第35話 ……ふきゅっ。

「ユウキ、オクタヴィア、もう出てきていいよ」


「……確保、確保ぉぉぉおおおーーー!」


 静かにしているようにという俺の指示をかたくなに守って階段の影に隠れていたオクタヴィアが元気いっぱいすっ飛んできて――。


「リヴィーーー!!!」


「……ふきゅっ」


 押しつぶすいきおいでオリヴィアを抱きしめた。なぞの鳴き声を発したあと、一瞬、オリヴィアが白目をむいた気がしたけど……大丈夫だろうか。


「リヴィ! リヴィ!! リヴィーーー!!!」


 オクタヴィアはといえば皮膚がむけるのではと心配になるほどのいきおいでオリヴィアにほおずりをしたかと思うとわきの下に手をつっこんで高い高いし、腕やら足やら腰やらをパシパシと叩き、ガックリとひざをついた。


「体重は2098g、ウェストなんて2.06cmも減ってる……ただでさえ小さいのに……ただでさえやせてるのに……!」


 逃がすまいとオリヴィアの手首をガッチリつかんだまま元気いっぱいに絶望するオクタヴィアを見てユウキは笑みを引きつらせ、俺はネコをギリギリかぶったまま困り顔でほほえんだ。

 抱きかかえてパシパシ叩いて確認しただけでそこまで細かい数値がわかるというのが怖い。まちがっていなさそうだなと思えてしまうところもまた怖い。

 人形のように無表情なひきこもり姫・オリヴィアも心なしかドン引きしているように見える。


 でも――。


「やっととっ捕まえた。すごく……すっごく心配したんだよ、リヴィ」


 今までの元気さはどこへやら。オクタヴィアは泣きそうな声でそう言うと壊れ物でも扱うかのようにそっとオリヴィアを抱きしめ直した。

 オクタヴィアに抱きしめられたオリヴィアも眉をさげて泣き出しそうな顔になる。


「どうしてこんなことをしたの。スキルを使ってまで私のことを部屋から閉め出すなんて」


「……」


「食事を取らなきゃ、睡眠を取らなきゃって口うるさく言ったから?」


「……」


「本を読むのを邪魔したから?」


「……」


 オクタヴィアに尋ねられてもオリヴィアは唇を引き結んで押し黙っている。

 重苦しい沈黙にユウキが心配そうな顔で俺を見た。わかっているとひらりと手を振って答える。ここまで付き合ったのだ。あと少し付き合っても大して面倒くささは変わらない。

 それに――おそらくだがオリヴィアは俺と似たようなことを考えている。もし本当にそうなら競合相手となりうるのか、俺のライバルになりうるのか見極めないといけない。


「オリヴィア姉様」


 名前を呼ぶと長いまつ毛に涙をためたオリヴィアがわずかに顔をあげる。


「オリヴィア姉様がこんなことをしたのはグリーナ国と戦争が始まるかもしれないと聞いたからじゃないですか」


 戦争が始まるかもしれないと聞いたから――。

 だから、ラルフはもちろんのこと父様のことも避ける人見知りのオリヴィアが、オクタヴィアにもないしょで二人に会いに行ったりしたのだ。


「ガイクル国やデモア国との政略結婚を進められないか、ガサレド国の神学校に留学できないか、父様に尋ねに行ったとも聞きました」


 戦争が始まるかもしれないと聞いたから――。

 だから、そんなことを尋ねに行ったのだ。


 ガイクル国もデモア国も、リグラス国とは友好的な関係を築いている。でも、ただ友好的なだけではない。グリーナ国と敵対しておらず地理的にも離れている。嫁いできた他国の姫のために兵を出せるほど豊かでもない。

 ガサレド国も似たようなもの。神学校を卒業して神職にでも就ければ戦争が始まっても巻き込まれる可能性は低い。


「政略結婚? 留学? ちょっと、リヴィ……いつの間に……?」


 オクタヴィアが呆然とつぶやくのが聞こえた。

 メイおばさんの言葉を思い出す。


 ――ここだけの話ですよ。

 ――おそらくオクタヴィアも知らない話です。


 オクタヴィアの大きく見開かれた目に見つめられてオリヴィアはうつむいた。

 メイおばさんが言っていたとおり、オクタヴィアは知らなかったらしい。オリヴィアはオクタヴィアには知られずに探そうとしていたらしい。


 何を?

 ……決まっている。


「姉様は戦争に行かないですむ方法を、戦場に出ないですむ方法を探していたんじゃないですか?」


 俺のことを視界に入れてはいても決して目を合わせようとはしなかったオリヴィアが、ゆっくりとまばたきをしたあと俺の目をのぞきこんだ。


「父様に一人で会いに行ったのも、オクタヴィアを部屋から閉め出してまで本を読んでいたのも、何か方法はないかと探していたからじゃないですか?」


 口を開き、何かを言いかけ、また閉じて――。


「私の……スキル〝籠城ろうじょう〟は、頑丈な防御壁。……戦争が始まれば、きっと……戦場の前線に立つことに、なると……思う。だから……」


 オリヴィアはようやくか細い声でそう言った。


 成人してもいない女の王族が? と思うかもしれない。でも、上に立つ者・高貴な者が率先して矢面に立つことを美徳するリグラス国では十分にありうる。


「私は、父様の娘だから……でも……」


「リヴィーーーっ!!!」


「……ふきゅっ」


 父様の娘だから、でも――。

 その続きはオクタヴィアの元気いっぱいな涙交じりの絶叫と力いっぱいの抱擁ほうようにさえぎられた。


「そっか! 戦争に行くのが怖くて、戦場に出なくてすむようにって本を一生懸命に読んで方法を探していたんだね! ごめんね、リヴィ! なんにも知らずに邪魔をして!」


「……ふきゅっ」


「わかったよ、リヴィ! どれだけ本を読んでても邪魔しないし、食堂に無理矢理連れて行ったりもしない!」


「……ふきゅっ」


「食事と睡眠は取らなきゃだけど、食事は部屋どころかリヴィの口に運んであげるし、本を読みながら眠っちゃったらベッドに運んであげる! 誰が!? もちろん、かわいいリヴィの乳兄弟である私がだよ!!!」


「……ふきゅ……ふきゅ」


 ぎゅーっと抱きしめ、ぐりぐりとほおずりをしたかと思うとまたぎゅーーーっと抱きしめ。オクタヴィアの大きな体に押しつぶされて小さなオリヴィアはまたもやなぞの鳴き声をあげた。

 ……それにしてもずいぶんと過激な過保護っぷりだ。


 と――。


「ねえ、リヴィ。一つ、教えて」


 オクタヴィアは急に真剣な表情になるとオリヴィアの薄い青色の目を真っ直ぐに見つめた。


「もしも……もしも、リヴィが戦場に行くことになったとき。私もいっしょに行くことになるの?」


 オリヴィアの肩が小さく跳ねた。オクタヴィアがどういう意図でそんな質問をしたのか。それを考えると怖いのだろう。

 気持ちはわかる。でも、答えははっきりしている。


「……た、ぶん」


「相当な理由がないかぎり乳兄弟は王子・王女と行動をともにすることになると思う」


 震える声で答えたオリヴィアは俺が補足するのを聞いて恨みがまし気な目を向けた。

 でも――。


「なら、大丈夫! もしも戦争に行かずにすむ方法が見つからなくてもリヴィはなんにも怖がらなくていい!」


 オクタヴィアが胸を張り、元気いっぱいの笑顔でそう言うのを聞いてオリヴィアは目を見開いた。


「だって、絶対に私が守るから。どんな手を使っても。危ないって思ったらリヴィを小脇に抱えて安全なところまで猛ダッシュで逃げてあげるから。だから、リヴィはなぁーんにも怖がらなくていい!」


「……」


 ぎゅーーーっと力いっぱい抱きしめるオクタヴィアの肩にあごを乗せたオリヴィアは唇をかんだ。一番年の近い姉が表情をくもらせている理由が俺にはよくわかった。

 オクタヴィアがこう・・だからオリヴィアは一人で戦争に行かず、戦場に出ずにすむ方法を探したのだろう。


「……オリヴィア姉様」


 暗い表情の姉へと伸ばしかけた俺の手と声は――。


 クゥー……。


 小動物的ななぞの鳴き声にさえぎられたのだった。

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