閑話
閑話 ある王と側妃。
玉座に座る俺を見上げた彼女は目を見開いた。しかし、それもほんの一瞬のこと。
「
そう言って優雅に、上品に、にこりと微笑んでみせた。それらしいドレスを着て、それらしくお辞儀をすれば貴族の娘、領主の娘にきちんと見える。
だが――。
「……しかし」
玉座にひじをついて口元を手でおおう。口元に浮かぶ困惑をどうにか隠す。
目の前でしおらしくしているアミーリアとはこれが初対面ではない。一年ほど前に身分を隠して訪れたグリーン領。そのときの視察で会っているのだ。
そのときは中央アーリス領からやってきたどこぞの貴族の息子と、領民といっしょになって畑仕事をするグリーン領の貧乏貴族の娘としてだったが。
子供たちの取っ組み合いの相手をしては見事な投げ技を披露していた。二十代初めの一応は身分ある女性とは思えないいさぎよさでドレスのスカートをまくしあげて木を登っていた。
あの体幹の良さはきちんと体術や剣術を学んでいるとしか思えない。ただの貧乏貴族の娘ではないだろうとは思っていた。
でも、まさか顔も服も泥だらけにして家畜のフンで作った肥料を素手で畑にまいていた娘が領主の娘で、国王である俺の側妃としてやってくるとは。
探るように、問いかけるように見つめる俺を、アミーリアは静かに、少しも動じることなく微笑んで見返す。完璧に〝領主の娘〟という仮面をかぶり、外そうとしない。
その仮面を外してしまいたい。
ぎこちない手つきで畑仕事を手伝う俺を見て子供たちといっしょになって笑い転げていた、年令よりもずっと幼いあの笑顔をもう一度、見たい。
心の片隅に浮かんだささやかな願望に
再び見ることが叶った幼い笑顔に夢中になるのも、ほんの一瞬。
そして過分な愛情のせいでその笑顔を失うのも――。
***
アーリス城の足元には六つの領の名を冠した屋敷が建っている。アーリス城を中心にそれぞれの領地がある方角に建つ屋敷。
その一つ、グリーン領邸には赤ん坊の泣き声が響いていた。
部屋を三つも四つもはさんでいるというのに聞こえてくる元気な泣き声に俺は目を丸くする。
「あれくらい元気いっぱいな方が安心だわ。ソフィーは夜も眠れなくて大変そうだけど……大人しくて物わかりがいいっていうのも逆に心配」
グリーン領邸の女主人でありリグラス国国王の六番目の側妃でもあるアミーリア・ベル・グリーンは我が子を見つめてため息をつく。ベビーベッドに横になっている生後半年の我が子、アルバート・グリーン・リグラスは俺とアミーリアににこにこと笑顔を振りまいていた。
ソフィーというのはアルバートの乳母の名だ。
元気いっぱいに泣いているのは彼女の息子。たしか名前はユウキだったか。
「そういえば、ランズベリー領の双子ちゃん。二人とも小アーリス城に入ることになったんですってね」
「誰から聞いたんだ」
「双子ちゃんのママからよ。今日、お茶会だったの」
驚く俺を上目づかいに見てアミーリアはいたずらっ子のような笑みを浮かべた。
ランズベリー領の者たちは競い、高めあうことを美徳とする。側妃も同じ。
ライバルとも言える他領の側妃・アミーリアとのんきにお茶会をし、そんな話をしていたというのが――。
「毒にも薬にもならない末席側妃として波風立てることなくアーリス城足元での生活を送れるよう、日々、完璧に、グリーン領領主の行き遅れ娘を演じ切っておりますから」
俺の驚きを見すかしてアミーリアはフフン! と胸を張って見せる。グリーン領で昔、見た笑顔と同じ。年令よりも幼く無邪気な笑顔に俺はほほをゆるめた。
リグラス国国王には必ず六人の側妃がいる。六つの領から一人ずつ、領主か親戚すじの娘が嫁いでくる。その側妃が産んだ最初の子供だけが王子・王女として扱われ、五才になるとそれぞれの領邸を出て小アーリス城の一室で暮らすようになる。
だから、小アーリス城には王子・王女のための部屋が六部屋、用意されている。三階に三部屋、二階に三部屋の計六部屋だ。
前例に従うならランズベリー領の双子もどちらか一方を最初に産んだ子とし、王子・王女として扱うべきだ。
でも、この双子がどちらも優秀なのだ。
生まれて三日でスキルを使って見せた。競うように言葉を覚え、歩き、走り――同年代の子供と比較にならない速さで学習していく。
まさに競い、高めあうことを美徳とするランズベリー領の血統。双子の片割れより少しでも先に、少しでも上手にと競い、張り合い、学習していく。
だからこそ、ランズベリー領の領主も側妃も双子を引き離すことに難色を示した。そばで暮らし、育ち、競わせてこそと思っているのだ。
「前例に従うべきと突っぱねることも考えたが……あそこは誰も彼もが血気盛んでな」
「いいじゃない。生まれる前からいっしょなんだもの。引き離すのはかわいそうよ」
そう言ってアミーリアはころころと笑うけれど、常に競い合う
「まだ幼くて乳母がついていないといけないから今は一部屋でいいが、いずれは二部屋を使うことになる」
そうなったら五番目の側妃の娘であり、俺にとっては六番目の子であるオリヴィア・マーガレット・リグラスが二階の最後の一部屋を使うことになる。
七番目の末の子であるアルバートの部屋がなくなってしまうことになるのだ。
「だから、アルバートが小アーリス城に入るまでには一階の一部屋をアルバート用に整えさせるつもりだ」
「よかったわね、アルバート。ピッカピカのお部屋をパパが用意してくれるって!」
「あー、あーーー!」
アミーリアに話しかけられてアルバートはにこにこの笑顔でバンザイする。まるで大人たちの会話を理解しているかのようで俺とアミーリアはそろって苦笑いした。
「大人しくて物わかりがよくて、とても賢い。君の子らしい」
「だから、心配なのよ」
だから、大丈夫だろうとのんきに笑う俺をじろりとにらんでアミーリアはため息をつく。
「私にはあなたがいた。素でいられる場所があったから、アーリス城の足元でグリーン領の側妃を演じ続けることもできた。この子にも乳兄弟がいるけれど……」
乳兄弟が必ず王子・王女と良好な関係を築けるとは限らない。乳兄弟の縁を切ることも、事情があってそばにいられなくなることも、多くはないがまったくないわけじゃない。
我が子・アルバートと乳兄弟であるユウキがどんな関係を築いていくのか。それはまだわからないのだ。
「あー、うー」
アルバートが笑いながら伸ばした手に触れてみる。
金色の髪と青色の目は俺と同じ。先に生まれた六人の息子、娘たちと同じ色だ。
でも、緩やかにうねる猫っ毛とぱっちりとしたアーモンド型の目はアミーリアと同じ。そのせいか。先に生まれた六人の子供たちよりもどうしても愛おしく感じてしまう。
小さな手のひらを太い指で突けばぎゅっと握り返してくる。思わずほほを緩める父親を見て、アルバートはますますにこにこと笑う。
王という立場も何もかもを忘れて一心にこの子と、この子を産んでくれた愛しい女性に愛情を注ぎたくなる。
そんな思いを見すかしたように――。
「私ね、この子が五才になって小アーリス城に移ったら領地に戻ろうと思ってる」
アミーリアは静かに微笑んだ。
五才になる頃、王子・王女たちは小アーリス城と呼ばれる屋敷に乳母と乳兄弟とともに移り住む。母である各領の側妃とは離れて暮らすことになる。
母である側妃が小アーリス城に入ることは許されない。でも、領邸に我が子を呼び、会うことは禁じられていない。毎週のように会いに行く王子・王女もいる。
だから、我が子が成人するまで各領邸で暮らし続ける側妃がほとんどだ。
六つの領の中で最も遠く、道が整備されておらず、何日も馬を駆けてようやく中央アーリス領に到着するグリーン領の側妃であればなおのこと。
小アーリス城に入ってすぐにというのは……我が子が五才になってすぐに領地に戻るというのはずいぶんと早い。
「国王陛下、どうか……過分も不足もない愛情をこの子に。私がアーリス城の足元にいるときも領地にいるときも変わりなく。あなたの他の子供たちとも変わりなく。この子にそういう愛情を注いでください」
それでもアミーリアが領地に戻ろうと心に決めたのは俺の感情に――リグラス国国王の感情に過分と不足があると感じているから。
波風が立とうとし始めていることを感じたからだろう。
――自然の顔色をうかがって、うかがい切れずにいまだに痛い目を見ているのが我らグリーン領の人間。
――人の顔色をうかがうくらいなんだという。
そう言って豪快に笑っていたグリーン領領主の日焼けした顔をふと思い出した。
「この子の誕生日には会いに来てください。この子のために選んだ贈り物を持って。その日を楽しみに待っています」
それはつまりアルバートの誕生日以外はグリーン領邸に来てはならないということ。いままでのようにアミーリアに会いに来てはならないということ。
一国の王としては過ぎた感情をアミーリアとその子に傾け、その分、他の側妃とその子たちへの感情がおろそかになってしまったから。
グリーン領の主要な産業は農業だ。自然の影響を受けやすく、土地が豊かとも言えず、六つの領で最も貧しい。
領民がつつましやかながらも穏やかに暮らしていくためにグリーン領は中央アーリス領や王家に取り入って権力を手に入れるよりも他の領と友好関係を築き、何かあったときには面倒な手続きを経ず、友情という形で助けを得られるよう努めることを選んだ。
だから、アミーリアは王である俺の過分な愛情を受け入れない。他の領の側妃なら喜んで受け入れたかもしれないが、グリーン領の側妃である彼女は決して受け入れない。
受け入れるわけにはいかない。
領と領民を守るため。冷静に、打算的に、決して感情を優先させずに――。
そういう彼女が好きだった。
そして――。
「そんな顔をしないで。私が領に戻ったらあなたの誕生日にはあなたが好きなリラ茶を贈ってあげる。初摘みのリラ茶よ」
グリーン領の側妃としてギリギリ許される行為の中で精一杯の愛情を示してくれるところも好きだった。
「……いっそ王位なんて捨てて、アルバートも連れて、君のあとを追いかけてグリーン領に逃げてしまおうか」
半分本音の冗談にアミーリアは目を見開いた。しかし、それもほんの一瞬のこと。
「愚かな男をいつまでも好きでいられるほど私はバカでも盲目でもないけれど?」
口だけの俺を見上げてアミーリアは鼻で笑ってみせる。
愚かな、ただの男に成り下がってもあなたを好きでいる。他の側妃ならうそでもそう言うだろう。
そう言わないところがいとおしくて、だからこそ彼女をこのままアーリス城の足元に閉じ込めておくことは叶わないのだと思い知る。
目をふせる俺のほほをそっと彼女の白い手が包み込んだ。
「……楽しみにしているよ。この子の誕生日も、初摘みのリラ茶が届く日も」
つま先立ちになった彼女がうつむく俺の額にくちづける。ほんの一瞬。今にも泣きそうな彼女の顔が見えた。
それはきっと一番素直な彼女の顔。
〝グリーン領領主の娘〟という仮面も〝グリーンの側妃〟という仮面もかぶっていない。
母で、妻で、たたのアミーリアの素顔。
でも――。
「楽しみに待っていてくださいね、陛下。採れた中で一番上等な葉を私みずから選別してお送りしますから」
一歩下がって優雅に、上品に、にこりと微笑んでお辞儀した彼女は二度と俺の前で仮面を外すことはなかった。
***
「十才の誕生日おめでとう、アルバート! ほ~ら、ガサレド国で買ってきた飛び出す絵本だぞ~」
そう言って絵本を差し出す俺を見上げた我が子・アルバートは目を丸くした。しかし、それもほんの一瞬のこと。
「ありがとうございます、お父様! とってもうれしいです!」
手触りの良い布で作られたわずか六ページほどの絵本はどう見ても幼児用だ。十才になる上に王族として同年代よりも高度な教育を叩き込まれているのアルバートにはあまりにも子供っぽすぎる。アルバートの手元をのぞきこんでいる乳兄弟のユウキの表情が何よりもそれを物語っていた。
だというのに、アルバートはにっこりと笑って絵本を受け取ると胸にぎゅっと抱きしめてみせた。
金色の髪と青色の目は俺と同じ。先に生まれた六人の息子、娘たちと同じ色だ。
でも、緩やかにうねる猫っ毛とぱっちりとしたアーモンド型の目、何よりかわいらしい末の王子という仮面を上手にかぶってみせるところはアミーリアそっくりだ。
血がつながった兄弟ではあるけれど、王位継承権を争う敵ばかりの小アーリス城で敵視されないように、友好的な関係を築けるようにと自然に身につけた術なのだろう。
そして、上手にかぶっている仮面がときどき外れて、うっかり見えてしまう素の表情もアミーリアそっくり。
その素の表情見たさに年令に見合わない子供っぽいプレゼントを贈ったりしているのだ。案の定、絵本を見たアルバートは一瞬……ほんの一瞬だけ困り顔になっていた。
乳兄弟のラルフには子供みたいな意地悪をして、とため息をつかれている。
アミーリアが知ったら子供みたいな意地悪をして! と怒ったことだろう。
それでも、かわいい息子の素顔が見たくて子供っぽい贈り物を用意するのだ。
「誕生日おめでとう。これからも健やかに育ってくれ、我が息子よ!」
「はい、父様!」
末の王子らしい無邪気で人畜無害そうな笑顔を浮かべる息子の金色の髪をくしゃくしゃになで、力いっぱい抱きしめる。
過分なく、不足なく、この子を愛せているだろうか。
彼女が幼い息子との大切な時間を手放し、遠い領地に戻ってまで望んだ距離を保てているだろうか。
一心に、全霊をかけて愛する方がどれほどに簡単だろう。
年に一度だけ許されたこの瞬間。かわいい息子に思う存分、ほおずりした。
ままならない愛情を王という仮面とアミーリアとの約束で隠して――。
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