第9話 救出

 ギルバートが運ばれてきたのは、だいぶ夜も深まった頃合いだった。

 ドダドタバタンという激しい音に飛び起き、寝かされていた部屋を出るとショールを肩にかけたマリーと鉢合わせになる。そのまま二人で玄関へむかうと、ギルバートを担いだキースが玄関口に立っていた。


「マリー! 熱い湯を沸かしてくれ!」


 マリーの姿を見たキースが怒鳴る。間髪いれずにマリーは部屋の奥へ消えていき、エレオノーラはふらりと二人に駆け寄った。

 ギルバートは生きていた。着替えをさせてもらったのか新しい衣服を着ているが、その顔は青ざめていて酷くやつれている。かろうじて意識は保っているものの、今にも倒れそうなほどに弱りきっていた。

 ギルバートは暖炉がある部屋に連れていかれた。大きなソファの上に寝かされ、キースがギルバートの冷えきった手足を湯で温める。

 暫くすると熱を取り戻したのか、ギルバートが重たげに瞼を開けた。キースが慌てて彼の顔を覗きこむ。


「おいギル! 大丈夫か!?」

「キース……すまない、助かった。殿下はご無事か?」

「殿下は直ちに王宮へ連れ戻された。おそらく今は兄さんが診ているはずだ」

「そうか……」


 キースの言葉に、ギルバートは安堵したように目元を和らげた。その灰色の瞳は何を思っているのか白い天井を映している。

 マリーとキースの懸命な処置を遠くから見ていたエレオノーラは、看病が落ち着いた頃合いを見計らってそっと彼のもとへ歩み寄った。 


「ギルバート」


 ソファに近づき、ふわりとスカートの裾を広げて床に座る。ぼんやりと虚空を見ていたギルバートの灰色の瞳が、エレオノーラの姿を見た瞬間に大きく開いた。


「エレオノーラ! お前……その足……」


 二の句が告げないでいるギルバートの前でエレオノーラは立ち上がり、少しだけスカートの裾を持ち上げる。真っ白い、ほっそりした二本の足がスカートの中から現れた。


「お前……人間になったのか」

「ええ、そうよ」

「なんてことだ……」


 エレオノーラが静かに答えると、ギルバートは右手を額にあてて低く唸った。虚空を見つめるその瞳は射るように鋭い。暫しの間無言でいた彼は、やがてゆっくりとエレオノーラの方を向いた。


「なぜ軽率にその薬を使った」

「だってそうじゃなきゃエドワルド様やギルバートが死んでしまったかもしれないじゃない! どうしてそんなことを言うの!」

「そうだな、俺達のせいだ。……お前には悪いことをした。すまなかった」


 いつになく神妙な顔をしたギルバートに、エレオノーラは言葉を返せなかった。

 反対されていたのに勝手に人間になってしまったことを怒っているのだろうか。だが、それにしては彼は悲しそうな顔をしているように見えた。


「お取り込み中の所悪いんだが」


 二人の会話を遮るように男の声が響く。振り向くと、腕組みをしながら壁にもたれかかるキースがこちらを見ていた。


「ギル、その子は一体なんなんだ? まさか僕にここまでさせておいて、その子の正体は内緒だなんて意地悪なことを言うなよ」

「彼女は……エレオノーラは俺の古い友人だ」

「話をはぐらかすなよ。僕は彼女の正体を聞いているんだ。今お前はと言ったな。僕はその意味を聞いている」

「相変わらずそう言うことは耳ざといな、お前は」


 ギルバートはため息をつき、ゆっくりと身を起こした。チラリとエレオノーラに視線をやり、顎に手を当てる。彼は何かを迷っているようだった。 

 キースとはまだ会って間もない関係だが、ギルバートとのやり取りを見るに、どうやら二人は旧知の仲らしい。彼は悪い人ではないと判断したエレオノーラは、深呼吸をしてキースに向き直った。


「私は人魚です。海の精霊と契約して人間の姿になる薬をもらいました」

「へぇ。海の精霊と。興味深い話だな」


 途端にキースの目がキラリと光る。


「僕は医者ではあるが、異種族の生態のことにも興味があってね。折角だから君に色々と聞きたいことがある。人魚は三百年生きるというのは本当かい? 人間を海に引きずり込むと言われているけど、君もそうなの? 人魚の血は薬になるという話もあるが、今度採血して成分を調べさせてもらってもいいかな?」

「え? あの、その」

「キース、やめろ」


 矢継ぎ早に質問をされ、オロオロと慌てていたエレオノーラの横でギルバートが鋭く遮る。彼はキースに視線をやると、下を向いて大きくため息をついた。


「お前がそうなることをわかっていたから言いたくなかったんだ」

「はは、ごめんごめん。つい嬉しくなっちゃって」

「お二人はお知り合いなんですか?」


 エレオノーラが聞くと、キースがにこやかに微笑んだ。


「僕達は幼馴染みなんだ。王宮侍医だった父がギルバートのことを可愛がっていてね。昔から彼とはよく遊んでいたよ。僕達は親友同士なんだ」

「違う。ただの腐れ縁だ」

「ははっ連れないなぁ。でもギルバート、この後彼女はどうするんだい? 人間世界のことなど右も左もわからないんだろう?」


 キースの言葉に、エレオノーラは初めて自分の置かれている立場を理解した。

 エドワルドやギルバートにせがんで度々人間社会の話を聞かせてもらってはいたものの、自分は彼らの世界については無知に等しい。これからはたった一人で人間の世界で生きていくしかないのだ。

 急に込み上げてきた不安にうつ向いてしまったエレオノーラを見て、キースがマリーに視線を送る。


「うちで預かろうか。マリー、一人増えるのくらいは構わないな?」

「ええ、大丈夫よ」

「ならこの子はうちで面倒を見よう」


 キースが指で眼鏡を押し上げながらニヤリと笑う。眼鏡の奥で紫の瞳がキラリと光った気がした。

 その怪しげな笑みに不穏な気配を感じとり、思わずきゅっと胸の前で両手を握ると、突然後ろから腕を掴まれてグイと引き寄せられた。


「いや、彼女は俺が預かる」


 振り返ると、ギルバートがエレオノーラの腕を掴んで険しい顔をしていた。彼の瞳はキースを映している。


「俺は昔から彼女のことをよく知っているからな。このお転婆娘を扱えるのは俺と殿下くらいだ。それに、お前のもとにいる方が不安だ。お前のよくわからない研究とやらの材料にされちゃ敵わん」

「はは、バレたか」


 ギルバートの言葉に、キースが悪びれもなく笑う。そっとギルバートの顔を仰ぎ見ると、灰色の瞳がこちらを向いた。


「そういうことだ。エレオノーラ、お前は俺が引き取る。その後のことは俺がなんとかしよう」

「うん……わかった。ギルバート、ありがとう」

「いや、気にするな。今回のことは俺にも責任があるからな」


 そう言うとギルバートは大きくため息をつき、今度はキースに向き直った。


「すまないが、ハンナに連絡をつけてくれるか」

「了解。マリーに言って使いを出しておくよ」


 片手をあげて了承すると、キースは書斎に引っ込んでいく。二人だけになったエレオノーラは所在なげにギルバートの顔に視線を送るが、その鋭い灰色の瞳はずっと虚空を見つめたままだった。


 この日から、エレオノーラはギルバートの屋敷で暮らすこととなった。

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