第47話 ここだけの話。

「アルバート様、ユウキ、こんばんは。小アーリス城にお戻りですか?」


「ええ、オリヴィア姉様が借りていた本を書庫に戻し終えたので」


「暗くなってきましたから気を付けて帰ってくださいね」


「ありがとうございます。皆さんも、夜は冷えますから熱病にかからないように気を付けてくださいね」


 きゅるん☆ とかわいい末っ子王子スマイルでアーリス上の入り口に立っている門番たちに微笑みかけ、小アーリス城へとつながる緩やかな坂道を下っていく。

 しばらくして――。


「で? 誰が悪魔か魔王だって?」


 誰も見ていないし聞いていないのを確認して隣を歩くユウキをじろりとにらみつけた。アーリス城内での〝悪魔か魔王みたいな笑い声〟という暴言についてはしっかり根に持っている。


「天使のように愛らしい笑い声だろ、どう考えても。ユウキのくせにいい度胸だな」


「はいはい。かわいい、かわいい。んで、どんな悪魔か魔王みたいなお願いをするつもりなんだよ」


「おい」


「ラルフ様に言われたおかゆのお礼、もう決まってるんだろ?」


 雑に俺のセリフを聞き流すユウキをじろりとにらみつける。

 悪魔か魔王みたいなお願い? かわいいかわいい末っ子王子様な俺がそんなお願いするわけないだろ。

 なんてことはない――。


「研究室をお願いしようと思っているだけだよ。王命付きで」


「……王命?」


 王命とは国王の名のもとに下される命令のことだ。例えば、国王直属の近衛騎士団への叙任式なんかで発令される。

 発令した王が死ぬか、発令時に王が認めた条件を満たす限りは破棄されない命令。王の名のもとに保護され、宰相や大臣はもちろんのこと、新たな王も破棄することのできない命令だ。


「〝おかゆ〟のお礼に父様の名のもと、ユウキの前世の国、世界のものを研究しろって王命を出してもらう。これで宰相や大臣に口出しされる心配はなくなる。王命の有効期限をユウキが死ぬまでとか百年間とか……実質、一生の期間にしておいてもらえば研究を維持するための定期報告もする必要なし!」


 頭痛のタネが一挙解決だ。


「とてつもなく根性悪そうな顔して笑ってるぞ、アル」


「にっこにこのイイ笑顔をしていると言え」


 と、ユウキに言い返しはしたがにっこにこの根性悪そうなイイ笑顔は止まらない。そりゃあ、そうだろう。


「父様の回復に一役買った〝おかゆ〟を含むユウキの前世の国、世界のものを研究するんだ。父様もラルフも無茶だと切って捨てることはできない。これはもう、安心安全な引きこもり生活を手に入れたも同然!」


 自分の身の安全だけを考えて無茶な要求をすれば素直でかわいい末っ子王子としての評価が落ちてしまう。でも、今回は姉のオリヴィア、乳兄弟のユウキとオクタヴィアのため。内心は堂々と、しかし、表向きはおずおずと遠慮気味にでもお願いすれば完璧。


「喜べ、ユウキ。これで戦争が始まったとしても戦争に行かないで済むぞ」


 ――戦争なんてイヤだ!

 ――あんな思い、二度と・・・したく……な、い……!


 そう叫んで気を失うような記憶。夢に見てうなされるような、吐きそうになるような記憶。ユウキが思い出した前世の、戦争にまつわる記憶について俺は詳しく知らない。

 思い出すだけで青ざめてしまうようなろくでもない記憶だ。そんな記憶の詳細を青ざめた顔をさせてまで聞くよりも、二度とそんな思いをしないで済むように、戦争なんて行かないで済むように、方法を探すことに時間を割いた方がいい。

 そう考えてここまで行動してきた。

 だからこそ、戦争が始まったとしても安心安全な場所に引きこもっていられるとわかればユウキは笑顔になると思っていた。ほっと安堵の表情を浮かべると思っていた。

 それなのに――。


「……アル」


 ユウキはいまだに不安げな表情をしているのだ。何か言いたげな表情をしているのだ。

 予想していなかったユウキの反応に俺は目を丸くした。


「……なんだよ、その顔」


 ムッとして低い声でそうつぶやく。金色の前髪をくるくる、くるくるくるくると指でいじる。

 喜ぶと思っていたのに。喜んでくれると思っていたのに。


「違うんだ、アル。そうじゃ、なくて……!」


 俺の表情を見てユウキはあわてて両手を振ったあと、ぽりぽりとほほ・・をかいた。

 前世の記憶を思い出してからユウキの言動にときどき違和感を覚えることがある。今、目の前で起こっている出来事もそう。

 考え事や困り事があるとき、えり首をぽりぽりとかくのがユウキの小さい頃からのクセだ。それなのに今、ユウキはほほをぽりぽりとかいている。

 えり首ではなくほほを、ぽりぽりとかいているのだ。


「戦争が始まったとき安全な場所にいられるのはうれしい。戦争になんて行きたくない。それはそう。それはそう、なんだけど……でも、そうじゃなくて……」


 違和感に体を強張らせている俺には気付かずにほほをぽりぽりとかきながらユウキは必死に言葉を探す。


「俺が言いたかったのは……戦争なんてイヤだっていうのは戦争に行きたくないってそういう意味じゃなくて……!」


 そういう意味じゃなくてどういう意味なんだ。

 その答えを聞く前に――。


「あら、アルバート様。それにユウキも」


 メイおばさんの明るい声がさえぎった。話しているうちに小アーリス城の裏口近くまで戻ってきていたらしい。王子・王女と乳兄弟たちの夕食の時間が近付いている。メイおばさんはその手伝いで大量の野菜の皮むきをしているようだ。

 ハッと顔をあげてあわてて口をつぐむユウキを見て俺は唇をかんだ。


 そういう意味じゃなくてどういう意味だったのか。


 すぐにでも問いただしたいところだけど今、素直でかわいい末っ子王子がするべきことはネコを脱いだまま乳兄弟に詰め寄ることじゃない。今、俺がするべきことはネコをかぶって末っ子王子スマイルをメイおばさんに返すこと。

 多分、きっと……恐らくそうだ。


「こんばんは、メイおばさん!」


 迷い、引っかかるものを感じながら、それでも、そんなものはおくびにも出さずに振り返った。


「アーリス城に行ってらっしゃったんですか?」


「ええ、オリヴィア姉様が借りていた本を書庫に返しに」


「あらあら、ずいぶんとオリヴィア様と仲良くなられて」


 きゅるん☆ とかわいい末っ子王子スマイルで言うとメイおばさんはしわだらけの顔をさらにしわくちゃにして笑う。姉弟仲が良くてよろしいこと、なんて思っていそうなにこにこ顔だ。


「それじゃあ……」


 部屋に戻りますね、と言ってメイおばさんとの話は切り上げるつもりだった。さっさと部屋に戻ってユウキから話の続きを聞くつもりだった。

 でも――。


「アーリス城に行ったのなら陛下にお会いすることはできました? あら、お会いにならなかったんですか。たしか明日の朝だったと思うんですが」


「明日の朝?」


 メイおばさんがしわくちゃの手をほほにあててため息まじりに言うのを聞いて俺は首をかしげた。


「ここだけの話ですよ、アルバート様」


 いつもの口ぐせのあと、メイおばさんが続けた言葉に――。


「……え?」


 俺の頭は真っ白になった。

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