閑話 ある乳兄弟と王子。

 この国、この世界に生まれた子供たちはみんな、十才になると神殿で〝マイルスの儀〟と呼ばれる儀式を行う。その子がどんなスキルを持っているのか、あるいは持っていないのかを調べるための儀式だ。


「王族も乳兄弟もそろってスキルなしだなんて……」


「この国始まって以来、初めてのことではありませんか?」


 その儀式の結果とざわつく大人たちのようすを見てアルと俺は顔を見合わせた。


 アル――アルバート・グリーン・リグラスはリグラス国の現国王とグリーン領の側妃とのあいだに生まれた王子だ。現国王にとっては末の子供になる。

 そして、俺――ユウキ・ミラーはアルの乳兄弟。アルよりも数か月早めに生まれ、血こそつながっていないけれど兄弟のようにいっしょに育った。


 俺とアルは今日、〝マイルスの儀〟を行うために神殿にやってきた。神殿の水鏡をのぞきこむとスキルを持っていればスキル名が浮かび上がり、スキルを持っていなければ波紋が広がる。

 世界人口の半分はスキルなしだけど王族である王子・王女ならほとんどがスキルを持っているし、乳兄弟でも十人中八人はスキルを持っていると言われている。

 だというのに、アルと俺は――末っ子王子とその乳兄弟はそろってスキルなしという結果になってしまったのだ。


 周囲の大人たちがひそひそと話すようすを見て俺は肩を落とした。同じように落ち込んでいるのだろうか。水鏡をじっとのぞきこんでいる隣のアルに目を向けるとなぜかにんまりと笑っていた。


「……アル。何、根性悪そうな笑い方してるんだよ」


「かわいい末っ子王子様をつかまえて根性悪そうとか言ってんなよ、ユウキ」


「はいはい。かわいい、かわいい」


 お互いにしか聞こえない小さな声でひそひそと言い合う。雑な返事にアルはじろりと俺をにらむ。


「ほら、まだ人の目があるんだからちゃんとネコをかぶって」


 俺の指摘に〝うるさいな〟と言わんばかりにフン! と鼻を鳴らしたアルはくるりと振り返ると――。


「ど、どうしよう……僕、スキルが……ないって……」


 目をうるうるとうるませてうつむいた。


「兄様や姉様たちのように剣や勉強で秀でたところもなくて……まだまだ子供で父様の仕事を手伝うこともできなくて……だから、せめて父様や兄様、姉様の……この国で暮らす人たちの役に立てるようなスキルを持っていればって思っていたのに……!」


 深々とネコをかぶったアルはか細い声でそう言うと顔を両手でおおった。

 金色の髪に青色の目。まるで人形のようだと周囲がほめそやす整った愛らしい容姿を全力で活かした泣きの演技。そんなのを見せられればアルを〝素直でかわいい末っ子王子〟だと信じている大人たちは一撃だ。

 ハッ! と目を見開いたかと思うと――。


「そんなに落ち込まないでください、アルバート様! これまでの王子様、王女様……国王様にだってスキルを持っていなかった方はいらっしゃいます!」


「背はこれからまだまだ伸びますし、それと共に力も強くなります! そうなれば剣の腕前もあがりますよ!」


「アルバート様がお父様やお兄様方の、ひいてはこの国のためにと日々、努力していることはみんな、承知しておりますから!」


「そうですよ、アルバート様! それにアルバート様のかわいらしい笑顔は誰よりも秀でております!」


 〝マイルスの儀〟を取り仕切っている神殿の神官に始まり、剣術や武術を教えてくれているヴィクトール先生、勉強を教えてくれているケリー先生、ようすを見に来ていた小アーリス城の使用人たちが次々になぐさめの言葉をかけた。


「まだアルバート様も、ユウキだって十才の子供なんです。この国の役に立つため、なんて気負うことはありませんよ。どうせいつかは大人になって否が応でも何かを背負わなければいけなくなるんです。今はまだ、いいんですよ」


 そう言ってアルの髪をそっとなでたのはメイおばさんだ。

 いくらアルが末っ子王子だからとはいえ、孫を相手にするおばあちゃんみたいに王族の頭をなでられるのは小アーリス城どころかアーリス城内を探しても使用人の中で一番の古株であるメイおばさんくらいなものだろう。


「……ありがとうございます。皆さんのおかげで少し元気が出ました!」


 ひとしきりなぐさめられたあと、アルはようやく顔をあげるときゅるん☆ とかわいい末っ子王子スマイルを振りまいた。アルの目にはうっすら涙が残っているのを見て俺はそろそろと目をそらす。

 ネコをかぶっているときといないときのギャップの大きさは何度見ても見慣れない。落差があり過ぎてアルの本性を知っている俺はぞわぞわそわそわとしたのだった。


 ***


「それで、アル。神殿で根性悪そうな笑い方してた理由って何?」


 リグラス国国王が住まうアーリス城の西側に建つ小アーリス城。そこの一階にある自室に戻ってきた俺はアルに尋ねた。

 ちなみにこの部屋は俺とアルの二人で使っている部屋で、今はヴィクトール先生もケリー先生も、小アーリス城の使用人たちもいない。

 そんなわけで――。


「だから、こんなにもかわいい末っ子王子様をつかまえて根性悪そうとか言ってんなって、ユウキ」


 ソファにふんぞり返ってお茶を飲むアルは盛大にネコを脱ぎ捨てている。フフンとあごをあげ、ネコをかぶっていれば王子様然としたかわいい顔を見せびらかすアルに俺はげんなりとした。俺の表情に満足げに笑ったあと、アルはひらりと手を振って答えた。


「スキルを持っていればどんなスキルかと痛くもない腹を探られることもある。でも、スキルなしならその心配もない。元から王位継承権なんてあってないような末っ子王子だが、これでますます目をつけられたり面倒ごとに巻き込まれる可能性は低くなったっていうわけだ」


「なる、ほど……」


 アルの実家であるグリーン領も、アル自身も、領民が穏やかに暮らせるなら王座にも権力にも興味はまったくない。それどころか関わらずにすむなら関わりたくないとまで思っている。

 この国、この世界の半分以上の人が――王族と乳兄弟ともなればそのほとんどが持っているスキルも王座にも権力にも興味ないアルみたいな人間にとってはない方がマシなものらしい。


「本気で落ち込んでた自分がバカみたいだな」


「みたい、じゃなくて実際にバカなんだろ」


「……おい」


「だが、優秀な乳兄弟だとは思っている。バカではあるが」


「それ、ほめてないだろ。前半も後半もバカにしてるだろ」


 じろりとにらむ俺を見返してアルはにっこり。


「王族なのにスキルなしな俺をフォローするために、スキルなしどころか魔力なしのコンボをキメる乳兄弟なんて実に優秀。乳兄弟のかがみだな」


「やっぱりほめてないじゃないか! 別にアルをアゲるためにスキルなし、魔力なしコンボをキメたわけじゃないし!」


「乳兄弟である僕のためにそこまでしてくれるなんて……僕、感動しちゃった!」


「うるさい! だまれ! ホンッッット、かわいくないクソ末っ子王子だなぁ!」


「こんなにかわいい末っ子王子様に向かって失礼だな、ユウキ」


 真っ赤になって怒る俺を見てアルはニヤニヤと実に楽し気に笑う。そんなアルをひとしきりにらみつけたあと、俺はふと首をかしげた。

 そういえば――。


「俺もアルもスキルなしってことは……〝マイルスの儀〟のあとにグリーン領に帰るって話はどうなるんだ?」


 〝マイルスの儀〟でわかるのはスキルの名前だけ。どんなスキルなのかは実際に使ってみないとわからない。せまい場所で使うには危険なスキルの可能性や周囲には隠しておいた方が都合のいいスキルの可能性もある。

 そういうわけで王族とその乳兄弟は〝マイルスの儀〟のあと自分の領に戻り、広い場所でこっそりとスキルを試してみるのが習わしになっている。

 でも、俺もアルもスキルなし。スキルを試す必要もなければグリーン領に戻る理由もない。

 案の定――。


「なしだろうな。スキルなしだったって報告だけなら手紙で十分だ」


 アルはさらりと言った。

 グリーン領は六つの領の中で最もこの中央アーリス領から遠い。道も整備されていないから馬車で片道一週間は軽くかかってしまう。とんでもない長旅。懐もおしりも痛くなる。行かないですむならそれに越したことはないのだ。


「今年も墓参りはお預けか」


 まぁ、仕方がないかと俺はえり首をぽりぽりとかいた。

 一応、実家にあたるグリーン領の屋敷には今、誰も住んでいない。あるのはお墓だけだ。そこに眠ってるのはじいちゃんやばあちゃんたちに、俺が生まれる前に死んでしまった父さん。それと二年前に熱病で死んだ母さんも眠ってる。

 母さんの葬式以来、一度も墓参りに行けていないけれど特に心配もしていない。アルの母親であるアミーリア様が息子の俺の代わりにしょっちゅう会いに行ってくれているはずだから。


「……っと。もうこんな時間だ。アル、食堂に行くぞー」


 窓の外がすっかり暗くなっているのを見て俺は立ち上がった。いつもなら間延びした返事がすぐに返ってくるのにいつまで待っても反応がない。見てみるとアルは金色の前髪を指でくるくるといじっていた。

 何か考え事をしているときのアルのクセだ。


「どうした、アル?」


「いや、なんでもない。……ユウキ、夕食を食べ終わったら今日は一人で先に部屋に戻ってろ」


「いいけど、なんで?」


「なんでも」


 ツンと澄ました顔で言ってアルはさっさと部屋のドアを開けてしまう。

 と、同時に――。


「あ、メイおばさん。こんばんは!」


「あらあら、アルバート様。それにユウキも。こんばんは。これからお食事ですか?」


 手慣れたようすでネコを装着。廊下にいたメイおばさんに向かってきゅるん☆ とかわいい末っ子王子スマイルを振りまいた。こうなったら一人で先に部屋に戻っていなきゃいけない理由を聞くことも、反対もできない。


「……まったく。とんだ素直でかわいい末っ子王子様だな」


 先を歩いて行くアルの末っ子王子スマイルを眺めながら俺はこっそりぼやいたのだった。


 ***


 その翌日のことだ。


「〝マイルスの儀〟の件、直接、お祖父様と母様に会って報告することにした。俺もユウキも二人そろってスキルなしという状況を領主であるお祖父様や一応は親族である貴族たちがどう受け取るか、面と向かって反応を見ておいた方がいいと思い直してな」


「……なるほど?」


「というわけで明日、小アーリス城を出てグリーン領に向かう」


「明日!?」


「というわけで準備しろ、ユウキ」


「とか言いながらカバンを差し出すなよ! これ、アルのカバンだろ! 自分の準備は自分でやれよ!」


 なんていうやり取りを昼食前にして、午後からは明日の出発に向けて準備をバタバタとすることになってしまった。小アーリス城の使用人たちが手伝ってくれるとはいえ、それでもギリギリだ。


「昨日は帰らないって言ってたくせに……なんだって急にー!」


 小アーリス城の一階にある俺とアルが暮らす部屋。その部屋を出て、ちょっと廊下を歩けばすぐに裏口だ。その裏口から外に出るとちょうどメイおばさんが洗濯物をしていた。


「あらあら、ユウキ。グリーン領に帰る準備ですか?」


「そうなんです。急に明日、出発することになったものだから大あわてで準備してるところで……もう、てんやわんやで……!」


「あらあら、まあまあ」


 空を見上げて盛大にため息をつく俺を見て、メイおばさんはしわくちゃの手でほほを押さえながらニコニコと微笑んだ。

 そして――。


「ここだけの話ですよ」


 お決まりのセリフを言った。今日の〝ここだけの話〟はどんな〝ここだけの話〟だろうと首をかしげる。


「昨日の夕食のあと、陛下の執務室にアルバート様がいらしたそうなんです。お仕事中で陛下とはお話になれなかったようなんですが、代わりにラルフ様がお聞きになったようで」


 ラルフというのは陛下の――アルの父親の乳兄弟で今は執事を務めている人だ。執務室の前の廊下で二人は話をしたのだろう。


「なんでもスキルを持っていなかったから帰る必要はないのだけれどグリーン領に帰りたい、ずっと会えていないお母様に会いたいと泣いていらしたそうですよ。それで急遽、帰ることになったとか」


 だから、メイおばさんの耳にこんなにもハッキリとした情報が伝わっているのだ。


「アルが、そんなことを……」


「しっかりしていらっしゃっていてもアルバート様もまだ十才。〝マイルスの儀〟のあとには会えると思っていたのにこんなことになって……お母様が恋しくなってしまったのかもしれませんね」


 なんて、しんみり言っているメイおばさんにあいまいに微笑み返しながら俺はえり首をぽりぽりとかいた。

 アルが母親恋しさに陛下に泣きつきに行くなんて正直、考えられない。というか、ない。断言できる。アルの性格からして自分のためなら我慢するし、我慢してることすら周囲に悟らせない。

 全力でネコをかぶり、かわいい末っ子王子のうるうる涙目まで使ってグリーン領に帰ろうとするとしたら、その理由は――。


「……俺かぁ」


 ――今年も墓参りはお預けか。


 そう俺がつぶやいたあと、金色の前髪を指でくるくるといじって考え込んでいた昨夜のアルの姿を思い出す。

 そういう理由なら出発を急ぐ理由もわかる。明日の朝出れば一週間後の母さんの命日にギリギリ間に合うかもしれない。アルの性格からしてたぶん、きっと……そこまで計算に入れている。

 まぁ、俺の予想が当たっていたとして――100パーセント当たっているのだけど――だとしても、アルにお礼を言うことはできないのだけど。アルの性格からして絶対に俺のためだなんて認めないから。


「……まったく。とんだ素直でかわいい末っ子王子様だな」


 明日の出発の準備に追われているうちに暮れ始めた空を見上げて俺は苦笑いでため息をついたのだった。

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