第3章 片手でお手軽……。

第23話 ぶっ倒れてる!?

 小アーリス城の一階にある王子、王女用の食堂には七人分の席が用意されている。今朝はそこに五人分の朝食が用意されていた。

 一番上の兄と二番目の姉は成人していて父様の仕事を手伝っている。朝食が並べられていない席は二人の席で、それぞれ国内のどこだかに視察に行っていた。

 だから、この場には五人の王子、王女がいてナイフとフォークを手に優雅に朝食を取っていないとおかしいのだけど――。


「……」


 ななめ前の空席をちらっと見て俺はこっそりため息をついた。

 その席に座るはずの一番年の近い姉・オリヴィアは兄弟たちが朝食を食べ終えようかというこの時間になってもいまだに姿を現さない。


 朝・昼・夜、三食の食事が出される時間は決まっている。

 本の虫で通称・ひきこもり姫なんて呼ばれている十五才の姉は遅刻はもちろん、食事をすっぽかすこともよくある。席が空いていることなんてしょっちゅうだ。

 でも――。


「もう丸三日、見かけていないんだが……」


 食事をしている兄や姉たちに聞こえないように小さな声でぼやいて俺は再びため息をついた。

 オリヴィアを丸三日、見かけていないということはオリヴィアが丸三日、食堂に食べに来ていないということだ。朝食も、昼食も、夕食も、丸三日。

 乳兄弟のオクタヴィアが部屋に食事を運んでいるだろうからオリヴィア自身のあまり心配はしていない。

 ただ――。


「いいかげん本を借りたいんだよなぁ」


 やっぱり小さな声でぼやいて俺はギコギコとナイフで切った肉を口の中に放り込んだ。


 父様に〝おかゆ〟を持っていったあと、俺とユウキは書庫に立ち寄った。

 転生者だったというお祖父様の乳兄弟が残した日記や、他の転生者について調べてまとめたという本を借りて帰ろうと思ったのだ。


 でも、目的の本が見つからない。

 探して、探して――結局、書庫担当の使用人に聞いていみたら困り顔でこう答えた。


「大変もうしわけありません、アルバート様。お探しのこちらの本も、こちらの本も、すべて貸し出し中なんです。オリヴィア様が借りていらっしゃって……」


「……へ?」


「借りるとしばらく返って来ないんですよ。一度に何十冊も借りて行かれて、全部読み終わるまで……読む物がなくなるまで返しにいらっしゃらないのです」


「全部、読み終わるまで……返しに来ない……?」


「急いでらっしゃるようでしたら直接、行ってオリヴィア様か乳兄弟のオクタヴィアにおっしゃってみてください。読み終わっていればすんなり本を渡してくださるそうですよ」


 困り顔で微笑む使用人を見て俺は末っ子王子スマイルが引きつりそうになるのを必死にこらえた。


 つまり、オリヴィアが本を長い期間、それも大量に返さないのはいつものこと。

 いつまで経っても返ってこない本に困り果ててオリヴィアのところに直接、取りに行った者もいるということ。

 そして、読み終わっていればすんなり渡してくれるけど、読み終わっていなかったらすんなり渡してくれないということだ。


 書庫からの帰り道。

 金色の前髪を指でくるくるといじりながらため息まじりに思った。


 小アーリス城に住まう王子、王女は六つの領の後ろ盾やら期待やらを背負って常に、静かに、王位継承権を争っている。実家の後ろ盾も王位継承権もないに等しい末っ子王子の俺相手でも気を許したり本心を見せたりすることは決してない。

 そんな冷めた兄弟関係な上に相手はひきこもり姫のオリヴィア。

 わざわざ会いに行く気にはならないし、どうせ食事のときに顔を合わせるのだ。そのときに聞いてみよう、そうしよう。


 そう思っていたのに――。


「三日経っても会えすらしないとはなー」


「昨夜と今朝はオクタヴィアも来てなかったよ。……アル、露骨に面倒くさそうな顔をするなって。誰が見てるかわからないんだからネコをかぶって、ネコを」


 食堂を出て合流するなり乳兄弟の兄担当と言わんばかりの顔で説教するユウキににーっこり。


「面倒くさいなんて全っ然、思ってるよ!」


 きゅるん☆ とかわいい末っ子王子スマイルで言うとすぐさまユウキの顔が引きつった。


 乳兄弟の食堂は王子、王女用の食堂の隣にある。ユウキやオリヴィアの乳兄弟であるオクタヴィアもそちらで食事を取ることになっていた。

 オクタヴィアはオリヴィアと同じ十五才で、オリヴィアと違って人懐っこく活発な性格をしている。食べることが大好きなものだから食堂には毎日毎食、姿を見せていた。オリヴィアが王子、王女用の食堂に姿を現さないときでも必ず、だ。

 それなのに昨夜と今朝はオクタヴィアまでもが食堂に姿を見せていないという。


 金色の前髪をくるくると指でいじりながら思い出す。いつだったかメイおばさんが言っていた。


 ――ここだけの話ね、国王陛下もオリヴィア様も最近、あまり食べてくださらないとかで料理長たちやラルフ、オクタヴィアが頭を悩ませているんですよ。

 ――元々、細くて小さいオリヴィア様が食べないのも心配ですけど、心配のし過ぎでオクタヴィアまで細く、小さくなってきちゃった気がして……。


 と、――。


「乳兄弟に付き合わされて振り回されて……オクタヴィアも大変だなぁ」


 同じくメイおばさんの話でも思い出したのか、ユウキが言った。


「オクタヴィアもってなんだよ、ユウキ。まるで自分も付き合わされて振り回されてるみたいな言い方だな、おい」


「気苦労がたえないよなぁ、オクタヴィア


 じろりとにらみつけるとユウキは澄ました顔で繰り返す。末っ子王子とはいえ王族相手に本当にいい度胸だ。

 今は人の目がある。よし、あとで蹴飛ばそうと心に決めて俺は小アーリス城の二階に続く階段に向かった。


「わざわざ行きたくなんてなかったんだけどなぁ」


「たかだか一階分あがるだけだろ」


「その一階分が大きいんだよ」


 体力的にじゃなく精神的に、という言葉は口にはしないでおく。でも、言わんとすることは伝わったのだろう。


「……王族も大変だな」


 なんて困り顔で言いながら階段を登り切ったユウキがかたまった。


「おい、ユウキ。何してるんだ。さっさと行け」


「いや、でも……」


 言いよどむユウキに首をかしげ、体をかたむけてユウキの視線の先にあるものをのぞきこんだ。

 何を見てユウキはかたまっていたのか。


「あれは……オクタヴィア、かな」


「多分……オクタヴィア、だろうな」


 どうやらオクタヴィアを見てかたまっていたらしい。

 ただし、ただのオクタヴィアではない。オリヴィアの部屋の前の廊下でうつぶせにぶっ倒れているオクタヴィアだ。

 そう、オリヴィアの乳兄弟であるオクタヴィアがうつぶせにぶっ倒れて――……。


「ぶっ倒れてる!?」


「ぶっ倒れてる!!」


「病気か!? 事故か!? 事件か!?」


「落ち着いて、アル! こういうときは110番だよ!」


「〝ひゃくとーばん〟!? なんだ、それは!」


 あわてふためく俺とユウキのやりとりを聞いているのかいないのか。


 グルルルルゥーーー。


 うつぶせにぶっ倒れているオクタヴィアは獣の唸り声的なぞの音を発したのだった。

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