第57話 晴れた空色の、リラ茶。

 ネコをかぶっている手前、かわいい末っ子王子は〝オリヴィア姉さまの命令〟に困り顔でうなずくしかない。

 それに昨日の夜、部屋を出たときにはまくらしか持って出なかった。俺とユウキの二人で使っていた部屋から別の部屋に移るにしろ、一度、荷物をまとめに行かないといけない。それで一応は〝オリヴィア姉さまの命令〟に従ったことになるだろう。

 そんなことを考えながら朝食を食べ終え、小アーリス城一階にある自分の部屋の扉をノックした。


「荷物を取りに来ました」


 意図せずやってきた〝ネコ〟が昨日の夜と同じように勝手に覆いかぶさる。爪を立てているかのように断固としてしがみつくネコにため息を一つ。金色の前髪をくるくると指でいじりながら返事を待つ。

 ところがいくら待っても部屋の中から返事が返ってこない。


「入りますね」


 そう言って扉を開けると部屋の中が暗い。起きたときに開けるはずの厚手のカーテンが閉まったままになっている。窓に歩み寄り、カーテンを開け放つと部屋のすみずみにまで日が差し込んだ。


「……どこ行った、あいつ」


 ユウキの姿はどこにもない。ベッドにも、ソファにも、勉強机にも。その代わりにソファの前のテーブルにティーポットとティーカップが置かれていた。


 歩み寄り、テーブルの惨状を見下ろす。

 ティーカップはソーサーの上で横倒しになっている。なんらかの理由でティーカップを倒してしまったあと、その人物はテーブルを拭くこともなく、あわてたようすでティーポットをその場に置き、部屋を飛び出して行ったらしい。


 ティーポットのふたを開ける。入っていたのはリラ茶。晴れた日の空のような青色をしたお茶で、俺の母方の実家であるグリーン領の数少ない名産だ。ティーポットはすっかり冷たくなっている。きっと中に入っているリラ茶も冷め切っている。

 一体、いつからここに置いてあったのだろう。ティーポットの中の青色を見つめる。


 ――もう知りません!

 ――二人とも、そうやって好きなだけそっぽを向いて、ケンカしていてください!


 不意にソフィーの声が聞こえた気がした。俺の乳母で、ユウキの母親で、俺たちが八才のときに熱病にかかって死んでしまったソフィーの声。

 そして――。


 ――今日はもうおやすみなさい。

 ――でも、青色の空が出たら仲直りするのよ。

 ――仲直りをしたらソフィーにもごめんなさいって言うの。


 そっぽを向いている俺とユウキの額にキスをしてくすくすと笑う、今はグリーン領にいる母親の声も。

 金色の前髪をくるくると指でいじる。いないくせにやけに存在感のある二人の声にため息を一つ。


「わかってます。わかってますよ、言われなくても」


 誰にともなくぼやいてティーポットのふたを元に戻す。


「まったく……末っ子とは言え王族の俺に迎えに来させるとは。ユウキのくせにいい度胸だな」


 ユウキがいつ、リラ茶をれたのかはわからない。でも、どこに行ったかはわかる。こういうとき、ユウキの行き先は一つしかない。

 きびすを返して部屋を出る。廊下をちょっと歩けばすぐに裏口。そして、裏口を出てちょっと歩けば目的地だ。

 小アーリス城の裏にひっそりと建つ納屋。その扉をそっと開けた。


「ユウキ、いる?」


 納屋の扉を開け、ネコをかぶったまま声をかける。納屋の中にユウキ以外の誰かがいる可能性もなくはない。

 この納屋には馬の寝床にするためのわらがつまれている。それを城内で暮らす犬やネコたちも寝床として使っている。

 それから――。


「……アル」


 〝こういうとき〟のユウキもだ。

 わらの上で丸くなっている犬たちの中でも一番体が大きくて、茶色の毛がふっさふさで、抱き心地抜群なのがテディ。そのテディの首にしがみついていたユウキがゆっくりと顔をあげた。

 広くはない納屋の中をぐるりと見まわす。いるのは犬とネコとユウキだけ。他の人間の姿がないのを確認して俺はかぶっていたネコをさっさと脱ぐと腰に手をあててユウキをにらみつけた。


「末っ子王子とは言え王族である俺に迎えに来させるとはいい度胸だな」


「……探した?」


「まさか。俺の乳兄弟ならここでテディの首にしがみついていることはわかりきっているからな」


 お決まりのやり取りのあとにフン! と鼻を鳴らす俺を見上げてユウキは困ったように微笑んだ。それも束の間。


「昨日、アルに言われたこと……あのあと、ずっと考えてた。今の俺はどっちなんだろうって」


 表情をくもらせ、再びテディの首に顔をうずめた。


 ――俺の乳兄弟のユウキ・ミラーか、それとも転生者の〝コンノユウキ〟か。

 ――今のお前はどっちだ。


 昨日、俺はユウキにそう尋ねた。そのことだろう。


「前世の俺は――紺野 佑樹は犬が怖くて、さわるどころか近づくこともできなかった」


 ユウキにしがみつかれたテディはふっさふっさとうれしそうにしっぽをふっている。でも、いつまで経ってもユウキはなでてくれないし顔をあげもしないものだからしょんぼりとしっぽを下げてしまった。


「へえ、俺の乳兄弟とは大違いだな」


 ユウキの代わりにテディの頭をくしゃくしゃとなでる。わずかに顔をあげたユウキがこくりとうなずき、そんなユウキのほほをテディがべろんとなめた。


「それにユウキ・ミラーとしての記憶もちゃんとある。〝青色の空が出たら仲直りするのよ〟」

 

 テディにほほをなめられて少し元気が出たのか。もうちょっとだけ顔をあげたユウキを俺は黙って見つめた。


 それは俺の母親が俺とユウキに言った言葉。

 そして――。


「〝リラ茶は晴れた日の空の色。青色の空の色。これを飲んでさっさと仲直りしなさい〟。……ほら、ちゃんと覚えてるんだ」


 それは俺の乳母で、ユウキの母親であるソフィーがユウキに言った言葉だった。

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ネコかぶり末っ子王子の戦争回避譚 ~乳兄弟が転生者でスキル持ちになったので全力で利用させていただきます~ 夕藤さわな @sawana

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