第17話 お見合い(2023/05/15加筆)
エレオノーラがギルバートの屋敷に来てから数ヵ月が経った。気温はすっかり高くなり、爽やかな夏の風が海の匂いを町まで運んでくれる。
ハンナが用意するドレスも薄手で軽いデザインのものが多くなった。今朝エレオノーラがハンナに着せてもらったドレスは、レースをふんだんに使った真っ白なものだった。体のラインが出るような細身のデザインだが、裾がきゅっと絞られて薄桃色のひだが幾層にも重なっている。このヒラヒラが人魚のヒレにも見えて、エレオノーラは一目でこのドレスを気に入った。
「ねぇ見て、ギルバート。このドレス、人魚の体みたいよ」
書斎へ入り、机の前で書類を睨み付けるようにして読んでいるギルバートの側へ駆け寄る。エレオノーラの声と共に顔をあげたギルバートは彼女の姿を見て目を細めた。
「お前は本当に見てくれだけはどこぞの姫君と比べても遜色ないな」
「もうギルバートって本当に優しくない言い方しかできないのね。きっとエドワルド様なら可愛いね、綺麗だねって褒めてくださるのに」
「俺も一応褒めたつもりだがな」
そう言うとまたギルバートが手元の紙に視線を落とす。だが、あまり好ましい内容ではないのか、眉間にくっきりとシワが寄っている。不思議に思ったエレオノーラは彼の背後に回り、ヒョイと紙を覗きこんだ。
「ランベルト……年齢……ギルバート……結婚? なんだか意味がわからないわ」
読み書きを始めたばかりのエレオノーラにとって、まだ文字をスラスラ読むことは難しい。眉をひそめながらも読める単語だけを拾ってみたが、意味はさっぱりわからなかった。
ギルバートの横で小首を傾げていると、彼がチラリとエレオノーラを横目で見て大きなため息をつく。
「生家からの手紙だ。ランベルトの者としてそろそろ結婚をしろと催促している。俺は家の跡継ぎではないが、未婚であるのは一族の恥であるらしい」
「ギルバートは結婚するの?」
驚いて彼の顔を見ると、ギルバートは口許に手をあてて何か考え込んでいるようだった。よく見ると、机の上には封を切った状態の手紙が何通も散らばっている。
「これ全部結婚しなさいっていう催促の手紙?」
エレオノーラが声をあげると、ギルバートが手に持っている紙を乱雑に机の上に投げ捨てた。
「いや、これは他の貴族達からの婚約の申し込みだ。どいつもこいつもランベルト家との繋がりが欲しくてたまらんらしい。名家の家名が欲しければ素直に言えばいいものを、口先だけで良いように褒め称えられると虫酸が走るな」
ギルバートが苦々しげに吐き捨てる。エレオノーラも机に散らばっている手紙にいくつか目を通してみたが、なるほど確かに美辞麗句でギルバートを称えるものばかりだった。
「影で俺のことを売女の子供と蔑んでおきながら、表ではおべっかを使って迎合とは。そんなやつらとわざわざ縁を結ぶわけがないだろうに」
「ですがぼっちゃま。あまり逃げていると今度は家名に傷がつくと言って旦那様が無理やりあなた様の結婚相手を決めてしまうかもしれません。ここは一つか二つ程お見合いの申し込みを受け入れてお家の顔を立て、のらりくらりとかわす方がいいかもしれませんよ」
側に控えていたハンナが控えめに進言する。複雑そうな顔をしている彼女の顔を見るに、ハンナも生家の身勝手な態度に良い感情を抱いていないらしかった。
ハンナの意見を聞いたギルバートは暫し黙考した後、一枚の手紙を手に取った。
「ハンナの言うことも一理あるな。少なくとも結婚する意思がある様子を見せておけば、文句は言われんだろう。実際にお見合いをしてしまえば、どの娘もランベルトの家に相応しくなかったという理由で断れる」
「ええ、もう手酷くお断りなさいませ」
「悪いがハンナ。この家に承諾の手紙を送ってくれるか。商家からの成り上がり貴族でランベルトとの繋がりは喉から手が出るほどほしいだろう。こちらの言いなりになるのが目に見えているから扱いやすい」
「かしこまりました」
ハンナがギルバートから手紙を受け取り、一礼すると書斎を後にする。二人のやり取りを端で聞いていたエレオノーラは不機嫌そうな表情をして腕組みをしている彼の顔を覗きこんだ。
「よくわからないけどギルバートも結婚するのね。おめでとう。良い人だといいわね」
「おめでとう……か」
ギルバートが椅子の背もたれに寄りかかり、高価そうな椅子がギッと音を立てた。その灰色の瞳は染みひとつない真っ白な天井を映している。
その後も、彼は無言でずっと何事か考え込んでいた。
見合いの席はあっという間に整った。先方はかなり乗り気だったらしく、二つ返事で了承したようだ。さすがに見合い自体は生家であるランベルト家の屋敷で行われるようで、その日に限ってギルバートは格式の高い騎士服を着ていた。いつも屋敷にいる時はシャツ一枚の軽装でいることが多かった為に、正装をしっかりと着こなしたギルバートはなんだか別人に見えた。
「いってらっしゃい、ギル。とてもかっこいいわ」
掛け値なしに素直な気持ちを口にすると、ギルバートが少しだけ表情を和らげた。
「断る前提の縁談だ。魅力的に見えても意味がないがな」
「ギルは結婚したくないの?」
「好きでもない女性と結婚して何になる。嫡子ではない俺は跡継ぎも望まれていないだろうしな。面倒だが、こうやってのらりくらりと交わしていれば、いずれ父上も何も言わなくなるだろう」
「でも誰かと一緒に暮らすことはとても楽しいと思うの。私はずっと海で独りぼっちだったから、ギルとハンナさんにはとても感謝しているわ」
精一杯の気持ちをこめて伝えると、今度こそギルバートが声を上げて笑った。
「確かにお前と一緒に暮らしているのは意外と悪くないな」
言いながらギルバートがエレオノーラの頭をくしゃりと撫でた。大きな手の温もりが頭をつつみ、長い指が髪の間を滑る。
ほんのりと体温が高くなった気がしたが、手の熱はあっさりと離れていき、ギルバートがマントを羽織ったのが見えた。
そのまま静かに外へ出ていく大きな背中をエレオノーラは静かに見送った。
ギルバートが生家に戻っている間、エレオノーラは日課である読み書きや金勘定などに加えて、食事や礼儀作法のマナーなどを一人で練習していた。
鏡の前でドレスを持ち上げながら腰を落として一礼する。まだぎこちないものの、以前と比べると格段に見栄えは良くなった気がする。背後にいるハンナに鏡越しに視線を送ると、ハンナがふわりと優しく微笑んだ。
「エレオノーラ様、お作法が板についてきましたね。今の礼はとても綺麗でしたよ」
「本当?」
ハンナの言葉にパッと破顔する。きっと本物の令嬢と比べたらまだまだなのだろうが、少なくともギルバートに恥をかかせることは無さそうだ。これでいつ王宮へ行くことになっても大丈夫だとエレオノーラが胸を弾ませたその時だった。
呼び鈴の音がしてハンナがハッと顔をあげる。ギルバートが不在の時に来客とは珍しい。パタパタと玄関先へ走っていくハンナの後ろを、エレオノーラもなんとはなしに追いかけていった。
玄関ホールに出ると、大きな玄関扉の前でハンナが誰かと会話をしていた。視界の端に炎のように真っ赤なドレスの裾がちらりと映る。近づいてみると、そこにいるのはギルバートと見たこともない女性だった。漆黒の艷やかな髪を結いあげ、頭には高価そうな装飾品をいくつもつけている。切れ長の目とキュッと結ばれた唇は勝ち気そうだが、それでもとても華やかな美人だった。
なぜここに見知らぬ女性がいるのかとエレオノーラが首を傾げていると、ギルバートがおもむろに口を開いた。
「そういうわけだ、ハンナ。当主からの命令で申し訳ないが、少しだけ世話になる。馬車はここに停めたままで良いそうだ」
「はい、かしこまりました」
ハンナが恭しく一礼する。するとギルバートの隣にいる黒髪の女性が目を見開いた。
「ギルバート様。貴方は来客の際に使用人にいちいち許可を取っていらっしゃるのですか? 冗談でしょう」
「サラ、彼女は俺の乳母だった人だ。無礼は許さん」
ギルバートが鋭く言うと、彼女はぐっと口を結んだ。貴族社会の常識で言えばサラの方が正しいのだろうが、やはり力関係はギルバートの方が上らしい。エレオノーラが玄関ホールの端から成り行きを見守っていると、サラがふっと顔をあげ、エレオノーラと視線が合う。
「ギルバート様。あちらの方は?」
「彼女は親戚の娘だ。わけあってこちらで預かっている」
「まぁ、ランベルトの方なのね?」
そう言うと、サラはエレオノーラに向かってこれ以上ないほどの笑顔を向けた。気の強そうな娘であるが、笑うとまるで大輪の花のようだ。このまま隠れているわけにはいかなくなったエレオノーラも、ドレスの裾をさばきながら彼女の目の前まで歩み寄る。
「はじめまして。サラ・グレイスと申します。ご挨拶が遅れました無礼をお許しください」
そう言ってサラが優雅に腰を折る。その動作や振る舞いは洗練されていて一分の隙もなく、エレオノーラは思わず彼女の姿に見とれてしまった。
「エレオノーラと申します……」
声を絞り出し、ハンナに教わった通り行儀よく頭を下げる。お辞儀の角度も、ドレスの広げ具合も、何もかも完璧にできたはずなのに。
なんとなく恥ずかしい気持ちになり、エレオノーラは返礼をした後、彼女の顔を見ることができなくなってしまった。
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