第16話 王宮(2023/05/15加筆)
店を出た後は、王宮へ向かう為にギルバートが路上で馬車を捕まえた。辻馬車に乗り込み、ガタガタと揺れる車内から景色を眺めていると、御者が振り返ってにこやかに笑った。
「これはこれはギルバート様。すいませんねぇこんな汚い馬車に乗せちまって。今日は休日ですかい?」
「いや、訳あって王宮を離れていた。今日からまた戻るつもりだ」
「おっと、そうだったんですかい。あっしはてっきりそちらのお嬢さんを殿下にお披露目するんだと思っておりやした」
「彼女はただの親戚の娘だ。他意はない」
「へぇ、さようですか。まぁ確かに、お偉いさんの婚礼とあっちゃこんなボロ馬車に乗せるわけにゃいかないか。それにしても随分とまぁ綺麗なお嬢さんで」
御者が欠けた歯を見せながらニカッと笑う。少し小太りの中年の男だ。エレオノーラは両手を行儀よく膝に乗せて今のやりとりを聞いていたが、目をパチクリさせて向かいに座るギルバートを見上げた。
「ギルバートは有名人なの?」
「いや、別にそんなことはない。なぜだ?」
「だってこの方、ギルバートの名前を知っているわ」
エレオノーラがきょとんとした顔で言うと、ギルバートが複雑な顔をする。彼の背後にいる御者の笑い声が聞こえた。
「おっとこいつぁは面白い冗談でさぁ。この辺りでギルバート様を知らない者はおりませんよ。あなた様はどこか遠い国から嫁がれたお姫様なんですかい? 確かに珍しい髪の色をしていなさる」
「え? ど、どういうことなのかわからないわ」
エレオノーラが困惑した顔で言うと、御者がチラリと後ろを向き、ギルバートの姿を視界の端に入れる。
「本来であれば王子の護衛を務めるような方はこのような市井のボロ馬車に乗ったりはいたしやせん。お抱えの従者や自前の馬車をご用意されるのが普通です。ですがギルバート様は市民と同じように道端で馬車を拾ってくださる。そしてありがたいことに、色をつけてお支払してくださるんですよ、今日みたいにね」
「まったく、抜け目がないな」
御者の言葉にギルバートがため息をつく。だが、御者の言う通りこの後彼は多めに支払うつもりなんだろう。特に気にした素振りもなくギルバートは窓の外へ視線を向けた。その灰色の瞳に街の賑わいが映りこむ。
「身分が高いからだと横柄に振る舞う貴族達もたくさんおりやす。でもギルバート様はこうやって街に出て、あっしらにも優しく接してくださる。近衛騎士の身分でいながら我々庶民に分け隔てなく接してくれるのはギルバート様くらいなもんですよ」
御者の言葉は驚く程優しかった。その声色からも、彼がギルバートに敬意を持って接しているのがわかる。
エレオノーラは外を眺める彼の顔をそっと仰ぎ見た。いつも眉間にシワを寄せて不機嫌そうな顔をしているが、意外と人望は厚いらしい。思っていたよりも人と交流するのは嫌いではないのかもしれないが、そうなると彼の屋敷にハンナ一人しかいないのは不思議なことだった。
高貴な者達の常識というものは知らないが、それでももう少し屋敷に人を置いてもいいようには思う。そこまで思いいたって、エレオノーラはギルバートのことをほとんど知らないことに気がついた。
「ねぇ、どうしてギルバートのお屋敷にはハンナしかいないの? もっとたくさんの人と一緒に暮らせば良いのに」
「俺は護衛という立場上、滅多に屋敷には帰れないからな。ハンナがいれば十分だ」
「お屋敷に帰っていないの?」
この言葉にエレオノーラは驚いて青い目を見開いた。王宮勤めではあるが、てっきり毎晩自宅に帰っているものだと思っていたのだ。彼女の顔を見てギルバートが苦笑する。
「護衛という立場上、王宮に自室は与えられている。朝夜関係なく殿下の身をお守りすることが役目だからな。夜通し番をすることもある。本来、俺が護衛として侍るのは殿下が外出する時だけなんだが、最近は王宮にいることの方が多いな」
「どうして? だって王宮の中は安全なんじゃないの?」
「基本的にはそうだ。だが、そうではない場合もある」
ギルバートの言葉は意味深だった。心なしかその瞳の色が陰った気がした。
「どういうこと? ……よく意味がわからないわ」
「お前には関係のないことだ」
「もう! いつもそればっかり!」
いつものようにあしらわれる言葉にエレオノーラが口を尖らせるが、今度こそ彼は答えなかった。ムッとして彼を睨み付けると、ギルバートがその視線を受け止めてニヤリと笑う。
「うるさい小娘が来たんじゃハンナも苦労するだろうな。殿下に言って、たまには屋敷へ帰らせてもらうとするか」
「まぁ失礼ね! あなたってどうしてそう意地悪な言い方しかできないのかしら」
「本心を言ってるつもりだが?」
「もっと失礼よ!」
ぷんぷんと怒りながら睨み付けてくるエレオノーラを見てギルバートがふんと鼻を鳴らす。そして彼はまた窓の外へと視線を移した。遠くを見つめる灰色の瞳は硬質で、ほんのりと憂いを帯びているように見える。
なんとなく、彼は王宮に向かうのを喜んでいない、そんな気がした。
辻馬車は暫くガタガタと進んでいたが、やがてガラリと景色が変わり、きらびやかな建物が立ち並ぶ区画へ入った。道を歩く人々も高級そうな装飾品を身につけ、身なりの良い人達ばかりだ。
さらに進むと、やがて前方に立派なお城が見えてきた。エレオノーラも馬車の窓から身を乗り出して目の前の巨大な建物を視界に入れる。
あの中にエドワルドがいるのだ。そう思うと期待と喜びで自然と顔が綻んでしまう。ギルバートはそんなエレオノーラの姿を腕組みしながら静かに見守っていた。
お城まであと少しという場所で馬車は急に進みを止めた。エレオノーラが不思議に思っていると、御者が申し訳なさそうに眉尻を下げなから振り向く。
「旦那。ここまでにしてくだせぇ。さすがにこんなボロ馬車で王宮に入るなんて拷問をあっしにさせないでおくんなさいよ。こんな賤しい身分の者がこの区画に入るなんて、みっともなくて恥ずかしいです」
「どの馬車であっても貴賤はないと思うが……まぁいい。助かった」
そう言うとギルバートが多めに支払いを済ませて馬車を降りる。エレオノーラもドレスを引っ掻けないように気を付けながら後に続いた。
目の前のお城は想像していたよりも随分と大きく、豪華でそしてきらびやかだった。白亜の壁に高い尖塔がいくつも連なり、一部の隙もなく手入れの行き届いた見事な庭園には季節の花々が咲き誇ってかぐわしい香りで来る者を出迎えていた。
美しい光景に目を奪われていると、ギルバートが自分を呼ぶ声が聞こえた。慌てて彼の後をついていくと、彼は正面の門ではなく、庭を横切って建物の裏手へ回っていく。
暫く歩いているうちに、重厚な扉がある場所へたどり着いた。扉の前には騎士の服を着た衛兵が二人並んでいる。どうやらここは使用人達が出入りする場所のようだった。
「ギルバート様、よくぞご無事で」
衛兵の一人がギルバートを見て頭を下げる。嵐で船が転覆したことは既に伝わっているのだろう。恭しく頭を垂れる衛兵に労りの声をかけると、ギルバートは懐から手紙をだし、衛兵へ差し出した。
「この子はランベルト家の娘だ。王子にお目通りを希望している。彼女が来ることはエドワルド第一王子殿下もご了承済みだ」
「確かにこれは第一王子殿下の紋章ですね。承知いたしました。中へどうぞ」
衛兵が頷き、扉を開く。使用人達が使う通路らしいが、それでも王宮の中はエレオノーラの心を一瞬で奪った。
てっぺんが見えないくらいに高い天井、至る所に金で王家の紋章が掘られており、床には赤い絨毯が敷かれていた。昨夜屋敷で誰かに手紙を書いていると思ったら、予めエレオノーラを連れていく為の手筈を整えていてくれたらしい。
青色のドレスをふわりと膨らませながら、ギルバートの後を着いていくと、やがて最上階に近い一室にたどりついた。
ギルバートが扉を開ける。中は広い部屋だった。だが部屋の広さに対して家具はシンプルで、書き物机と寝台くらいしか物がない。王宮の一室としては質素とも言える部屋にエレオノーラが首を傾げていると、ギルバートが後ろ手に扉を閉めた。
「ここは俺の部屋だ。夜間の見張りが必要な時はここで寝泊まりをする」
「ギルバートの部屋なの? そう……でもここで何をするの?」
「じきにわかる。少し待っていろ」
意味深な言葉と共に、ギルバートが再び部屋の外へ行く。エレオノーラは所在なげに椅子に座り、窓から景色を見て待っていた。
暫くするとコンコンと扉をノックする音が聞こえた。エレオノーラが返事をすると、かちゃりと扉が開いてギルバートが中に入ってくる。しかし、その後ろに続く人物を見てエレオノーラは目を見開いた。
「エドワルド様!」
「元気だったかい? エレオノーラ」
パッと立ち上がってエドワルドに駆け寄る。まだ少し具合が悪いのか、顔色はあまり良くない。だがそれでも、エレオノーラを見つめる新緑の瞳は変わらず優しかった。
彼の視線が上から下へと動き、エレオノーラの足元の靴を見て破顔する。
「本当に人間になったんだね、まるで夢みたいだよ。体の具合は大丈夫?」
「ええ、もう大分慣れました。今はギルバートが面倒を見てくれているんです」
「そうか。彼の家で一緒に暮らしているんだね。はは、ギルバートが羨ましいよ」
言いながらエドワルドが歩み寄り、エレオノーラの前に立つ。
向かい合わせになると彼も随分と背が高かった。ギルバートほどではないが、新緑色の瞳が優しくエレオノーラを見下ろしている。少し眼尻の垂れた甘い顔立ちは、険しい顔をしていることの多いギルバートと対照的だ。
幼い頃から変わらない優しい笑顔を向けられてエレオノーラの胸が心地よさに包まれる。思わずはにかんだ笑みで返すと、エドワルドの目が僅かに細められた。
「そうか、君はもう手の届く場所にいるんだね」
穏やかな声色と共にエドワルドの手が伸びてくる。その指がエレオノーラの豊かな巻き毛をすくい、エドワルドの唇が髪の毛先に触れた。
「あっ……!」
咄嗟に身をひいてしまったのは驚いたからに他ならない。そこに他意はなかったはずだ。だが身をひいた瞬間にエドワルドの手から解けるようにこぼれた自分の髪を見て、エレオノーラは戸惑いを隠せなかった。
あんなに恋い焦がれていたはずなのに、実際に髪に触れられた瞬間になぜか急に彼が別人に見えてしまったような錯覚があった。王子ではなく、彼も一人の男だということを突きつけられたような感覚。
咄嗟にギルバートの方を向くと、彼は腕組みをしながら怪訝な顔で見返してきた。思っていたよりもエレオノーラが喜びの感情を露わにしないことを不思議に思っているのだろうか。
ギルバートの灰色の瞳が自分に向いていることに気がついたエレオノーラは、慌てて笑顔を作るとエドワルドの手を取った。
「私、エドワルド様にお話したいことがたくさんあるんです。あちらに行きましょう」
言いながら窓際の椅子に彼を誘導する。向かい合わせになった椅子に二人が座ったのを見てギルバートがフッと微かに笑った。
「殿下、私は部屋の外におります。何かあればお声がけください」
そう言うとくるりと踵を返して静かに部屋を出ていく。どうやら二人きりにしてくれようとしているらしい。パタンと扉が閉まる音がして、部屋にはエレオノーラとエドワルドの二人だけが残った。
話すのはとりとめのない日常のこと。エドワルドは時折笑いながらも優しい目でエレオノーラの話を聞いてくれる。だが、話しながらエレオノーラはなんとなくいつもと違う自分を感じていた。
「あのねエドワルド様。私、さっき初めてお菓子を食べたの。とても甘くて美味しかったわ」
「へぇそうなのか。ギルバートが買ってくれたのかい?」
「ええ、エドワルド様も今度一緒に食べましょう? 気に入ったならまた買ってくれるって言っていたもの」
「そうか、ギルは優しいね。彼が女性に優しくしているなんて意外だな」
笑みを含んだ声に、エレオノーラもきょとんとする。
「意外? そうなのかしら」
「そうだよ。あれでいてギルバートは結構モテるんだ。宮廷でご令嬢に声をかけられたり文をもらって素気なくあしらっているのを何度か見たよ」
「ギルバートがモテることこそ意外だわ。いつも意地悪なことばかり言うし、しかめっ面ばかりしているのに!」
「僕から見れば、君と一緒にいる時のギルバートはだいぶ表情豊かだよ」
とうとう堪えきれなくて吹き出してしまったエドワルドを見てエレオノーラは不思議そうに小首をかしげた。いつも眉間にシワを寄せて腕組みをしているような人が感情豊かだとは到底思えない。
だがあの不機嫌そうな表情が脳裏に浮かんだ途端、エレオノーラは自分が感じる違和感の正体に気づいた。思えば、エドワルドと話す時はいつも傍らにギルバートがいた。エドワルドと二人だけで話すのは今が初めてだったのだ。彼の横から聞こえる憎まれ口が、今はなんだか少しだけ恋しく感じる。
(エドワルド様と二人だけだとなんだか緊張してしまうわ……)
海にいた時にエドワルドが来るのを心待ちにしていたのは事実だ。だがエドワルドに会えるということはギルバートもついてくるということ。
きっと自分は三人で過ごす時間が嬉しくてたまらなかったのかもしれないのだとエレオノーラはぼんやりと思った。
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