第48話 本当に行っちゃったね。
夜が明け、ようやく空が白み始めた頃――。
小アーリス城の屋上にあがった俺とユウキは馬車や馬に乗った一団が小さくなっていくのを見下ろしていた。
「陛下、本当に行っちゃったね」
「……ああ」
〝おかゆ〟のおかげで体調を持ち直した父様は寝込んでいるあいだに溜まっていた仕事を片付けるとアーリス城を
昨日、小アーリス城に戻ってきた俺とユウキにメイおばさんが話してくれた〝ここだけの話〟。その話というのが父様がグリーナ国に向かため、明日――もう、今日だけれど――の朝早くにアーリス城を発つというものだった。
「どうして今、この状況でグリーナ国に向かうんだろう。その、襲われたり……危険なんじゃ」
「だろうな。グリーナ国に向かう道中も、到着してからも、帰ってくるときだって襲われる可能性も暗殺される可能性も十分にある」
ユウキが息を呑み、体を強張らせるのを感じながら金色の前髪をくるくると指でいじる。敵はグリーナ国にだけいるわけではない。リグラス国の中にも、リグラス国の人間の中にもいるのだ。
そんな中、関係が悪化している隣国に
「グリーナ国との関係が悪化したのは先代の国王が亡くなって、その息子が王位を継ぐことになったからだ。グリーナ国の先王と父様は同じ筋肉バカ同士、そこそこ気が合っていたらしいからな」
国を担う王という立場の者同士。そして、一人の人間同士。二人のか細い友情関係だけでリグラス国、グリーナ国のここ数十年の安寧は保たれていた。
「だからこそ、今、この状況でグリーナ国に向かうんだろう」
「陛下自ら?」
「そう、父様自ら」
誰も見ていないのをいいことにネコをすっかり脱ぎ捨て、俺はため息まじりに肩をすくめた。
隣国グリーナでは近々、戴冠式が行われる。各国の王や要人を招待しての新国王お披露目の場だ。
関係が悪化したとは――いや、悪化しているからこそ戦争のきっかけになるような行動はお互いに控えるのが普通だ。戦争の原因は相手国にあるべきなのだ。
だからこそ、グリーナ国からリグラス国にも戴冠式の招待状は送られてきた。
招待状が送られてきた以上、誰も参列しないというわけにはいかない。参列しなければリグラス国はグリーナ国新国王を認めていないとも、敵対する意思があるとも取られてしまう。
そう言いがかりをつけられるすきを作ってしまうことになる。
ただ――。
「こういう場合、普通は大臣か、せいぜい王子、王女あたりが行くものなんだけどな」
「あ、やっぱりそうなんだ」
現国王自らが参列するなんてありえない。関係が悪化しているリグラス国だけでなく、友好国であってもまずない。
「宰相も大臣もラルフも、父様自ら参列するなんて言い出してあわてただろうな」
「ラルフ様はあわてないんじゃないかな。とっくの昔にあきらめがついてそう」
「人の顔を見ながらため息をつくな」
ラルフは今でこそ執事だけど元々は父様の乳兄弟だ。同じ乳兄弟であるユウキの含みのある視線にじろりとにらみ返したあと、屋内に戻るための階段へと足を向ける。
「グリーナ国前国王の戴冠式には当時、まだ王子だった父様が参列した。そして、父様の戴冠式にはすでに国王だったグリーナ国前国王が自ら参列した」
国同士の友好と一人の人間同士の友情の証として。
「だから、今度は父様が……リグラス国現国王が自ら参列することで友好の証を示そうとしているんだろう」
「それで戦争にならずに済むなら万々歳だけど……」
あとからついてくるユウキの足取りが重いのはそう簡単に事は運ばないだろうし、単純な話ではないだろうとわかっているからだ。
道中やグリーナ国内で父様が襲われ、最悪、死ぬようなことがあれば戦争は避けられないものになる。例え、無事に帰ってくることができたとしてもグリーナ国との関係は変わらず。一触即発、いつ戦争が起こってもおかしくない状態のままかもしれない。
むしろ、関係は変わらないままの可能性の方が高いだろう。
「面と向かって話をすればわかりあえるとか思っているんだよ。筋肉バカな父様らしい。これで死んだり、国を留守にしているあいだに足元をすくわれでもしたらどうするつもりなんだか」
「……大丈夫だよ、アル。何事もなく無事に陛下は帰ってくるよ」
「当たり前だ。無事に帰ってきてもらわないと困る」
ユウキの見え透いたなぐさめにきっぱりと返す。
「〝おかゆ〟のお礼に王命を発令してもらって、戦争が始まったとしても安心安全なアーリス城内の研究室に引きこもっていられる理想の生活を手に入れる算段なんだからな」
「……」
「……なんだよ」
あきれのまじったため息に振り返るとユウキが何も言わずに俺を見下ろしている。ユウキの黒い目に無言でじーっと見つめられ、フン! と鼻を鳴らしてそっぽを向いた。
「……うるさい」
仏頂面でぼそりとつぶやく。
「別に何も言ってないだろ」
「いいや、うるさい。何も言ってなくてもものすごーーーくうるさい!」
何がうるさいって視線が説教くさくてうるさいのだ。心配なら心配だって素直に言えばいいのに的な視線がものすごーーーくうるさいのだ。
肩をすくめるユウキをじろりとにらんで再び階段をおりていく。
「とにかく部屋に戻るぞ。朝食のあと、オリヴィアの部屋に行く約束をしているんだ。今のうちにケリー先生の宿題を終わらせておかないと」
「研究内容をどんな風にまとめるか試しに作ってみるんだっけ?」
「〝おかゆ〟のお礼に多少、無理なお願いは聞いてくれると言っても資料も見本もなしに話をしに行くわけにはいかないからな」
ラルフの口振りとメイおばさんの〝ここだけの話〟を考えると父様たちがアーリス城に戻ってくるまで大体、二週間ほどだろうか。のんびりはしていられない。
「あの筋肉バカの父様のことだ。どうせあっけらかんとした顔で帰ってくる。父様の心配をしているひまがあったら自分たちの安心安全な引きこもり生活の心配をした方がよっぽど有意義だ」
鼻で笑いながら言った俺の言葉を一体、どう受け取ったのか。
「うん……うん! そうだよな、アル!」
軽快な足取りで階段をおりてきたユウキは追い付くと俺の頭をくしゃりとなでた。見上げると乳兄弟の兄担当と言わんばかりの顔で笑っている。
「陛下は絶対に帰ってくる。だから、陛下が帰ってきたときのためにちゃんと準備を進めておかないと、だよな!」
満面の笑顔のユウキになんだかものすごく腹が立ってきて――。
「……」
「イテッ」
俺は無言でスネを蹴飛ばしたのだった。
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