第33話 彼の為に

 その日から毎日エレオノーラは海辺に行き、海の生き物を見つけると何か新しい情報はないかと聞き込んだ。すぐに手がかりは得られなかったが、何日か根気よく続けているうちに、やがて一匹の小さなカニから情報を聞き出すことができた。


「エレオノーラ、町中にある橋の下で男が二人話をしていたよ。第一王子殿下を排斥する為の話をしていた」

「それはどんな人だった?」

「フードで顔を隠していたからわからなかった。声の感じは若い男と年配の男だったね。銀の馬亭で会おうと言って別れたよ」

「銀の馬亭?」

「高台にある川に面した料亭だね。カメに頼んでそこまで泳いでもらったけど、さすがに料亭の中の会話までは聞こえなかった」

「そうなの。ありがとう。カメさんにもお礼を言っておいてちょうだい」


 エレオノーラの言葉に小さな友達は微かに体を揺らし、海の中へ戻っていった。カニの姿を見送ったエレオノーラは暫らく考え込んだあと、おもむろに立ち上がってその場を去った。


 その日、一度屋敷に帰ったエレオノーラは、夕暮れ時に再び屋敷を出た。本当はもう少し夜に近くなってからが良かったが、あまり遅くなるとハンナに心配される。小さな瓶にシェルを入れ、その瓶を籠の中に入れるとエレオノーラは馬車に乗った。

 向かった先は町だ。もうすぐ空が闇を纏い始めようという黄昏時は、空が火事のように赤々と燃えていた。エレオノーラはカニに教えてもらった場所へと歩いていく。暫くすると、目の前に目的地である銀の馬亭の看板が現れた。裏通りにある小さな料亭で、彼らの言った通り町中を横断する川に面している。

 中に入ると、来客を告げるベルの音がカラカラと響いた。


「いらっしゃい、何にしますか?」


 店主の野太い声が聞こえる。店内は薄暗く、まだ日が高い時間だからか客足もまばらだ。エレオノーラが中に入ると、店の客達がジロジロと不躾な視線を寄越してきた。明らかに女性が一人で入る店ではない雰囲気に怯えながらも、エレオノーラは水槽の近くの席に座った。

 注文を聞きに来た店主にホットミルクを出してもらうよう告げる。席に座ったエレオノーラはなるべく目立たないように外套のフードを目深に被り、息を殺しながら座っていた。

 最初は若い女性が来たことに物珍しい視線を送っていた客達も、段々と興味がなくなってきたのか一人、また一人と視線を外していく。出されたホットミルクに手をつけながら、エレオノーラは机の下に置いてある籠からそっと瓶を取り出した。


「シェル、ごめんね。またすぐに来るからね」


 小声で瓶に話しかけると、シェルが微かに体を揺らす。肯定の意味だろう。エレオノーラは意を決すると、隣に置いてある巨大な水槽の中にシェルをぽちゃんと入れた。見たところ大型の魚やザリガニはおらず、店内も薄暗い為、藻や葉の影に隠れていれば店主に見つかることもないだろう。

 シェルが藻の裏に隠れたのを見届けると、エレオノーラはホットミルクの残りを飲み干し、銀の馬亭を出た。


 そこから数日おきに銀の馬亭に足を運び、何か新しい情報が聞けたかをシェルに訪ねた。だが、カニが言っていた男達はなかなか姿を現さないらしく、シェルは黙って首を振るだけだった。

 そうこうしているうちに王宮の方でも状況が少し変わったようだった。ある晩に王宮から帰ってきたギルバートは、屋敷につくなりまたすぐに身支度を整え始めた。


「どこかに行くの?」

「今からまた王宮に戻る。多分数日……下手をすると数ヶ月は戻れないだろう」

「何かあったの?」

「最近ベルマン家の動きが怪しい。表立った動きはないが、どうもきな臭い」


 ベルマン家とは、以前船に乗った際に聞いた名前だ。ギルバートの生家であるランベルト家と対立しており、第二王子を擁立しようとしている噂もある。今はエドワルドの身を守ると同時に、今度こそ反乱分子の尻尾を掴むチャンスなのだろう。だが、胸中を満たす不穏な気配に、エレオノーラはきゅっと唇を結んだ。視線を落とすと、ギルバートの腹が目に入る。あの時の惨劇が蘇り、エレオノーラはぶるりと身を震わせた。

 エレオノーラの視線に気付いたのか、ギルバートがふっと微笑み、エレオノーラの頭に手を置く。


「俺なら大丈夫だ。ハンナを宜しく頼む」

「ええ……わかっているわ」

「なんだ。今生の別れでもあるまいし、そんな顔をするな」


 泣きそうになるのを堪えながらなんとか言葉を紡ぐと、ギルバートが微かに笑う気配がする。彼の手が後頭部をなぞって下におり、頬に添えられた。


「イヤリング、つけてくれているんだな」


 彼の指が真珠を揺らし、そしてゆっくりと離れていく。


「サラには二人をよく気にかけてもらうように伝えている。何かあれば彼女を通して連絡をしてくれ」


 そう言うと彼は剣を掴み、また屋敷の外へと出ていった。


※※※


 ギルバートが屋敷を留守にしてもう数日が経った。時折サラから手紙が届けられるが、特に進展はないようだ。彼も配下の者に探らせているが、ベルマン家がどこで何をしているのか一向に尻尾を掴めないらしい。

 エレオノーラも海辺に行って小さな仲間達に新たな情報がないか聞いたり、銀の馬亭でシェルに話を聞いたりしていた。そしてとうとう、シェルが気になる情報を口にした。


「エレオノーラ、昨日来ていた男達がエドワルドの話をしていたよ」


 ある日の夕刻にエレオノーラが銀の馬亭に行くと、席についた途端にシェルがぷくりと泡を吐いた。


「どんなこと? 何を言っていたの?」

「今晩決行すると言っていた。今夜王子が出席する貴族同士の集まりに行く道中でやると言っていたよ」

「今日の晩? もう時間がないわ」


 エレオノーラが慌てた声を出し、窓に視線を向ける。まだ日が高く、窓の外には青空が広がっているが、赤い夕焼けが徐々に地平線を染め始めているのが見えた。


「この料亭は貸し切りにして大規模な宴会を開くことができるらしいんだ。その日は限られた人しか店に来ることができない。おそらくは宴会を隠れ蓑にして情報交換をしているんだろうね。多くの人間が騒いでいる中、僕の水槽の近くで男が二人ヒソヒソ話をしていたよ。王子が乗った馬車がクレオール橋を通る所で襲わせると」

「わかったわ。シェル、ありがとう。早くこれをギルバートに伝えなきゃ」


 エレオノーラは慌てて水槽から瓶にシェルを移し替えると、馬車に飛び乗って急いで王宮へと向かった。


 王宮へついた途端、エレオノーラは裏手に回り、ギルバートに会わせてもらうよう衛兵に懇願した。だが、衛兵の答えは、今は外部の者を入れることはできないと言う冷たいものだった。


「今はどんなに身分の高い者であっても、王家の紋章がついた許可証がない限りは出入りを禁ずる。ギルバート様からの命令だ」

「ではそのギルバート様をお呼びして」

「ギルバート様は外出中だ。第一王子殿下に侍っている。行き先は教えられない」


 職務に忠実な衛兵は頑として首を縦に振らなかった。彼が言っていることが本当なのか体よく断られているのかもわからない。エレオノーラの胸中が焦りで急き立てられるが、今の自分にはどうすることもできなかった。

 助けを求めるかのように周囲を見回すと、王宮の裏手に停められた荷馬車から人夫たちが荷の積み下ろしをしている姿が見えた。馬車にはユリの紋章が描かれている。サラの家であるグレイス家の馬車だ。その紋章を目にした途端、エレオノーラは衛兵に食って掛かるように懇願した。


「ではサラ様に言付けを頼みます。紙とペンを貸してください」


 エレオノーラが言うと、手紙くらいは渡しても問題ないと思ったのか、衛兵が紙と羽ペンを持ってきてくれた。慌てて書いたので筆跡もガタガタで最低限の情報しか書けなかったが、重要な情報さえ伝われば良いだろう。誰が味方で誰が敵かわからないこの王宮内で、唯一サラだけがこの手紙を確実にギルバートに渡してくれる存在なのだ。

 署名はしなかった。ギルバートの忠告通り、自分が人魚であることはサラには隠している。なんの伝手も動かせるものがないエレオノーラが、この重大な事実を掴むのはどう考えても不自然だ。後々情報の出処を問われない為にも、手紙の差出人は伏せておいた方がいい。

 そして署名をしなかったのにはもう一つ理由があった。エレオノーラの名前がなければ、この手紙はサラからのメッセージとしてギルバートに伝えられるだろう。そうなれば彼の中でサラは強く印象付けられるに違いない。

 今回はたまたまエレオノーラが情報を手にするのが早かったが、サラの持つ配下の多さを考えれば遅かれ早かれ彼女も真実を掴んでいただろう。その時に頼りになるのは、やはり地上における力を何一つ持たないエレオノーラより、使えるものも多く立ち回りの上手いサラなのだ。

 だからエレオノーラは自分の思いを託すことにした。一刻も早く彼に安らぎが訪れるように。貴族社会の中で喘ぐ彼に最大の味方ができるように。


(お願い、サラさん……ギルを幸せにしてあげて)


 書き終えた手紙を畳み押し付けるように衛兵に渡すと、エレオノーラは祈るような気持ちでその場を去った。


※※※


 サラ・グレイスは生家の権力で王宮へと来ていた。王宮で缶詰になっているギルバートを少しでも助けたいと思う一心で彼女もまた王宮にいることが多かった。

 王宮でギルバートの姿を見かけることは多々あったが、ろくに話しかけることすらできない程に彼はピリピリと神経を尖らせていた。先程も配下を引き連れて廊下を歩く彼の姿を見かけたが、近くにいたサラの姿には気付かなかったようで横を素通りしただけだった。ギルバートの力になりたい一心で自分の手の者に早く情報を掴んでくるよう指示を出していたが、配下の者もなかなか有益な情報を持ってこない。サラは焦っていた。


(早くギルバート様の助けになるような情報を伝えなければ…)


 サラが唇を噛みながら廊下を歩いていた時だった。一人の衛兵に呼び止められたサラは苛立ち紛れに振り向いた。


「何用ですか。今忙しいのだけれど」

「サラ様。お言付けを賜っております。これを貴女にと」

「誰からですか? 心当たりはないのだけれど……拝見いたしましょう」


 訝しげな顔で紙切れを受け取ったサラはそれに目を通し、途端に大きく目を見開いた。


「これをどこで受け取りましたか?」

「う、裏手の門です。若い女でした」

「わかりました。礼を言います」


 サラは紙を受け取ると、慌ててギルバートの姿を探して王宮の廊下を疾走した。およそ令嬢にはふさわしくない振る舞いだが今はなりふり構っていられない。宮廷内を駆けずり回っていたサラは、やがて他の護衛と話し込んでいるギルバートの姿を見つけることができた。


「ギルバート様。御前失礼いたします」


 彼の元に駆け寄り、最低限の礼を取る。サラの慌てた様子に驚いたのか、ギルバートが会話を中断してサラの方を振り向いた。


「どうした、何かあったのか」

「ギルバート様。私の配下の者が有益な情報を見つけてまりいました」


 そう言ってサラが紙切れをギルバートに渡す。彼女は意図的に嘘をついたわけではない。門の所で紙を渡した女を、自分が偵察に走らせている配下の一人だと思いこんでいただけに過ぎなかった。

 紙切れに目を落としたギルバートの灰色の目が大きくなり、視線に鋭さが増す。


「これは早急に対策をたてねばならん。サラ、よくやってくれた」


 サラを労い、ギルバートは踵を返して足早に王宮の奥へと消えていく。多くを背負わされているその大きい背中を、サラはずっと見守っていた。

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