第8話 落ち込んだときの、マーマレードソーダ。
音痴のくせして鼻歌なんて歌いながらユウキはグラスとスプーンを二つずつ持ってきた。俺はソファに深々と腰かけて気持ち悪いくらいに上機嫌なユウキを観察する。
鼻歌を歌うくらい上機嫌なユウキがか、音程もリズムも絶妙に外れたユウキの鼻歌がか。なんだか、とにかく気持ち悪い。
「マーマレードは……」
「知ってるよ。柑橘類の皮や果汁を砂糖で煮詰めたものだろ」
スキル〝すーぱーのたなか〟で錬成だか召喚だかして出現させたマーマレードのふたを開けるユウキの話をひらりと手をふってさえぎる。
そう、マーマレードは知っている。
この国、この世界でもパンにぬって食べたりする。
「そっかそっか、そうだった。……で、このマーマレードをたっぷりスプーンで四杯……やっぱり五杯!」
スプーンですくったマーマレードをグラスに落としながらユウキはだらしなくほほをゆるめた。今にもよだれを垂らしそうな顔だ。
ユウキの気持ちもわからなくはない。ビンを開けたときからしていた甘くて、でも柑橘類特有のさわやかなにおいがスプーンですくうとますます強く広がる。
「炭酸水は……この国や世界にはなかった、よね?」
次にユウキが手に取ったのは透明な液体が入っている容器だ。
ユウキが容器のふたをまわした瞬間――。
「……!」
プシュ! と大きな音がした。ビクッ! と体を強張らせる俺を見てユウキがケラケラと笑う。
末っ子王子とはいえ王族の俺を笑うとは……ユウキのくせにいい度胸だ。じろりとにらみつけたけど上機嫌で下手くそな鼻歌を歌っているユウキは俺がにらんでいることにも気が付かない。
「冷えた炭酸水が出てきてくれてよかった。生ぬるいとおいしくないからな」
そう言いながら〝たんさんすい〟をグラス注ぎ込む。グラスの底から泡が次々と現れ、シュワシュワと不思議な音がした。
「底にたまってるマーマレードをスプーンでよくかきまぜてから飲むんだ」
「……なんなんだ、これ?」
「いいから、いいから。まずは一口」
ユウキにうながされて俺はグラスを手に取った。
〝たんさんすい〟の泡に踊るマーマレードは透明なオレンジ色。窓からの日差しを浴びて宝石のようにキラキラと輝いている。
ユウキに言われたとおりにスプーンでかきまぜるとまたシュワシュワと音がした。透明な〝たんさんすい〟が淡いオレンジ色に染まる。
きれいだ。
すごくきれいなんだけど……シュワシュワと聞き慣れない音を立てる未知の飲み物〝たんさんすい〟に口をつける勇気が出ない。
じーっとグラスをにらみつける俺をよそにユウキはさっさと一口飲んで――。
「そう、この味……この味!」
きゅっと目をつむって歓声をあげた。
ぐびぐびとマーマレード入りの〝たんさんすい〟を飲み干すユウキを見つめ。シュワシュワと聞き慣れない音を立てる手元のグラスを見つめ。
俺は恐る恐るグラスをかたむけた。
瞬間――。
「……!」
思わず、きゅーっと目をつむった。
シュワシュワが口の中でツンツンチクチクと暴れる。でも、すぐにマーマレードの甘さとほんのちょっとの苦みが広がる。
初めての刺激に最初はびっくりするけど、これは――。
「……おいしい」
「だろ?」
思わずつぶやくとユウキが身を乗り出した。満面の笑顔で、だ。
「俺が落ち込んでると母さんが……前世の母さんが作ってくれたんだ。サッカーの試合でミスしちゃったとき。友達とケンカしちゃったとき。今日は特別だよって言ってこのマーマレードソーダを作ってくれた」
「……〝まーまれーどそーだ〟」
つまり今のユウキは落ち込んでいるってことか……なんて、わかり切ったことは聞かない。
代わりに――。
「お前、前世の記憶を思い出したときに〝あんな思い二度としたくない〟って言ってたよな。今はその、〝あんな思い〟に関する記憶は話さなくていい。思い出さなくていい」
俺はソファにふんぞり返って言った。
「いつかはその記憶が必要になるときが来るかもしれない。でも、今はこういう記憶を……楽しい記憶だけを思い出せ」
〝まーまれーどそーだ〟が入っていた空のグラスを爪で弾いて俺はにやりと笑った。チン……と涼やかな音が室内に響く。
「安心しろ。ユウキのこのスキルがあれば確実に後方支援にまわれる。うまくすれば戦争になんて行かずにこのアーリス城に引きこもれる」
ユウキのスキル〝すーぱーのたなか〟は食料調達に持って来いのスキルだ。後方支援は約束されたようなものだ。
「アル、俺は……」
「大丈夫だって!」
不安げな表情のユウキをさえぎって俺はひらりと手を振った。
そして――。
「全力でネコをかぶって、素直でかわいい末っ子王子を演じて、安心安全なアーリス城でのひきこもり生活を手に入れてみせるから」
ガシリと拳をにぎりしめてニヤリと笑ってみせた。
いつもなら――。
「アル、その根性悪そうな笑い方やめろよ」
なんて、乳兄弟の兄担当という顔でお説教するユウキだけど――。
「アル……」
今日のユウキは不安そうな顔でそう言うだけ。
「ユウキ、そんな情けない顔……、……っ」
――……なっさけない顔すんな。
――末っ子王子とはいえ王族である俺をなめすぎだ!
上から目線でそう言い放ってやろうとソファから腰をあげたところでクラッときた俺はソファに座り直した。
「……おい、ユウキ。なんとなく体がだるくないか?」
「もしかしてアルも? 俺も今、イスに座っているのもきついくらいに気持ち悪くなってる」
「あのマーマレードと〝たんさんすい〟とやら。毒のたぐいじゃないだろうな」
「スーパーのタナカで売ってたモノなら絶対に違うって断言できるんだけど……」
ハハ……と乾いた声で笑いながらユウキはずるずるとソファからずり落ちて床に寝転がってしまった。
「スキルで出現させたものだから保証できないってことかよ」
顔を引きつらせながら俺もずるずるとソファからずり落ちて床に寝転がった。
「さて、ここからどうしようか。指一本動かせないぞ、アル」
「安心しろ、ユウキ。もうすぐケリー先生が来る」
午後から俺たちの勉強を教えてくれる予定の、家庭教師のケリー先生だ。俺がニヤリと笑っていると完璧なタイミングで扉をノックする音が聞こえた。
「アルバート様、ユウキ。ケリーです」
「ケリー先生、ごきげんよう。どうぞ中に入ってください」
即座に、深々とネコをかぶる俺。
床に寝転がったまま、しおらしい声で言う俺を見て、寝転がったままのユウキが白い目で見た。なんだ、その変わり身の早さは……とか思っているのだろう。
ネコをかぶり続けて十数年の末っ子王子をなめるな。
「失礼いたしますよ。お勉強のお時間です……って、ユウキ? アルバート様まで!?」
髪は真っ白でメガネをかけたおばあちゃん先生のケリー先生は部屋に入ってくるなり床に寝転がっている俺たち二人を発見して悲鳴をあげた。
「ケリー先生、本当にごめんなさい。先生の授業、すごくすごく楽しみにしてたのですが……急に体の調子が……悪く、なってしまって……」
ユウキの冷ややかな視線を受け流し、ケリー先生をうるうるうるんだ瞳で見上げる。完璧にネコをかぶった末っ子王子様による泣き落とし作戦だ。
この涙にだまされない相手はそうそういない。俺が知るかぎり本性を知っているユウキくらいだ。
案の定――。
「床に寝転がるほどお体の具合が悪いのに……それでも私の授業を受けようとしてくださっていたのですね。そのお気持ちだけで充分です、アルバート様! 今日の授業はお休みです! すぐに……すぐに人を呼んでベッドに運ばせます! 医師を呼んで参ります!」
なんて叫びながらケリー先生が俺たちの部屋を飛び出していくのを見送って、俺はにんまりと笑った。
「これでベッドに運んでもらえる上にやり損ねた宿題をやる時間もできた。……計画通り。完璧だ」
そんな俺を見てユウキは深々とため息をついた。
「だから、アル……その根性悪そうな笑い方やめろよ」
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