第46話 誰が悪魔か魔王だ、誰が。

 オリヴィアが借りっぱなしにしていた大量の本を書庫に戻し終えるにはずいぶんな時間がかかった。単純に冊数が多かったのもある。ジャンルがバラバラで戻すべき本棚もバラバラなのも大きい。結局、書庫内をまんべんなく歩きまわる羽目になってしまった。

 本棚と本棚のあいだを歩いてまわりながら研究室を手に入れるために父様や宰相、大臣たちにどう話をすればいいか考えてみた。でも、なかなか良い案は浮かばない。

 長い目で見ればいつか、何かの役に立つかも……くらいでは父様も宰相も大臣もうなずかない。わかりやすいメリットを示せなければ研究室と安心安全な引きこもり生活をもぎ取ることは難しいだろう。

 ダメで元々というわけにはいかない。何度も当たって砕けられるものでもない。父様や宰相、大臣の説得に失敗すれば俺だけでなくオリヴィアとオクタヴィア、そしてユウキを戦地に送ることになるのだ。


「……」


 本をすべて戻し終え、書庫をあとにする頃には考えすぎで頭が痛くなっていた。


「大丈夫か、アル。疲れ切った顔をしてるぞ。本を抱えて歩きまわるのがそんなにきつかっ……イテッ」


 〝アルは運動嫌いで体力がないからなぁ〟とか思っているのだろう。アーリス城内の長い廊下を歩きながら乳兄弟の兄担当みたいな顔で微笑むユウキにイラッとして、無言ですねを蹴とばしていると――。


「アルバート様、ユウキ!」


「……!」


 後ろから声をかけられた。大慌てでネコをかぶるときゅるん☆ とかわいい末っ子王子スマイルで振り返る。


「ラルフ、こんにちは!」


「こんにちは、アルバート様。それにユウキも。ちょうどいいところでお会いしました」


 そこにいたのは父様の乳兄弟で、今は執事として身のまわりのあれこれを世話しているラルフだった。


「……こんにちは、ラルフ様」


 ユウキの笑顔が少々、引きつっているのは直前にすねを蹴り飛ばした俺がにっこりニコニコな笑顔を浮かべているからだ。もう一回、ユウキのすねを蹴り飛ばしてやりたいところだけどラルフの前でネコを脱ぐわけにはいかない。ユウキの視線は無視して末っ子王子スマイルを維持する。


「二人にお話があったのですがなかなか小アーリス城に行く時間が取れなくて。それもこれもアイツがまた無茶なことを言い出すから……!」


 なんて今にも舌打ちしそうな顔で言うのを聞いて俺とユウキはそろって苦笑いする。なにせラルフが言う〝アイツ〟とは俺の父親にしてこの国の現国王のことだからだ。

 父様とラルフは乳兄弟同士。俺とユウキの関係と同じと考えればアイツ呼ばわりくらい不思議なことではないのだけれどそれでもやっぱりヒヤヒヤそわそわしてしまう。


「なんにしろ二人にここで会えてよかったです。〝おかゆ〟のおかげであのあとすぐに陛下の体調も良くなりました。今はいつも通りの食事を、いつも以上に食べています。一人で十人前食べるとかイイ年してどういう胃袋しているんでしょうかねえ、本当に」


 俺たちがヒヤヒヤそわそわしていることなんて気付いてはいても気にも留めず、ラルフはしれっと乳兄弟の顔から執事の顔に戻る。あいかわらず言葉の端々にトゲが見え隠れしてはいるけれど。

 でも、そんなことよりも――。


「元気になったんですね、父様」


 俺はほっと息をついた。

 父様がかかった熱病と呼ばれる病気は寒い時期に流行して貴族、庶民に関わらず多くの命を奪う。ユウキの父親はユウキが生まれる前に、ユウキの母親で俺の乳母でもあるソフィーも俺達が八才のときに熱病で死んでいる。

 今のところ、熱病には治療法も薬もない。ただ寝て、食べて……熱が下がるのを祈るしかない。そんな調子だから恐らくこの国で最も手厚い治療を受けるだろう国王であっても必ず助かるという保証はなかった。

 ラルフもそれをよくわかっている。

 だから――。


「ええ、アルバート様とユウキのおかげです。ですので、何かしらのお礼をしなければと思っていたのです」


 ラルフは穏やかに微笑んでそう言うのだ。


「そんな……お礼だなんて。父様に元気になってほしくて僕とユウキが勝手にやったことですから」


「もちろん、ただのお礼ではありません。口止め料を含んだお礼です」


 相変わらず穏やかに微笑んでいるラルフだが、その目がスッと細くなる。父様が――リグラス国現国王がつい数日前まで病にふせっていた、病み上がりであると知られてはまずい事情があるのだろう。

 もちろん最初からただのお礼でないことはわかっていた。隣で目を丸くしているユウキはともかく、素直でかわいい末っ子王子のネコをかぶっているだけの俺はよくわかっていた。


「口止め料、ですか?」


 その上できゅるん☆ とかわいい顔で小首をかしげて見せるのだ。


「ええ、口止め料です。陛下の体調が悪かったことはしばらくのあいだ、口外しないでください」


「そういうことならわかりました。誰にも、絶対に、口外しません。ね、ユウキ」


「え? あ、うん……じゃなかった、はい! ……はい?」


 ユウキの返事の歯切れが悪いのは事情を呑み込めていないからだ。あとで小馬鹿にしつつ、ゆっくり説明してやろうと思いながらさっさとラルフに向き直る。今の俺にとってはラルフとの会話の方が重要だ。

 なにせ頭痛のタネを解決する糸口が見え始めたのだ。


「今は少々、立て込んでおりますが二週間もすれば陛下も時間を作れると思います。そのときまでに何をお願いするか考えておいてください。とんでもなく無茶な願いでなければ叶えられると思います」


 そう言ってラルフがにーっこり微笑むのは父様の体調の回復に〝おかゆ〟が大きく貢献したから。それととんでもなく無茶なお願いをするほど道理のわからない身分でも年令でもないだろうという無言の圧だ。

 ラルフの無言の圧に気付かないふりで――。


「何をお願いしましょう。迷っちゃいます。ね、ユウキ」


 なんて、きゅるん☆ とかわいい困り顔で言いながら内心でにんまりと笑う。

 とんでもなく無茶なお願いをするつもりはない。かわいらしいと言える範疇のほんのちょっと無茶なお願いを、姉と乳兄弟想いの素直でかわいい末っ子王子な俺がするだけだ。


「立て込んでいる一件が片付きましたら小アーリス城のお二人の部屋にうかがいます。お礼についてはそのときに。箝口令かんこうれいもそのときには解けるでしょう」


「お言葉に甘えて何か考えておきます。父様にお仕事、がんばり過ぎないでくださいって伝えておいてください」


「ええ、伝えておきます」


 それでは、と微笑んでラルフは足早に去っていく。立て込んでいる一件があると言っていたけれど父様の忙しさにつられて執事であり乳兄弟として信頼されているラルフも仕事を積まれているのだろう。


「よかったな、アル。陛下が……お父さんが元気になって」


 ラルフの背中を並んで見送りながらユウキがニコニコ顔で言う。

 でも――。


「フ、フフ……」


「……アル?」


 今の俺はそれどころじゃない。


「フハ、フハハハ……ッ」


 なにせ頭痛のタネを解決する糸口が見えたのだ。

 高笑いしたくなるのを必死にこらえようとしていた俺は――。


「どうしたんだよ、急に。何、悪魔か魔王みたいな笑い声をあげてるのさ」


「おい。誰が悪魔か魔王だ、誰が」


 ユウキの暴言に真顔に戻った。

 こんなにかわいい末っ子王子様をつかまえて……ユウキのくせにいい度胸だ。

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