第14話 外出(2023/05/13加筆)

 次の日、エレオノーラはギルバートと一緒に町に出ることになった。嵐と共に海に飲み込まれてしまった剣を新調する必要があったからだ。と同時に、エレオノーラに人間の世界を見せる目的もあった。

 夜空に光る星のように真珠が散りばめられた濃青のドレスを着せてもらい、髪を凝った形に結い上げてもらったエレオノーラは、鏡の前で目を輝かせた。


「すごい! とても綺麗ね! ありがとう、ハンナさん」

「おほほ。ぼっちゃまとお出かけとあっては気合をいれないわけにはいきませんもの。ねぇ、ぼっちゃま」


 エレオノーラの仕度を整えながらにこやかにハンナが振り向くと、腕組みをしながら様子を見守っていたギルバートの眉がピクリと動く。


「なぜ俺に聞く」

「王子の護衛をお務めする方のお側には可憐なご令嬢が必要ですからよ。さぁ、エレオノーラ様の足にはどの色の靴がお似合いだと思いますか?」

「だからなぜ俺に聞く」


 ギルバートが呆れ顔でハンナを見る。だが、彼女を見るその目はいつもの射るような鋭い光ではなく、優しい色を称えていた。

 仏頂面をしているのもおそらく照れ隠しなのだろう。普段よりもきゅっと真一文字に結んだ口がなんだか可愛く見えて、エレオノーラもクスクスと笑った。


「ギルバートはどっちの色が好き?」


 鏡の前に置かれている青色の靴と白色の靴を指さしながら問うと、ギルバートが腕組みをしながらチラリと視線だけをこちらへよこす。


「お前が好きな方を選べば良いんじゃないのか」

「でもどっちも素敵だから迷っちゃうわ。ギルバートが決めて?」


 彼の灰色の瞳を見上げながらわざと意地悪っぽく言うと、ギルバートがと小さくため息をつきながら腕を解き、右側を指さした。


「そっちの青色が良いんじゃないのか」

「まぁぼっちゃま! 確かにこの色だと、エレオノーラ様の白くて美しい足が映えますものね。私もこちらが良いと思っていましたわ。さぁエレオノーラ様、ぼっちゃまが選んでくださった色のお靴を履きましょうね」


 ハンナがニコニコしながら青い靴をエレオノーラの前に置く。エレオノーラもドレスの裾を持ち上げ、右足をあげてそっと靴に足を入れた。

 美しい青色の靴は、まるでエレオノーラの為にあつらえたかのようにぴったりと足に収まった。だが、次の瞬間にはハンナが何かに気づいたかのように「あっ」と小さく声を上げる。


「エレオノーラ様、申し訳ございません。エレオノーラ様はまだ靴を履いての外出に慣れておりませんから、やはりこちらの白い靴になさいませ。青い靴は少々 かかとが高うございますわ」


 ハンナが心底申し訳無さそうな顔をして青い靴を下げる。代わりに出された白い靴は、なるほど踵の高さが青い靴と違ってだいぶ低かった。


「踵の高い靴は歩きにくいのです。足を捻ってしまえば怪我をする可能性もございますし、何より下手をすれば骨折の可能性もございますわ。一度足を怪我してしまいますと、また元のように歩けるようになるまでにとても時間がかかります。ぼっちゃまにお選び頂いた色でないのは心苦しゅうございますが…私としたことが、気が付かなくて大変申し訳ございませんでした」


 ハンナがしゅんと肩を落としながら頭を下げる。本当に悲しそうな顔をしているハンナを見て、エレオノーラもふるふると頭を振った。


「いいえハンナさん。こちらの色もとっても素敵だもの。私こっちが良いわ」


 にっこり笑って白色の靴に足を通すと、ハンナも安心したかのように微笑んだ。


 仕度を終えたエレオノーラはハンナに挨拶をすると、ギルバートと共に屋敷の前につけてある馬車に乗り込んだ。ムチの音とともに鮮やかな装飾で覆われた馬車はゆっくりと進み出し、街へ向かって走り始めた。

 屋敷から出た馬車はゴトゴトと音をたてながら石畳の道を通って町に出る。馬車から降りたエレオノーラは、その色鮮やかな町並みに一瞬で目を奪われた。

 石畳の道沿いに赤や黄色、緑など明るい色の建物がいくつも並び、どこの建物にも季節の花が飾ってある。町の中には幅の広い川が流れており、川の上に走る大きな橋の上は馬車が行ったりきたりしていた。客寄せの声や話し声があちこちで飛び交い、人々は皆楽しそうに道を歩いている。


「見て見てギルバート! あのお店に飾ってある赤色のふわふわした泡はなぁに? どうして消えないの?」

「あれは風船だな。中に空気が入っている」

「あっちであの人が買っているものはなあに? とっても綺麗だわ!」

「あれは銀細工だな。金属を成型して模様や形を作る。あれはハンナが好きなものだ。後で一つ買っていこう」


 並んで歩きながらもエレオノーラがキョロキョロと辺りを見回し、何かを見つける度に声を弾ませる。ギルバートも、エレオノーラの質問にひとつひとつ丁寧に答えてくれた。


「ギル、これはなあに? とっても可愛いわ!」


 エレオノーラが声を弾ませてギルバートの腕を引く。小さな屋台の店先には可愛らしい形をしたお菓子が並んでいた。

 淡いピンクに白に青。砂糖でできた花や動物が店先にずらりと並べられ、見る者の目を楽しませている。


「これは砂糖菓子だな。食べてみるか?」

「いいの?」

「ああ。店主、すまないがこれをいくつか包んでくれるか」


 ギルバートが砂糖菓子を指さしながら言うと、店主の男がニコニコしながら頷く。


「騎士の旦那、今日はデートですかい? いくつかおまけしておきますよ」

「やめてくれ。私達はそんな関係ではない」

「まぁまぁそんなに照れなくても良いじゃないですか。そこの可憐なお嬢さんの為だと思って受け取ってくださいよ」


 言いながら店主が小さな箱にヒョイヒョイと菓子を詰めていく。簡易な木製の箱に入れてもらった花の砂糖菓子はまるで小さな花畑のようだ。隣のギルバートが頭を抱えるように額に手を当てているが、エレオノーラは目を輝かせてそれを受け取った。

 二人で移動し、往来に置かれたベンチに腰掛ける。砂糖菓子をつまんで口に入れた瞬間、エレオノーラの口に上品な甘みが広がった。


「すごい、とっても美味しいわ! いつも食べてるパンや果物より随分と甘いのね」

「ああ、そうか。お前は菓子を食うのは初めてだったんだな」

「ええ、やっぱり海の外には素敵なものがたくさんあるのね。地上にはこんなに美味しいものがあるなんて知らなかったわ」


 大きな瞳を丸くしながらしげしげと砂糖菓子を眺めていると、隣のギルバートがふっと笑う気配がした。


「どうしたの?」

「いや、出店の菓子くらいでこんなに喜ぶやつを初めて見たからな。そんなに気に入ったならまた買えばいい。欲しくなったら俺かハンナに言うんだな」


 かけられた声は驚くほど優しかった。いつもの彼と違う態度に驚いたエレオノーラは思わず彼の顔を見る。確か彼は昔からエレオノーラが陸に上がることを反対していたはずだ。エドワルドと話せば苦い顔をされ、人間社会のことを知ろうとするとお前には必要のない知識だとはぐらかされ続けてきたのに。

 きょとんとした顔で目を瞬かせていると、彼も怪訝そうな顔をする。


「どうかしたのか」

「いえ……なんでもないの。ギル、お菓子を買ってくれてありがとう。早く行きましょう」 


 胸に微かに抱いたくすぐったい気持ちを振り払うように慌てて立ち上がると、エレオノーラはギルバートから視線をそらして歩き出した。

 

 その後も他愛のない話をしながら先へ進むが、次々に変わる景色はエレオノーラの心を掴んで離さない。

 少し歩くと、前方に大きな噴水が見えてきた。下から上へ向かってふんわりと広がる水は、まるで空中に咲き誇る大輪の花のようだ。水しぶきが日の光を受けてキラキラと輝いている。その美しい建造物に目を奪われた瞬間、靴の先が石畳の隙間にひっかかった。


「きゃっ!」


 足がとられ、ぐらりと体が前のめりになる。硬質な灰色の石畳が視界に迫り、エレオノーラはぎゅっと目を瞑った。

 だが予感していた衝撃はなく、代わりにふわりと体が持ち上げられた。見るとギルバートの腕が自分の腰に回され体をしっかりと支えている。そのまま抱き寄せられ、エレオノーラの背中がギルバートの胸に触れた。


「あまりよそ見をするな。しっかり前を見て歩け」


 顔をあげると、彼の灰色の瞳がエレオノーラを見下ろしていた。その視線は思ったよりも高い。その時初めてエレオノーラは彼の背丈が自分より遥かに大きいことに気がついた。ちょうどギルバートの顔の下に自分の頭が来るくらいだ。腰に回された逞しい腕と相まってまるで大きな体に守られているような感覚に陥り、エレオノーラの胸が微かに音を立てた。


(まるであの時みたい……)


 思い出すのは、幼い自分の側にいて守るように抱き締めてくれた男の子の姿だった。両腕で自分の小さな体を包み込んでくれた優しい温もりを思い出し、ほんのりと頬が熱を帯びる。

 今の気持ちを隠すかのようにエレオノーラはするりと彼の腕から離れ、ぎこちなく視線を外した。


「ギルにそんなことを言われるなんて意外だわ……もっと叱られるかと思ったのに」

「まったく、お前は俺のことを何だと思っているんだ」

「だってギルバートは私が陸に上がるのを反対しているんじゃなかったの?」


 素直に告げると、ギルバートの瞳が一瞬迷うように揺れた。だがすぐにその目はエレオノーラの青い瞳を捉える。


「お前がずっと陸に上がりたかったのはこれが見たかったからなんだろう? だったら少しくらい楽しませてやろうという気にもなる。物珍しい物があって目移りするのもわかるがよそ見はするな。次からは気をつけるんだな」

「わかったわ……ごめんなさい」


 いつもと違って優しい彼の態度にエレオノーラも素直に頭を下げた。しゅんと肩を落とすエレオノーラの目の前に大きな手が差し出される。


「まだ靴に不慣れなんだろう。手を貸す。派手に転んで怪我でもされた方が迷惑だからな」


 言い方はぞんざいだが、自分を思ってのことだろう。エレオノーラはこくりと頷くと、素直にギルバートの左腕に手を添えた。

 服を着ていてもわかる固い筋肉の感触。エドワルドを守る盾となる体だ。隣に立つとギルバートの体格の良さがよくわかる。


「人魚の時はわからなかったけど、ギルバートは思っていたよりも大きいのね」

「殿下をお守りする立場だからな。これくらい鍛えていなければ務まらん」

「人間の男の人って皆こんなにしっかりしているの?」

「さあ、他の種族と比べたことがないからな。男の人魚は違うのか?」

「たまに他の海から男の人魚も来ることがあったけど、でもこんなに腕も太くないし固くもなかった気がするの」


 ほっそりした白く細い腕で彼の腕に掴まっているとその太さの違いがよくわかる。最初に出会った少年の頃の感覚のままで接していたが、彼はもう立派に大人の男なのだ。そう意識した瞬間、なんだか少しだけ落ち着かないようなソワソワした気持ちになった。

 気づかれないようにそっと上目遣いで彼を見上げる。そう言えば今日のギルバートはマントも羽織り、騎士服もしっかり着こなした正装に近い格好をしていた。

 騎士姿の彼なんて昔から何回も見てきているはずなのに、ここ数日で彼のくつろいだ格好を見ていたからか、正装をしている彼がなんだかいつもより男らしく見えた。


(ギルバートがカッコいいなんて……そんなことあるはずないじゃない)


 頭を振って自分の思いを否定する。一度意識してしまってからは、手のひらに感じる彼の腕の感触が気になって仕方がない。

 だが、単純に昔の記憶を思い出して懐かしくなっているのだけなのだろうと思い直し、エレオノーラはギルバートの腕を掴みながら前へと進んでいった。ギルバートの腕を支えにしながら歩くと、驚くほどすいすい歩くことができる。


「俺達が向かってる武器屋はもうすぐだ。もう少し歩けるか?」


 ギルバートの言葉にコクリと頷く。先程よりほんの少しだけ歩く速度を落としてくれた彼の隣に並びながら、エレオノーラはギルバートについて細い路地の中に入っていった。

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