第15話 ラッセルとアイリーン

 大通りから外れて少し細い路地に入った場所。そこに武器屋「ブレーメル武器店」はあった。年季の入った古い木製の看板に、剣と盾の絵が描かれている。ギルバートは慣れたようにドアノブに手をかけ、扉を開けた。


「ラッセル、いるか?」


 カランカランと来客を告げるベルの音に、慌てて一人の女性がパタパタと店の奥から走ってきた。一介の武器屋にいるとは思えない程の美人だ。深い藍色の髪を白いリボンでひとつに結んでおり、優しげに弧を描く目の下にある泣きぼくろがなんとも色っぽい。市井の女性が着るような質素なエプロンドレスを着ているが、その身から醸し出される雰囲気はあでやかで美しかった。


「いらっしゃいませ、ブレーメル武器店にようこそ、ギルバート様」

「ああ、確か君は……アイリーンだったか。すまない、物覚えが悪くて」

「とんでもございません。私はこちらに入ってまだ間もない身ですから無理もありませんわ」


 そう言って彼女──アイリーンが微笑む。笑うとまるで可憐な一輪の花のようだ。エレオノーラがその美貌に見とれていると、アイリーンがこちらを向いて、一瞬だけその薄水色トルマリンの瞳を大きくした。


「ギルバート様のお連れ様でいらっしゃいますか?」

「ああ。彼女は俺の遠い親戚の娘だ。訳あって預かっている」


 あらかじめどうやって説明するか考えていたのだろう。アイリーンの問いに顔色ひとつ変えずにギルバートが答える。

 アイリーンは暫くエレオノーラの顔をまじまじと見ていたが、横にいるギルバートの存在を思い出したのか、向き直って優雅にお辞儀をした。


「失礼いたしました。あまりにもお綺麗なお嬢様でいらっしゃいましたので……こちらへどうぞ」


 アイリーンの案内について店の奥へ入る。薄暗い店内には、ありとあらゆる武器が置いてあった。壁に展示されている戦斧や剣、樽の中に入れられて天井にまで届きそうな程長い槍、紋章の入った盾や少ないながらに甲冑や篭手などの武具も置いてある。

 たくさんの武器に隠れるようにひっそりと椅子に座って剣を磨いていた男が、客人の気配に気がついて顔をあげた。


「これはこれは近衛騎士殿。ようこそお越しくださいました。今日はどういった御用で?」

「すまないが剣を一本見繕ってくれるか?」

「もちろんでございますとも。いつもご贔屓ありがとうございます」


 そう言ってラッセルが立ち上がる。ツンツンした黒髪を赤いバンダナでぐるりと巻いた陽気な雰囲気の男だ。背丈はギルバートよりやや低めだが、それなりに引き締まった体躯をしており、日に焼けた肌が何とも男らしい。

 ラッセルは文机の所に行くと、引き出しを開けて乱雑に中を引っ掻き回した。


「ギルバート様、少々お待ちくださいよ。確か前回剣を買われた際に、長さや重さを記録してあったはず……」


 ややズボラな性格なのか、机の中は雑多でなかなか目当ての物が見つからない。だが、店の奥から成り行きを見守っていたアイリーンがそっと彼の側に歩みより、薄汚れた帳面を差し出した。


「ラッセル様、こちらに」

「あ、ああ。アイリーン、ありがとう。君が持っていたのか」

「ええ、店主殿はあまりお片付けが得意ではないご様子でしたので、私があそこの棚に移しておきました」

「そうか。助かるよ」


 ガシガシと頭を掻きながらラッセルが帳面を受けとると、アイリーンが微かに頬を赤らめながら頷く。二人の間に漂う甘酸っぱい空気に、エレオノーラはギルバートの服の裾をツンツンと引っ張った。


「ギルバート、あの二人は夫婦なの?」

「いや、彼が妻帯したという話は聞いていない。恋人か何かだろう」


 ギルバートが興味無さそうに答えるが、エレオノーラはアイリーンの表情に釘付けになっていた。

 ラッセルを見つめる薄水色の瞳は熱っぽく、彼女が彼に特別な思いを抱いているのは一目瞭然だ。だが、その瞳が微かに憂いを帯びている気がしてエレオノーラは目が離せなかった。

 ギルバートとラッセルが本格的に話し込み始めた後、エレオノーラはなんとはなしに店内を歩き回っていた。鋼鉄の武器が至るところに置いてあり、中にはどうやって使うのかわからないものもたくさんある。海の世界にはない物珍しい光景に、エレオノーラは興味津々だった。


「武器屋に来るのは初めてですか?」


 突然背後から声を掛けられ、エレオノーラはパッと振り向いた。見ると、アイリーンが両手を礼儀正しく揃えながらにこやかに立っていた。控えめだがそれでいて優雅な動作に、エレオノーラも居ずまいを正す。


「え、ええ、そうですね……あまりこういう所に来たことがないので……」

「女性には馴染みの無い場所ですからね。私も初めてこちらに来たときは驚いたものです」

「アイリーンさんはどうしてこのお店で働こうと思ったのですか?」


 聞いてしまってからハッとして慌てて口をつぐむ。初対面の人にずけずけと遠慮ないことを聞いてしまった。申し訳無さそうに彼女を見ると、アイリーンは問題ないというように優しく微笑んだ。


「私がここにいるのを不思議に思われますか?」

「いえ、すみません。あなたのように華やかな方がこういう無骨な場所で働いているとは思わなかったので」

「いいえ、多分私もあなたと同じ立場だったら同じことを思っていたはずですよ」


 そう言ってアイリーンがクスクスと笑う。口許に手を当てて上品に笑った後、アイリーンは店の奥へと目を向けた。


「そうね、理由は……彼を好きになってしまったからね」


 彼女の視線の先にはラッセルがいた。彼は今ギルバートと話し込んでいるが、商売の話ではなく世間話に移ったのだろう。白い歯を見せて快活に笑う彼の笑顔は眩しかった。

 愛しい人を映すアイリーンの目が切なそうに細められる。


「私が彼に一目惚れをしてお店に押し掛けたの。初め彼はビックリしていたけど、それでも受け入れてくれたわ」

「アイリーンさんの一目惚れだったんですか?」


 驚きに声をあげると、アイリーンが微笑みながらそっと唇に人差し指をあてる。


「ええ、そうなの。でも、お店の売り子として雇ってはくれたけど、彼はお嫁さんとしては見てくれないみたいね。どうやら他に好いた人がいるみたいなの」


 アイリーンがポツリと呟くように言う。口端に笑みを称えているが、その瞳は悲しげに揺れていた。叶わぬ相手に恋をする彼女は自分と同じ想いを抱いているのだ。誰かを想っているのに届かない切なさは、エレオノーラもよく知っている。胸が詰まるのを感じて、エレオノーラは両手をきゅっと握りしめた。

 彼女の表情に気がついたのだろう。アイリーンがパッとこちらを向き、申し訳なさそうに微笑んだ。


「あら、ごめんなさいね、こんな話をしてしまって。でも、あなたとは何か近しいものを感じるの。だからつい話しすぎてしまったわ」

「近しいもの……ですか?」

「そう。多分あなたと私は」 

「同じこと? どういう意味ですか?」


 驚いて彼女の言葉を繰り返すと、今度こそアイリーンはいたずらっぽく笑って答えなかった。ちょうどその時、商談が終わったのかギルバートがエレオノーラを呼ぶ声が聞こえた。不思議に思いながらも、エレオノーラは彼に連れだって武器店を出ていった。

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