第50話 あんな思い、二度と……。

「以前、父様とラルフに〝おかゆ〟を見せたことがあるんです」


「陛下に、〝おかゆ〟……を……」


 俺の言葉をくり返してオリヴィアは考え込むように目をふせた。


「だから、父様たちに見せる資料は〝おかゆ〟がいいかなって思うんです」


「……」


 素直で従順な末っ子王子が姉に意見してまで、なぜ、最初の研究対象に〝おかゆ〟を押すのか。その理由に納得したらしい。オリヴィアは渋い顔ながらも口をつぐんだ。


「どういう経緯で〝おかゆ〟を見せたのかは今は、その……まだ話せないのですが……」


 困り顔で微笑む俺をじっと見つめたあと、オリヴィアは小さくうなずいた。


「どれ、くらい? どれくらい……で、話せる?」


「二週間ほどでしょうか」


「……ん、わかった。今、は……聞かない」


 話せない事情があるのだと察してくれたらしい。本の虫、ひきこもり姫なんて呼ばれていてもさすがは王族だ。話が早くて助かる。


「タヴィ、研究の話、は……アルバートがいいって、言うまで……誰にもしちゃ、ダメ。〝おかゆ〟の話、も……〝さんどいっちの〟、の話も……しちゃダメ」


「任せて、リヴィ! アルバート様がいいって言うまで私、喉が痛くて声がまったく出ないって設定になるから!」


「……ん」


 なぜか胸を張るオクタヴィアとなぜか深々とうなずくオリヴィアを見て俺とユウキは顔を見合わせた。

 声がまったく出ないと言ってオクタヴィアがしゃべらなくなることはこれまでもときどきあった。体調が悪いようにも見えないし、ニコニコ笑っているから不思議に思っていたが……なるほど、オリヴィアに口止めをされていたのか。

 恐らくオクタヴィアは悪気なく口が軽いのだろう。そして、試行錯誤した結果、しゃべってはいけないことをしゃべらないのではなく、しゃべってはいけないことがあるときは一切、しゃべらないという解決方法にたどり着いたのだろう。

 事情を察した絶賛ネコかぶり中の末っ子王子は両手をかわいらしくにぎりしめ、キラキラなお目目でオクタヴィアを見つめた。


「話せるようになったらすぐに言うから。しばらくは喉が痛くて声がまったく出ないフリをしててね、オクタヴィア」


 オクタヴィアはと言えば――。


「……!」


 唇を引き結び、元気いっぱいに右手をあげて返事をする。声が出ない設定はすでに始まっているようだ。オクタヴィアにはこのまま箝口令かんこうれいをまっとうしていただこうと思いつつオリヴィアに向き直る。


「オリヴィア姉様。研究対象としてまとめるなら入っていた袋だけではなく、〝おかゆ〟自体を見ておいた方がいいですよね」


「……ん」


「それじゃあ、ユウキ」


「今夜、スキル〝スーパーのタナカ〟で〝おかゆ〟を錬成だか召喚だかするんだね、アル」


「それと〝さらだちきん〟と〝ながねぎ〟も。それでは、オリヴィア姉様、オクタヴィア。話の続きは明日、〝おかゆ〟の材料がそろってから調理場で」


「……ん」


「……!」


 オリヴィアはこくりとうなずき、オクタヴィアは唇を引き結んだまま元気いっぱいに右手をあげた。

 俺とユウキは昼食後にケリー先生の授業が待っているし、オリヴィアとオクタヴィアは引き続き部屋の片づけをしないといけない。〝研究室をもらって安心安全な引きこもり生活を手に入れよう〟作戦の作戦会議は今日のところはここまでだ。


「ちょっと……残念。〝ぱっくさらだしりーず〟の袋、で……気になってた、こと……たくさん、あったから……」


 入れてきた箱にしまうため、〝ぱっくさらだしりーず〟の袋を手に取ったオリヴィアがぽつりとつぶやく。本の虫で活字中毒でもあるオリヴィアだ。袋に何が書いてあるのか気になってしかたがないのだろう。


「おかゆの袋とパックサラダシリーズの袋でも同じようなことが書いてあったりしますよ」


 お人好しのユウキのことだ。肩を落とすオリヴィアを見て気の毒になったのだろう。いまだに人見知り対象になっていることをわかっていながら話しかける。笑顔が引きつっているのは今からオリヴィアに目をそらされるショックに備えてのことだ。

 でも――。


「本、当……? 例え、ば……?」


 オリヴィアはそっぽを向くことなく、それどころかほんのわずかではあるが身を乗り出して尋ねた。人見知りより好奇心の方が勝ったらしい。


「た、例えば!? えっと……例えば、ココとココ。おかゆの袋にもパックサラダシリーズの袋にも〝賞味期限:枠外右下に記載〟って書いてあります」


「〝しょうみきげん〟?」


 予想外のオリヴィアの反応に動揺しながらもユウキは〝枠外右下〟を指さして言う。


「賞味期限というのは……えっと、〝おいしく食べられる期限〟のことです。おかゆの場合は……二○X四年十二月二十三日、ですね」


「二○X四年十二月二十三日っていうのはユウキの前世の国、世界で使われていたこよみ?」


「そうだよ、アル」


「〝かぼちゃさらだ〟の……〝しょうみきげん〟も、同じ」


「あ、本当ですね、オリヴィア様!」


 〝かぼちゃさらだ〟の袋を確認したユウキがうなずくのを見てオリヴィアの目がキラキラと輝き出す。


「〝しょうみきげん〟……二○X四年十二月二十三日……〝しょうみきげん〟……二○X四年十二月二十三日……〝しょうみきげん〟……二○X四年十二月二十三日……」


 〝ぱっくさらだしりーず〟の〝かぼちゃさらだ〟に〝まかろにさらだ〟に〝ぽてとさらだ〟に〝ごぼうさらだ〟。〝しょくぱん〟に〝さらだちきん〟、〝たんさんすい〟が入っていた容器にマーマレードが入っていたビン。

 箱の中に入っていた、これまでにスキル〝すーぱーのたなか〟で錬成だか召喚だかしたものの袋やら容器やらを次から次へと取り出して、オリヴィアは〝しょうみきげん〟を探しては読み上げていく。

 おもちゃ箱から次々とおもちゃを取り出す小さな子供状態のオリヴィアにオクタヴィアはニッコニコの笑顔になっているし、ネコをかぶった末っ子王子な俺はなんとか困り顔で微笑む。

 ユウキはといえばオリヴィアが〝しょうみきげん〟を探し当て、脇によけた袋や容器を次々と手に取って――。


「本当に……全部、二○X四年十二月二十三日だ……」


 呆然とつぶやいた。

 かと思うと、額を押さえ、苦し気に顔を歪ませた。


「ユウキ、どうしたの?」


「頭痛が……急にひどく、なって……」


 そう言いながらユウキは痛みに耐えるようにぎゅっと目をつむる。


「ユウキ……?」


 見覚えのある光景にいやな予感がして名前を呼ぶ声が震えた。俺の声はユウキの耳には届かなかったのか、それとも返事をするだけの余裕もないのか。


「……やっぱり、イヤだ」


 ユウキは泣きそうな声でぽつりとつぶやくと窓の外に広がる青い空をにらみつけた。


 リグラス国では珍しい黒い目から。

 めったに泣くことのない乳兄弟の目から。

 涙がひとすじ流れ落ちる。


「戦争なんてイヤだ! あんな思い、二度としたく……な、い……!」


 前世の記憶を思い出した日と同じようにそう叫んだ直後、ふらりとユウキの体が傾いた。前回は石をしきつめた固い道を歩いていた。頭を打ったりしたら大事おおごとだとあわてて腕を伸ばした。

 今回は二人掛けのソファに腰かけている。倒れ込んだところでふかふかのソファか、せいぜいテーブルに額を打ちつけてたんこぶを作る程度だ。

 それでも――。


「ユウキ……!」


 倒れこもうとするユウキの腕をつかもうと俺は反射的に手を伸ばしていた。

 でも、俺の手がユウキの腕をつかむ寸前――。


「大、地……!」


 ユウキが叫んだ名前に手が止まった。

 そして――。


「ユウキ!」


 ユウキはソファから崩れ落ちてどさりと床に倒れ込んだ。

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