閑話 ある乳兄弟と王女。

 この国、この世界に生まれた子供たちはみんな、十才になると神殿で〝マイルスの儀〟と呼ばれる儀式を行う。その子がどんなスキルを持っているのか、あるいはスキルを持っていないのかを調べるための儀式だ。

 神殿の水鏡をのぞきこむとスキルを持ってる子ならスキル名が浮かび上がり、スキルを持ってない子なら波紋が広がる。世界人口の半分はスキルなしだけど王族である王子・王女ならほとんどが持っている。乳兄弟でも十人のうち八人はスキル持ち。

 そんな中で水鏡に波紋が広がったらどうしよう、乳兄弟の私がスキルなしだったらリヴィに迷惑かけちゃうかも……なんてドキドキで迎えた〝マイルスの儀〟だったけど――。


「スキル持ちでよかったぁ~!」


 ジャンプで馬車から飛び降りた私は薄い青色の空に向かって両腕を振り上げた。目の前には長旅の目的地である古くて立派なお屋敷が建っている。


「……タヴィ、何回目?」


「本っ当にほっとしたんだもん。何度でも喜ばせてよ、リヴィ。……スキル持ちでよかったぁ~!」


 色の薄い金色の髪と、やっぱり色の薄い青色の目をしたお人形みたいにかわいいリヴィが馬車の乗り口から顔を出してバンザイする私を見下ろした。

 一応、乗り降りするためのステップはついているけれど体の小さなリヴィには段が高すぎる。しかも、読みかけの分厚い本を抱えたまま離そうとしないのだ。

 ならばしかたない。リヴィと同い年でありながら、これでもかと発育のいい私の出番である。


「はーい、今、降ろしてあげますからねぇー」


「……」


 なんて言いながら脇の下に手を入れて抱き上げ、高い高ーいを一回はさんでリヴィを地面に降ろした。一見すると人形のような無表情に見えるけど口がへの字になっている。赤ちゃん扱いされてご不満のようだけど過保護をやめる気は少しもない。


「……ふきゅっ」


 ぎゅーっと抱きしめるとリヴィはなぞの鳴き声を発した。うん、かわいい。


 リヴィ――オリヴィア・マーガレット・リグラスはリグラス国の今の王様とマーガレット領の側妃とのあいだに生まれた王女。お姫さま。王様にとっては上から六番目、下から二番目の子供だ。

 んで、私――オクタヴィア・コーエンはリヴィの乳兄弟。生まれたときからずっといっしょ、血は分け合ってないけど乳は分け合って育った存在だ。

 んで――。


「オリヴィア様、よくいらっしゃいました。オクタヴィアもおかえりなさい」


「……ふきゅっ」


「ただいま、お母さん」


 馬車から降りてきたリヴィと私をぎゅーっと抱きしめたのはリヴィの乳母で、私の実のお母さんだ。

 五才になる頃、王子・王女たちは小アーリス城と呼ばれる屋敷に乳母と乳兄弟とともに移り住み、実の母親とは離れて暮らすようになる。んで、乳母も十才になるまでには小アーリス城を出ることになっている。

 乳母であるお母さんが小アーリス城を出てマーガレット領に戻ってきたのは二年前。私とリヴィが八才のときだ。会うのもそのとき以来。最後に会ったときよりもさらに丸っと太ったお母さんは最後に会ったときと変わらない笑顔で散々に私とリヴィを抱きしめて、ほおずりしてからようやく放した。


「おじいさまがお待ちですよ、オリヴィア様。お部屋までご案内しますね」


「……ん」


「オクタヴィア、あなたもいっしょにご挨拶してらっしゃい」


「はーい!」


 こくりとうなずくリヴィと元気いっぱいに手をあげる私を見てお母さんは肩をすくめた。二年振りだというのに成長の見られない反応にあきれているのだろう。ため息を一つ。お母さんは先に立ってお屋敷の玄関へと入っていく。


「〝マイルスの儀〟はどうでした?」


「リヴィも私もスキル持ちだったよ。ねー」


「……ん」


「オリヴィア様はともかくオクタヴィアも! そう、それはよかった!」


「……リヴィはともかく?」


 ニコニコ顔でパン! と手を打ち鳴らすお母さんの背中をにらみつけて私は唇をとがらす。隣でリヴィがくすりと笑うものだからますます唇をとがらせた。


「それならこの一週間、しっかり練習しないとですね」


 今回、マーガレット領に戻ってきた目的はコレ。スキルの練習だ。

 〝マイルスの儀〟でわかるのはスキルの名前だけ。どんなスキルなのかは実際に使ってみないとわからない。まわりの人たちに秘密にしなくてもいいスキルなのか、秘密にしておいた方がいいスキルなのかもわからない。

 そんなわけで王族とその乳兄弟は〝マイルスの儀〟のあと、自分の領に戻ってこっそりと広い場所で初めてスキルを使うのが習わしになっている。

 あと練習するのも、だ。


「私たちのスキル、どんなスキルなんだろうね。使うのが楽しみだね、リヴィ!」


「……ん」


「練習がんばろうね、リヴィ!」


「……」


「いやそうな顔しないの、リヴィ。本に頬擦りして別れを惜しまないの、リヴィ」


 なんて言いながら屋敷の五階まであがり、長い廊下を歩いて行く。突き当たりにマーガレット領領主であるリヴィのおじいさまの執務室があるのだ。

 と――。


「……お母、様」


 リヴィがぽつりとつぶやいた。リヴィの視線を追いかけて窓へと目を向けた私は怒りにギリッと奥歯をかんだ。

 マーガレット領領主本邸の隣には小さな離れが建てられていた。小さな庭がついていて、青々とした芝生の上では離れに暮らす家族が走りまわっている。


 二才になるかならないかの女の子は色の薄い金色の髪を揺らしてケラケラと笑っている。走りまわるその子を追いかけるのは優しそうな笑顔の男の人。

 それと――銀色の髪の女の人。

 その女性は楽しそうに――心から楽しそうに笑って、走りまわる我が子を夫といっしょになって追いかけていた。


 ありふれた――でも、幸せな家族の光景だ。


「オリヴィア様……」


 何を見つけたのかお母さんも気が付いたのだろう。表情をくもらせてリヴィの名前を呼んだ。


「あの子が私の、妹?」


 リヴィの質問にお母さんは一瞬、うつむく。でも、すぐに顔をあげるとにこりと微笑んでなんでもないことのように言った。


「ええ、そうです。リリィ様、とおっしゃいます」


 お母さんの言葉を聞きながら私は幸せな家族の光景を――心底、楽し気に笑っている女性の姿をにらみつけた。


 マーガレット領の側妃に結婚を約束した恋人がいたことは有名な話。公然の秘密というやつだ。その頃のマーガレット領には側妃になれる身分や年頃の女性が彼女しかいなくて、恋人と引き裂かれるように中央アーリス領に送られたらしい。

 国王とのあいだに娘が生まれ、その子が五才になって乳母と乳兄弟とともに小アーリス城に移り住むことになると彼女はすぐにマーガレット領に帰った。

 マーガレット領に戻る前に国王からは離縁された。それが国王の優しさで、国王の側妃だったあいだもずっと恋人を思い続けていた彼女を思ってのことだということは子供にだってわかった。

 マーガレット領に戻った彼女は彼女を待ち続けていた恋人と再婚し、一人の女の子を授かった。十年近く前、中央アーリス領に共に向かった信頼する乳母を呼び戻し、教わりながら夫ともに自ら娘を育て、今はひっそりと幸せに暮らしている。


 国王とのあいだにもうけた最初の娘――リヴィのことなんてすっかり忘れてしまったかのように幸せに。


「お母、様……笑って、る……」


 小さな手で窓をなでながらリヴィがつぶやく。

 アーリス城の足元に建つ六つの領の名を冠したお屋敷。そのうちの一つであるマーガレット領邸でマーガレット領の側妃であるリヴィの母親と、リヴィと、乳母である私のお母さんと、乳兄弟である私の四人で暮らしていた頃。リヴィの母親はマーガレット領の方角にある窓辺に腰かけて毎日のように泣いていた。

 リヴィの世話はすべて私のお母さんに任せ、リヴィを抱きしめることも、リヴィに笑顔を見せることもなく五年を過ごした。


 リヴィにとっては初めて見る母親の笑顔かもしれない。

 初めて見る母親としての顔かもしれない。


 その顔はリヴィに向けられたものではなく、窓ガラス越しに、はるか遠くに見えるものなのだ。


「……リヴィ、行こう」


 正直、これ以上は見ていたくなかった。リヴィのことを忘れたみたいに幸せそうに笑っているリヴィの母親のことも。母親の愛情を当たり前のように受け取って無邪気に笑っているリヴィの父親の違う妹のことも。

 でも――。


「もう、少し……もう少し、だけ」


 リヴィは窓から離れようとしない。人形のように無表情に見えるリヴィだけどわずかに、でも、見慣れればわかりやすく表情を変える。

 今だって――。


「タヴィ、見て。……お母様、笑って……る」


 うれしそうに微笑んでそんなことを言うのだ。リヴィの横顔を見つめて私はきゅっと唇をかんだ。


「この国、には……あんな風に笑っている家族や、人が……たくさんいるんでしょう? なら、ちゃんと見て、覚えておかなくちゃ」


「……リヴィ」


「私、は……王座にはつかない、けど……お父様の娘で、王女で、王族……だから。あの笑顔を……あんな風に笑う、人たちを……守るのが、私の役目、だから、……ふきゅっ」


 そんなことを本気で言って、本気で微笑んでいるリヴィを――人形のようにかわいらしくて、誰よりも健気で優しい乳兄弟を思いっきり抱きしめた。頭のてっぺんにあるつむじに全力でほおずりした。


「リヴィ、リヴィ~!」


「苦しい、タヴィ……痛い」


「リヴィ! リヴィ! リヴィ~~~!」


「……ふきゅっ」


 散々にほおずりしたあと――。


「なら、リヴィの笑顔を守るのは私の役目」


 私はもう一度、ぎゅっとリヴィを抱きしめた。

 しばらくの沈黙のあと――。


「……ん」


 リヴィは小さな声で言った。

 淡々としているように聞こえるリヴィの声だけどわずかに、でも、聞き慣れればわかりやすく声音が変わる。

 うれしそうなリヴィの声に私は笑顔になって、ますますリヴィを抱きしめた。


「あとあと! リヴィの睡眠時間と衛生的な環境と適切な体重を守るのも私の役目ー!」


「オクタヴィア! あなた、私が見てないのをいいことにまたオリヴィア様を過剰に過保護にお世話してるんじゃないでしょうね!?」


「そんなことないよー」


「過剰に、過保護に……してる」


「リヴィ!」


「ほら、見なさい! あなたは昔からそう! オリヴィア様を構いすぎなんです!」


「そんなことないってばー!」


「領主様へのご挨拶が終わったらゆっくり話を聞かせてもらうからね、オクタヴィア!」


「そんなことないってばぁーーー!」


「いいわけはあとで聞きます! さ、行きますよ!」


 そう言って再び廊下を歩き出したお母さんのあとを半泣きで追いかける。そんな私の隣でリヴィがくすりと笑うものだから、私もつられてほほをゆるめて――何度目か、もうわからない誓いを立てるのだ。


 人形のようにかわいらしいこの乳兄弟を絶対に守ろう、と。

 私だけはこの子に守られる側ではなく、この子を守る側でいよう、と。

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