第6話 すれ違う想い

 エレオノーラは海の中を泳ぎ、再び森の中の泉に来ていた。彼が再びここに来ることはわかっていた。また暫く顔を合わせられないことを名残惜しく思ってくれるのか、彼らは船が出港する直前にも顔を見せに来てくれるのだ。

 暫く待っていると、思った通りさくさくと草を踏みしめる音がして、木の影からエドワルドが姿を現した。


「エドワルド様」

「エレオノーラ」


 声をかけると、エドワルドがにこやかな顔でこちらへやってくる。エレオノーラを見つめる瞳はいつも通り優しい。

 そして案の定、エドワルドの後ろから、不機嫌そうな顔でギルバートも姿を現した。彼は何か言いたそうな顔をしていたが、また暫く会えなくなるという二人の気持ちを汲み取ってくれたのか、腕組みをして黙ったままだった。


「エレオノーラ、こっちにおいで」


 エドワルドが囁くような声で言う。エレオノーラはこくりと頷くと、切なげな表情で岸に近づいた。

 エドワルドが微笑み、手に持っている何かをエレオノーラに差し出す。よく見ると、それはダイヤがついた豪奢な首飾りだった。


「とっても綺麗……」

「昨日のペンダントのお礼に持ってきたんだ。早く船に乗れとギルには怒られてしまったけどね。それでも船に乗る前に君にこれを渡したかった」

「本当に頂いて宜しいのでしょうか?」

「もちろんだよ。君に似合うと思って、僕が選んだんだ。受け取ってくれるかい?」


 エレオノーラが頷くと、エドワルドが岸辺に膝をつき、ゆっくりと首飾りをかけてくれる。喉元で輝くダイヤを見て、エドワルドが目を細めた。


「思った通り、君によく似合っているよ」

 その笑顔を見た途端、エレオノーラの胸がきゅっと締め付けられた。首から下げた小瓶を両手で握りしめ、彼の顔をじっと見つめる。

「エドワルド様、もし私が人間になったら、私をあなたのお嫁さんにしてくださいますか?」

「君が僕の側にいてくれたらどんなに嬉しいかとは思うよ。でも、君は人魚だ。僕と君では生きる時間も、場所も違う」

「いいえ、人魚にはひとつだけ人間になれる方法があるんです。もし私が人間になれたら……その時は……私をあなたのお側に置いてください」


 エレオノーラの言葉に、エドワルドの瞳が開かれる。何かを言おうと開いた口は、だが言葉を発することなく閉じられた。何か言いにくそうなことを言おうとしている、そんな感じだった。


「エドワルド様……」


 エレオノーラが懇願するように言葉を紡ぐ。だが、反応したのはエドワルドではなかった。


「なんだと?」


 低く、鋭い声が飛ぶ。見ると、腕組みをしながら近くの木にもたれ掛かっていたギルバートが、灰色の瞳を大きく開きながらこちらを見ていた。


「お前が人間になれるだと? それは本当か?」

「そうよ。おかあさまにもらった薬を飲めば、私も人間になれるの。人魚姫もそうだったわ。私も人間になりたいの。だからエドワルド様、私をあなたのお側に置いてください」


 エレオノーラが懇願するかのようにエドワルドを見上げる。だが、その視線を遮るかのようにギルバートが二人の間に割って入り、エレオノーラを冷たい目で見下ろした。


「エレオノーラ、お前は人魚だ。種族としての本分をわきまえろ。例え人間の体を得て陸にあがったからと言って、お前のような能天気がこの世界に馴染めるとは思えん。俺は断固として反対する」

「何よ! あなたには関係ないじゃない! どうしてそういうことを言うの!?」

「人間の世界はお前が思っているより単純じゃない。その生き物には、その生き物に適した環境が必要だ。世間知らずの人魚は、海で生活している方が良い」

「私はただ、好きな人と一緒にいたいだけなのに、どうしてわかってくれないの? ギルバートは私とエドワルド様が結ばれることに反対なのね!」


 ギルバートの言葉に、エレオノーラが噛みつくように返す。心なしか涙混じりの声になってしまったのは、思いのほか彼の言葉に傷ついていたからかもしれない。

 泣きながら怒るエレオノーラを見て、ギルバートが微かに動揺したように見えた。だが彼は鋭い瞳でエレオノーラを射るように見つめると、静かに口を開いた。


「そう受け取ってもらっても構わない」

「何よ! あなたって本当に意地悪ね! 私、あなたのこと大嫌いだわ!」


 怒りと共に吐き捨てると、エレオノーラはざぶんと海の中へ飛び込んだ。もう好きな人に会えた気持ちも、喜びも、どこかへ行ってしまった。

 海中でしくしくと泣きながらエレオノーラは首にかかっている瓶を手に取る。胸元でぎゅっと瓶を握りしめながら、エレオノーラはずっと泣き続けていた。


 どれほどの間泣いていたのだろう。両目に光る涙を手の甲でぬぐうと、エレオノーラは手の中の小瓶に目を落とした。瓶の中に入っている真珠色の液体がとぷんと微かに揺れる。これを飲めば、二人と同じ人間になれるのに。

 エレオノーラは肩を落としながら小瓶の鎖を首にかけた。エレオノーラが人間になることについて大歓迎されるとは思っていなかった。だがそれでも、人間になることをあれだけハッキリ拒絶されるとも思っていなかったのは事実だ。エドワルドの困ったような顔と、ギルバートの冷たい視線を思いだし、エレオノーラの心は泥沼のように沈んだ。

 エレオノーラは、彼らのことを友達だと思っていたけれど、彼らは自分のことを友達として見てくれなかったのだろうか。彼らの目には、エレオノーラは友達ではなく、ただの人魚として映っているに違いなかった。


(やっぱり私はひとりぼっちなんだわ……)


 意識した途端、またもや涙が出てくる。急にシェルに会いたくなり、エレオノーラは彼を探して海の中をゆっくりと泳ぎ始めた。

 シェルの姿を見つけようと辺りをぐるりと見回す。だが、いつもは容易く見つけられる小さな友達の姿はどこにもいなかった。今日は魚達もあんまり泳いでいないのに……と思った瞬間、エレオノーラは何かに気づいてハッと目を見開いた。

 天からの恵みを受けて明るく照らされている海の中に、海中を彩る小魚が一匹もいないのだ。季節や時間帯によって魚の数は変動するが、ここまで静まり返っているのは異常だ。心なしか海の色もいつもよりくすんで見える。

 嫌な予感がして、エレオノーラは尾ひれをくゆらせ、慌てて海上へと泳いでいった。

 ざぶりと水面を掻き分けて頭を外に出すと、青い空がどこまでも続くように広がっていた。いつもと変わらない綺麗な空。だが、少しだけ風に雨の匂いがまじっている。


 ──嵐の兆候だ。


 小魚達が岩の影に身を潜めているのも、この後に海が荒れることを教えてくれていた。だが、エドワルド達の乗った船はもう間もなく出港してしまうだろう。このまま海に出れば間違いなく彼らが乗った船は嵐に巻き込まれてしまう。

 エレオノーラは慌てて海に潜ると、船着き場を目指して大急ぎで泳いでいった。

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