第2話 ここだけの話。

「……寝過ごした」


 窓にかかる厚手のカーテンを開け放った俺は空を見上げて呆然とつぶやいた。

 陽が高い。ものすごーく高い。


 いつもならとっくに起きて、朝食をとって、午後の授業までに宿題を終わらせなくちゃとせっせせっせと机に向かっている時間だ。

 いや、起きてと言うよりは――。


「起こされて、と言うべきか」


 金色の前髪をくるくると指でいじりながら俺は肩をすくめた。

 その、かわいい末っ子王子な俺を起こすという名誉ある仕事をたまわっているユウキの姿は部屋のどこにもない。


 昨日――。


「戦争なんてイヤだ! あんな思い、二度と・・・したく……な、い……!」


 そう叫んだあと、ユウキは気を失ってしまった。

 俺とユウキの二人で使っているこの部屋にかつぎこまれ、ベッドに横たえられ、それきり。昼食の時間になっても、夕食の時間になってもユウキは目を覚まさなかった。怖い夢でも見ているのか、ずっとうなされていた。


「おーい、ユウキー。バカユウキー」


 なんて言ってほほをつついたり、体を揺らしてみても全然、起きない。

 あぶら汗浮いた額をふいたり、眉と眉のあいだに出来た深いしわを指で伸ばしたりもしてみたけど、やっぱり目を覚まさなかった。

 夜遅くまでユウキのようすを見守っていたけど、いつの間にか寝てしまって……気が付いたらこの時間だ。しかも、ベッドでうなされていたはずのユウキはいなくなっている。


「いつの間に出てったんだよ」


 いつ出て行ったかはわからないが、どこに行ったかはすぐにわかった。こういうとき、ユウキの行き先は一つしかない。


「末っ子とは言え王族の俺に迎えに来させるとは……ユウキのくせにいい度胸だな」


 なんて、ぶつぶつぼやきながら俺は足早に部屋を出る。


 リグラス国国王が住まうアーリス城の西側に建つ小アーリス城。そこの一階に俺とユウキが暮らす部屋はある。

 小アーリス城なんて呼ばれているけど建物自体が小さいわけじゃない。国王の子供である王子、王女が暮らしているからそう呼ばれているのだ。

 一番上の兄から順に三階の奥の部屋、真ん中の部屋、手前の部屋……と、あてがわれ、末っ子王子の俺とその乳兄弟であるユウキは一階の奥の部屋を使っているというわけだ。


 部屋を出て、ちょっと廊下を歩けばすぐに裏口だ。外に出るとメイおばさんが洗濯物をしていた。


「あら、アルバート様。おはようございます。朝食の時間、食堂にいらっしゃらなかったけれどどうされたんです?」


 メイおばさんはしわくちゃの手でほほを押さえ、ため息まじりに尋ねた。


 〝おばさん〟と呼んでいるけど髪は真っ白で腰もすっかり曲がっていて〝おばあさん〟と呼んだ方がしっくりくる。

 でも、執事もメイド長も俺の兄弟も、それどころか国王である父までもがメイ〝おばさん〟と呼ぶ。もちろんユウキもメイ〝おばさん〟と呼ぶ。そうなったら素直でかわいい末っ子王子のネコをかぶった俺もメイ〝おばさん〟と呼ぶしかない。


 で、このメイおばさん。

 今は洗濯物をしているけど食事時は調理場や食堂の手伝いもしている。他にもそうじやら針仕事やらなんやらかんやら……とにかくいろんなところでいろんな手伝いをしている。

 いろんなところに出入りして、いろんな人からいろんな話を聞くもんだから俺とユウキが食事をとったかどうか程度の情報は筒抜けなのだ。


「今日はちょっと寝坊しちゃったんです」


 そう言って俺は困り顔で微笑んでみせた。


 ユウキと二人きりのときとは違ってしっかりとネコをかぶっている。

 王位継承権なんてあってないような末っ子王子だけど、何がきっかけで目をつけられて面倒ごとに巻き込まれるかわかったもんじゃない。ユウキ以外の前では素直でかわいくて毒にも薬にもならなそうな末っ子王子を演じておくに限る。


「あらあら。でも、たまには仕方ないですよねぇ。アルバート様もユウキもしっかりして見えてもまだ十三才の男の子なんですもの」


 しわだらけの顔をさらにしわくちゃにしてメイおばさんはコロコロと笑った。

 いくら末っ子王子相手とはいえ親戚のおばさんみたいな軽いノリで王族に話しかけられるのは小アーリス城どころかアーリス城内を探しても一番の古株であるメイおばさんくらいだ。


「昼食の時間にはちゃーんといらしてくださいね。みんなが心配しますから。ここだけの話ね……」


 と、メイおばさんが言い出すのを聞いて俺は心の中で苦笑いする。

 〝ここだけの話〟はメイおばさんの口ぐせだ。そして、メイおばさんの〝ここだけの話〟は全然、ここだけの話じゃないのである。


「国王陛下もオリヴィア様も最近、あまり食べてくださらないとかで料理長たちやラルフ、オクタヴィアが頭を悩ませているんですよ」


 国王陛下というのはもちろん俺の父親のこと。ラルフというのはその乳兄弟のことだ。

 んで、オリヴィアというのは一番年の近い姉のこと。オクタヴィアはオリヴィアの乳兄弟……いや、乳姉妹というべきか。


「国王陛下は仕事が忙しいかららしいんですけど、オリヴィア様は本を読むのに夢中で食堂に行きたがらないんですって。連れて行くのも一苦労だってオクタヴィアがぼやいてました」


 この場にユウキがいたら〝振り回されて大変だなぁ、どこの乳兄弟も〟なんてチラチラとこちらを見ながら嫌味を言いそうな話だ。メイおばさんに隠れて俺はこっそりため息をついた。


「元々、細くて小さいオリヴィア様が食べないのも心配ですけど、心配のし過ぎでオクタヴィアまで細く、小さくなってきちゃった気がして……。オリヴィア様もオクタヴィアも、アルバート様もユウキも、みーんな育ち盛りなんです。食事はしっかりとってくださいね!」


 ほほにしわだらけの手を当ててため息をついていたかと思うといきおいよく顔をあげる。メイおばさんのいきおいに思わずひるみそうになるけど、長年かぶってきたネコを伊達じゃない。


「ありがとうございます、メイおばさん!」


 にっこり。

 きゅるん☆ とかわいい末っ子王子スマイルを浮かべ、手をふってメイおばさんと別れた。


 歩きながら金色の前髪をくるくると指でいじる。

 小さくて細い姉・オリヴィアとは対照的にオクタヴィアは大柄でおっとりとした笑顔の、食べるのが大好きな少女だ。国王陛下こと俺の父親も食べるのが趣味なんじゃないかというほどの大食漢だ。

 そんな二人が食べないなんて周囲はずいぶんと気をもんでいることだろう。


「ま、俺が気をもむことではないけどね」


 ネコを脱いで小声でつぶやいた俺は目的地の――小アーリス城の裏にひっそりと建つ納屋の扉をそっと開けた。

 俺が気をもむ問題はこちらだ


「ユウキ、いる?」


 ネコをきちんとかぶり直して中に声をかける。

 と、――。


「……アル」


 ユウキの弱々しい声が返ってきた。

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