第18話 コレハコメ。ニホンジンノココロ、コメ。

「……なんだ、これは」


「アル、またぶさいくな顔になってる」


「ぶさいくな顔にもなる! これは本当に食べ物なのか!?」


 〝かわいい末っ子王子様に向かってぶさいくとは失礼だな〟と言い返すのも忘れて俺はガバッ! と顔をあげた。


「食べ物だよ。前世の俺が生まれ育った国・日本では病気で元気がないときに食べる定番の料理」


 大真面目な顔でうなずくとユウキは大きなスプーンで手鍋の中の〝おかゆ〟をすくってみせた。

 スプーンをかたむけると白くにごってどろどろした液体的なものが手鍋へと戻っていく。手鍋の中をのぞきこむと白いとろりとした〝おかゆ〟の中を白いつぶつぶした何かが踊っていた。


 ……白いつぶつぶ。


 何に似ているかと言われたらアレだ。

 春の暖かな日差しの下、ユウキと遊びに行った原っぱ。その土を掘り返して見つけたたくさんの――。


「アリの卵……?」


「違うよ! 米だよ! 小麦とかと同じ穀物だよ! 米を食べ慣れてる俺でも気持ち悪くなるから二度と言うなよ!」


「……アリのたま」


「言うなよ、アル。米だ。日本人の心、米だ」


 ユウキの静かに殺気立った声と目に大人しく口をつぐむ。

 コレハコメ。ニホンジンノココロ、コメ。アリノタマゴジャナイ。


 深呼吸を一つ。

 気を取り直してユウキは〝おかゆ〟の解説を再開する。


「レトルトだから袋をお湯に入れて温めるだけでも食べられるんだけど、長ネギとサラダチキン、最後に卵を加えるのがうちの父さん流だから」


 ユウキが言う〝うちの父さん〟というのは前世の父親の話だろう。

 ユウキの父親はソフィーのお腹にまだユウキがいるうちに死んでしまった。数年前にソフィーが死ぬ原因となったものと同じ。そして恐らく今、俺の父様がかかっているものと同じ。

 熱病と呼ばれている病気で死んだと聞いている。


 だから――。


「うちの父さんさ、絶対にキッチンに入るなって母さんに怒鳴られるくらい不器用で、味覚も致命的だったんだ」


 〝おかゆ〟を大きなスプーンでかきまぜながらユウキが微笑んで語っているのは前世の父親の話だ。


「だけど十二年の前世の人生でたった一度だけ、母さんが高熱出して何日も寝込んだことがあったんだ。そのときに父さんがどうにかこうにか作ったのがこの〝おかゆ〟。えっと、確か……長ネギには殺菌効果や疲労回復効果」


 言いながらユウキは細かく切った〝ながねぎ〟をぱらりと手鍋に入れる。


「鶏肉はタンパク質」


 続いて細かく千切った〝さらだちきん〟をぱらり。


「鍋の底におかゆが焦げ付かないようにゆっくり混ぜ続けて……」


 スプーンでゆっくり混ぜると〝おかゆ〟から湯気が立ちのぼる。

 パンを食べたときに感じるのと似たかすかに甘いにおいを含んだ湯気。〝こめ〟は小麦と同じ穀物なのだとユウキは言った。このかすかに甘いにおいは〝こめ〟のにおいなのだろう。


「ぐつぐつ煮立ってきたらといた卵を回し入れる。卵もタンパク質だったかな。タンパク質は免疫力を高めてくれる……って言ってた気がする」


 前世の父親の受け売りなのだろう。ユウキは記憶をたぐるように目を細めながら〝おかゆ〟に回し入れ、手鍋にフタをした。


「火を止めて、少し待って……卵がかたまったら……よし、完成」


 かすかに甘い〝こめ〟のにおい。旨味たっぷりの〝さらだちきん〟のにおい。

 ユウキがふたを開けると湯気とともにおいしそうなにおいがふわりとただよった。


「ゴマ油をかけてもおいしいかもって母さんは言ってたけど……」


 〝ごまあぶら〟? と首をかしげる俺には気がつかずにユウキは微笑んで思い出話を続ける。


「でも、そう言いながらもうれしそうに父さんが作ったおかゆを食べてたから……だから、父さんのレシピそのままで作ってみた」


 小皿にスプーンでおかゆをよそってユウキが差し出す。


「味見してみて。……熱いから気をつけろよ」


 ユウキはユウキでスプーンでおかゆをすくって、フーフーと冷ましてから一口。


「……うん、この味」


 きゅっと目をつむってうれしそうにそう言ったのは前世の〝父さん〟が〝母さん〟に作ってあげた〝おかゆ〟と同じ味にできあがっていたからだろう。

 そして――。


「……アル、どう?」


 不安げに俺のようすをうかがうのはこの国、この世界にはない料理だから。俺や父様が食べたことのない料理だからだ。

 ユウキにじっと見つめられながら俺は恐る恐る小皿に口をつけた。


「あっつ!」


「だから、熱いから気をつけろって言っただろ」


 乳兄弟の兄担当と言わんばかりの顔で苦笑いするユウキに唇をとがらせ、フーフーと冷ましてから改めて〝おかゆ〟を口に含む。


 見た目通りのとろりとしたのどごし。不思議なのどごしだけど不快じゃない。いつも食べている料理に比べるとずっとうす味だ。だけど味がないというわけじゃない。

 〝こめ〟の甘さや〝さらだちきん〟のうま味がとけ出している。あんなにもにおいの強かった〝ながねぎ〟も火を通したことでしっとりとなじんでいる。

 そして、それら全部を卵がふんわりと包んでまとめている。


 なんていうか――。


「……優しい味」


「じゃあ、まずくはないんだな? ……よかったぁ!」


 思わずつぶやいた瞬間、ユウキはほーっと息を吐き出したかと思うと笑い出した。


「長ネギのにおいがきついってとんでもないぶさいく顔になるからさ。おかゆも食えたもんじゃない! なーんて言われたらどうしようかってドキドキしてたんだよ!」


「ユウキだってこの国、この世界の料理を食べて生きてきたんだ。俺に聞かなくたってわかるだろ」


「なー。わかりそうなもんなんだけどなー」


 心底、安心したようすで笑うユウキを見て金色の前髪をくるくると指でいじった。


「アルのおすみつきももらったし、もうすぐ昼食の時間だし。アーリス城の陛下のところに……アルのお父さんのところに行こうか!」


 と、言いながらユウキがフタをした手鍋を布で巻き、取り皿とスプーンといっしょにトレイに乗せるのを見て首をかしげる。


「なんで布で巻くんだ?」


「冷めにくくするため。……アル、ドアを開けて」


「末っ子王子とはいえ王族の俺に向かって……」


「ドアを開けてください。お願いします、アルバート様」


 俺の言葉をさえぎって大仰な仕草で頭をさげるユウキにフン! と鼻を鳴らす。


「それはそれで腹が立つ」


「……おい。わがまま言ってないでさっさと開けろって」


 あきれ顔でため息をつくユウキは乳兄弟の兄担当と言わんばかりの顔をしている。いつもどおりの、俺が知っているユウキの顔だ。


 大丈夫。


 そう言い聞かせる。

 十三年間、俺といっしょにこの国、この世界の料理を――この国、この世界の料理だけ・・を食べて生きてきたはずなのに。それなのに〝おかゆ〟が俺やこの国、この世界の人の国になじむかわからないと言って不安そうにしたりしても。

 それでも、目の前にいるユウキは乳兄弟の兄担当という顔をしている、俺の乳兄弟のユウキだ。


 だから、大丈夫。


 そう自分に言い聞かせて俺はニヤリと笑ってみせた。


「ここにはユウキしかいないんだ。ネコをかぶる必要も、素直でかわいい末っ子王子を演じる必要もないだろ?」

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