああ……頭がくらくらする。
私はどうしたらいいかわからなくて、ただ呆然と秋月君の顔を眺めていた。
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