第34話 手柄

 カラカラと馬車が石畳の道を通る音がする。側面に何の紋章もついていないその馬車は一見するとなんの変哲もないただの辻馬車のようだ。真っ暗な闇の中に浮かび上がる街灯や店の灯りの中を静かに進んでいた馬車は、町中にある大きな橋に差し掛かった。

 ちょうど馬車が橋の真ん中に来た辺りのことだった。突然前方から人影が飛び出し、御者に向かって突撃する。彼が手に持つ短刀の刃が街灯に反射して鈍い光を放った。


「ひぃぃぃぃぃ!」


 前方からの襲撃に怯えた御者は咄嗟に手綱を離して御者台を転がり落ちる。と同時に四方から数人の人影が現れて一斉に馬車へ突撃した。静寂の中に馬のいななきが鋭く響く。いの一番に馬車を襲撃した人影は間髪入れずに馬車の扉をこじ開け、闇の中へ短刀を突き刺す。


「なんだ? 誰もいないだと?」


 短刀が切り裂いたのはただの闇だった。無人の馬車の中で男が困惑の声を上げる。と同時に、馬車の外で絶叫が聞こえた。慌てて男が馬車の外に出ると、暗闇の中に長剣を持った人影が、別の男の影を切り捨てているのが見えた。


「ちっ……! クソっ!!」


 馬車を飛び出した男は橋の上から飛び降りようと欄干めがけて走る。だが、それは叶わなかった。長剣を持った男が逃げようとする男の足を剣で薙ぎ払い、地面にねじ伏せる。


「ベルマン家の手の者だな」


 月を背にしてギルバートの灰色の目が鋭く光る。

 

「お前は……!」

「逃げようとしても無駄だ。橋の下にも人を配置している。観念するんだな」


 ギルバートの言葉に、騎士団の服を来た者が数人で橋を囲む。その中から数人の騎士が走りより、地面に倒れている男を羽交い締めにした。上着を引き剥がし、中から丸まった上質の紙を抜き取る。手渡された紙を伸ばして中身を読んだギルバートは険しい顔をして眉根を寄せた。


「作戦の指示書か。成功報酬はこの手紙と引き換えに受け取る予定だったみたいだな。ベルマン家の紋章は無いが、あの家で間違いないだろう。筆跡を鑑定させろ」


 ギルバートの指示に数人が駆け出す。ギルバートは手紙を畳んで上着の内側に仕舞うと、射るような瞳で賊を見下ろした。


「申し開きはあるか? 殿下を害そうとした罪で極刑は免れないが、貴様をその道に引きずり込んだ首謀者を道連れにすることはできるぞ」


 襲撃した男は唇を噛みながら険しい形相でギルバートを睨んでいたが、自分だけ捨て駒のように切り捨てられるのは許しがたいと思ったのか、燃えるように瞳を怒らせながら口を開いた。


「ああそうだよ! お前の想像通り、これらはベルマン家からの指示だ」

「彼らの目的はなんだ。第一王子の廃嫡か?」

「愚問だな。その通りだ。悪いがそれに関してだけは俺も同意している。異国の野蛮人の血を王家にいれるなぞ言語道断だ。隣国と交流を持ったからと言って我が国の商業や文化が発展するとは思えん。相手国に我が国の技術を持ち逃げされるのが目に見えている」

「やはり今動き出したのは婚姻の内定が起因か」


 ギルバートの眉がピクリと動く。彼は剣を振って血を払うと、静かにそれを鞘に収めた。


「わかった、もういい。こいつを連れて行け」


 ギルバートの指示に、数人の騎士が男を取り押さえ、連行していく。残ったのは血に汚れた橋と壊れた馬車、そして地面に倒れ伏す賊達の死体だった。ギルバートはその場に釘付けになったかのように佇みながら、配下の者たちが後片付けをする様子を光の無い目で見ていた。


 エレオノーラは外套のフードを目深に被り、影から一連の様子をずっと眺めていた。襲撃者が馬車に突撃した時は心臓が止まりそうだったが、影から飛び出したギルバートが賊を取り押さえた所でやっと重い息を吐いた。

 血溜まりの中に佇むギルバートは大捕物を終えた直後だと思えないほどに落ち着いた様子だった。だが剣を右手に持ち、無言で血に濡れた地面を見下ろす姿は、どこか項垂れているようにも見えた。

 今のエレオノーラには彼の気持ちが手にとるようにわかる。エドワルドの暗殺を阻止し、首謀者を捉えた栄誉など彼にとっては些末なものでしかなかった。それよりも、この血にまみれた惨状が自分の手によって遂げられたものだということが、どうしようもなく彼の心を痛めつけている。


(ギル、自分を責めないで)


 隠れていることも忘れてエレオノーラが彼の元に駆け寄ろうとした時だった。

 フワリと視界を横切るのは、闇の中でも目立つ赤と黒。サラが物陰から飛び出してきてギルバートの元へ駆け寄った。


「ギルバート様! 本当に良かったですわ! わたくし、貴方が死んでしまうかもしれないと思うと怖くて怖くて……」


 サラがギルバートの手を取り、切れ長の瞳に涙をためて彼の顔を見上げる。ギルバートは一瞬戸惑いの表情をみせたが、やがてふっと口角をあげた。


「サラの持ってきた情報のおかげだな。ありがとう。貴女には助けられてばかりだ」

「そんな……! 私、ギルバート様の為ならいくらでもお力になりますわ!」

「だが、こんな危険な所に来るのは感心しないな。供は連れているのか?」

「ええ、あちらに。でも私、たとえ一人でもここに来ずにはおれませんでしたわ。だって……」


 突如サラが両腕を伸ばし、ギルバートの体にすがりつく。ギルバートが息を飲み、灰色の瞳が僅かに見開かれた。


「わたくし、ずっと貴方のことをお慕いしているんです。例えわたくし一人であっても、愛しい殿方が命を賭ける場面には居合わせたいという乙女の気持ちはご理解くださいませんか?」

「サラ……」


 ギルバートに抱きつきながらさめざめと泣くサラを見て、ギルバートの手が所在無げに宙を浮く。だが、その手はやがてゆっくりとサラの背中に回された。サラがハッとして目を見開き、頬を赤く染めたのが見えた。


「ありがとう。貴女のその気持ちは素直に受け取っておこう」

「ギルバート様! わたくし、わたくし……!」


 感極まった表情でサラがギルバートの顔を仰ぎ見る。そんなサラの気持ちに答えるかのように、ギルバートも優しい笑みと抱擁で返していた。


 エレオノーラは物陰に隠れながら二人の様子をずっと見ていた。サラがギルバートに抱きつき、彼が抱きしめ返してやるところは、酷く鮮明に映った。

 だが、一方でこれで良かったのだと思う気持ちもあった。何も持たない自分よりも、身分も力もあるサラと一緒にいる方が彼の為にも良いに違いない。


(多分、これで良かったんだわ)


 胸の内側を叩く切ない気持ちを無理やり押し込め、エレオノーラは踵を返して静かにその場を立ち去った。


 ギルバートとサラの婚約が内定したのは、その数日後だった。










※※※

 

 あの騒動で捕まえた賊は様々な事実を吐いた。隣国との婚姻により、貴族社会の基盤が揺るぐことを恐れた貴族達はベルマン家を筆頭に第一王子を暗殺し、第二王子を王位に据える計画を立てていた。賊は処刑され、ベルマン家は当主とその家族、関係者も処刑された上で騎士の称号を剥奪された。

 ギルバートは王子から新しく領地を賜ることになった。ランベルト家とグレイス家の婚約はまだ発表されていないが、近いうちに大きな場を設けて公表される手筈になっている。やっと肩の荷が降りた為か、ギルバートの顔にも生気が戻ってきた。


 ある日の昼下り、エレオノーラはお茶とポットを持ってギルバートの書斎に入った。彼は相変わらず忙しそうだが、現在はグレイス家との婚約の件で色々と調整に奔走しているらしい。


「ギル、少し休憩したら? お茶飲んで」

「あ、ああ。ありがとう。そこに置いておいてくれ」

「それは全部お仕事の紙?」


 ギルバートの机の上に広がっている紙束を見て目を丸くしていると、ギルバートがため息をついて持っていた一通を机の上に投げ捨てた。


「いや、婚姻の申込みだ。先日の一件でまた申込みが殺到している。中には会ったこともない俺に対して熱烈なラブレターまで送ってくるご令嬢もいて正直もううんざりだ。断りの文を入れるこちらの身にもなってほしい」

「ふふ、人気者なのはいい事じゃない」

「いや俺は強面だなんだと煙たがれてる方が性に合う。こんなことなら早く婚約を発表してしまいたいものだが、大きな家の婚約は正式に発表する場を設けるのが筋だと。馬鹿馬鹿しい」

 

 ギルバートが大きくため息をつく。だが、それは先日までの絶望しきったものではなく、単純に呆れから出るものだった。

 クスクスと笑って机の上に盆ごとお茶を置くと、エレオノーラは優しい表情でギルバートを見つめた。


「ギル、サラさんと婚約おめでとう」

 

 努めて明るく言うと、灰色の瞳がこちらを向く。その目が僅かに揺れたが、彼はすぐに目を伏せて口角をあげた。


「安心しろ、お前にもきちんと殿下との婚約を整えてやるからな。この春に殿下と隣国の王女との結婚式が行われる。その後であれば、お前もやっと入宮できるはずだ」

「うん、ありがとう、ギル。私楽しみにしてる……」


 気丈に振る舞っていたつもりだが、最後の方は僅かに声が震えた。胸が詰まる感覚と共にぽろりと涙がこぼれ落ち、エレオノーラは慌てて手の甲で拭った。ギルバートが不思議そうな顔をしてこちらを見やる。


「どうした? 結婚が怖いのか?」

「……ギルやハンナさんと離れるのが寂しくて」

「永久の別れじゃない。ハンナは俺が連れて行くし、また気軽に会いに来ればいい」

「うん……そうよね。ありがとう、ギルバート」

 

 貼り付けたような笑顔で無理やり微笑むと、ギルバートも優しい笑みで返してくれた。その顔を見るのがたまらなく辛くて、エレオノーラはまた切ない胸の痛みに耐えるかのようにそっと目を伏せた。


「お仕事頑張ってね。後でお茶、下げに来るから」


 動揺を隠すように下を向きながら慌てて部屋を出ていく。扉を締めた瞬間に、どうしようもなく苦しい想いに涙が止まらなかった。


(お願い、私に優しくしないで)


 まるでその場から逃げ出すように廊下を走る。涙を拭う腕がほんのり透けて、衣服の色を淡く映し出していた。

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