後日談 おとぎ話のその後(中編)

 ギルバートと別れた後は、キースに連れられて王宮の中を案内してもらった。かぐわしい匂いを放ちながら色とりどりに咲き誇る庭園で季節の花々を見て歩き、立派な意匠の施された城内の内装を楽しむ。廊下に敷かれている赤いベルベット地の絨毯が、歩を進めるごとにふかふかと足を包みこんでくれた。

 キースは貴族の身分ではないが、一族が代々王宮侍医を勤めている関係で城へはよく来るらしい。あちこち見て回る景色は物珍しく、楽しかった。


「しかしあのギルがあんなにロマンチックな振る舞いをするとはなぁ。いつものブスッとしたヤツとは大違いだ」

「そうなの? 私から見るとギルバートは結構素直に感情を出す方だと思うのだけど」

「それは相当君に気を許しているということだね。王宮でのヤツはニコリとも笑わないし、いつも生真面目な顔で王子に侍っている強面の従者だよ。だがまあ、そういう硬派な彼の意外な一面を見たいと言って密かに憧れている令嬢も少なくないらしいけど。君も折角堂々と王宮に入れるようになったんだ。城内でのヤツの仕事ぶりを眺めるといい。もしかすると惚れ直すかもしれないぞ」

「そういうものなのかしら。ギルはいつ見てもギルだと思うけど」

「はは、君のそういう所をヤツは好いているのかもな。ほら、ここがアイツの部屋だ。僕はもう診療所に戻るが、よかったらまた遊びに来てくれよ」


 じゃあな、と片手をあげてキースが去っていく。ギルバートの部屋に入ったエレオノーラは椅子に腰掛けてぐるりと辺りを見回した。


(ギルのお部屋は何もないのね)


 ギルバートの部屋はかなり広かった。エドワルドからの信頼を得ている証拠だろう。大きな窓から入ってくる日の光が室内を明るく照らし、風が吹くたびにふわりと花の香りを部屋へ運んでくれる。

 だが部屋の広さに反して室内は簡素だった。置かれているものは書き物机とベッドくらいしかなく、飾り物もない。私物であろう本が何冊か机の上に山積みになっていたが、長くここで時間を過ごす場所にしては殺風景な空間だった。屋敷での彼の部屋もそれなりに簡素だったが、ハンナの手によってあちこちにさりげなく美しい調度品が置かれていたのを思い出す。何をすることもないエレオノーラはふと思い立って部屋を出ていった。



 廊下を歩いて王宮の庭園に行くと、甘い花の香りがエレオノーラを包みこんだ。海からの風も、もうすっかり花の香りをまとっている。エレオノーラは花々の手入れをしている庭師の老人を見つけると屈んで声をかけた。


「こんにちは。あの、もしよかったら剪定したお花をいただけないかしら。お部屋に飾りたいのだけど」


 エレオノーラが声をかけると、庭師が振り向いた。小麦色の肌にくっきりとシワが刻まれている壮年の男だ。彼はエレオノーラの姿を見て一瞬不思議そうな顔をしたが、「おお!」と何かに思い至ったかのように破顔した。


「もしかすると、貴女は護衛殿の奥方ではありませんかな。これはこれは、ご挨拶ができて嬉しゅうございます」

「私のことを知っているのですか?」


 エレオノーラが不思議そうに聞くと、庭師が白い歯を見せて楽しそうに笑った。優しそうな目には暖かな情愛が満ちている。


「勿論です。ギルバート様はエドワルド第一王子の従者ですから、この城で知らぬ者はおりませんよ。最近妻を娶られたとお聞きした時には、あの実直な方がどんな奥方を迎えたのだろうと使用人達で噂したものです。今朝ギルバート様と一緒に歩いている貴女をお見かけしましてね、その美しい海の色をまとったお姿は目立ちますからすぐにわかりましたよ」

「そうなの……ギルは慕われているのね」

「ギルバート様はあまり身分にこだわらずに、我々のような使用人にも分け隔てなく接してくれますからな」


 庭師の言葉に、そういえば以前も町中で馬車に乗った時に御者が同じようなことを言っていたのを思い出す。海にいた頃には知らなかった彼の一面を聞いて、エレオノーラの心もふんわりと暖かくなった。 

 庭師が破顔し、鮮やかに咲き誇る黄色い花に手を伸ばした。そのまま手に持っていた鋏でパチンパチンと茎を切り、花束にしてエレオノーラに手渡す。


「これはワシからのお祝いとして受け取ってくだされ。ギルバート様のお部屋に飾ってもらえば花も嬉しいでしょう」

「こんなに頂いていいのですか? ありがとう、嬉しいわ」

「勿論です。お二人にたくさんの幸せがあるよう、たくさんの祈りをこめておきましたとも」


 庭師の言葉にエレオノーラの胸が温かくなる。こうやって二人の結婚を誰かに祝ってもらったのは初めてだ。

 エレオノーラは庭師に心からの礼を言い、その場を後にした。




 花束を抱えて部屋に戻ろうと城の廊下を歩いていく。歩きながらエレオノーラはギルバートのことを想っていた。人魚だった頃に見ていた彼は意地悪で無愛想で冷たい男だと思っていたが、こうやって周りの人達に慕われている姿を見ると、誇らしいようなくすぐったいような気持ちになる。そう思った途端、なんだか無性に彼が恋しくなった。


(お城でギルに会えないかしら)

 

 そんな淡い期待を持ちながら周囲に視線を巡らせると、視界の端に見慣れた騎士服が映った。


「ギル?」


 慌てて彼の近くに駆け寄ると、騎士服を着た男が振り向いた。だが怪訝そうな表情でエレオノーラを見つめる彼は明らかにギルバートとは違う人物だ。服の袖を引っ張ろうと伸ばした手が虚しく空を切る。


「俺に何か用でも?」

「あ……いえ、申し訳ありません。人違いでした」


 大輪の花束に隠れるように身を縮こませると、騎士の男がエレオノーラを見てヒュウと口笛を吹いた。


「へえ、見ない顔の子だね。どこの家の令嬢かな? 城で迷ったのなら俺が案内してあげようか」

「あの、私、本当に大丈夫なんです。ごめんなさい。一人で帰れますので」

「まぁそう遠慮するなよ。ここで会ったのも何かの縁だ。あ、俺のことは当然知っているよな? スタンリー家と言えばこの国では古くから伝わる名門貴族の家柄さ。城の中では使用人でさえ知っている名で……」


 困惑しているエレオノーラをよそに、男は自分の家についてペラペラと自慢気に説明する。過去の偉人であろうと思われる固有名詞がいくつか出てきたが、まだこの国の歴史に疎いエレオノーラにはサッパリわからない内容だった。そっと後退りをしながらその場を去ろうとするも、逃さないとばかりに男に腕を掴まれる。手に抱えた花束から切った花がいくつかこぼれ落ちた。

 だが、突如背後から手が伸びてきてエレオノーラの腕を掴んだ。そのまま男から引き剥がすように腕を引かれる。振り向くとそこには険しい顔をしたギルバートが立っていた。


「宮廷内で何をしている」

「ギ、ギルバート様! 申し訳ございません。このご令嬢が道に迷っているようでしたからご案内差し上げようと思いまして」

「それにしてはお喋りがすぎるようだな。騎士たる者、城内での狼藉はご法度だぞ」


 エレオノーラの手首を掴んだままギルバートが凄む。睨まれた騎士がヒッと小さく悲鳴をあげたのが聞こえた。


「め、滅相もございません! そんな邪な気持ちで話しかけたわけでは」

「これより隣国の使者がお見えになる。お前は持ち場へ戻れ」

「は、はい! ただ今!」


 先程まで得意気に自慢をしていた彼は青ざめながらバタバタと足早にその場を去っていった。

 ギルバートが掴んでいた手を離し、床に落ちていた黄色い花を拾う。そのままエレオノーラが抱えている花束にそっと差し戻してくれた。


「助けてくれてありがとう、ギル」

「何も変なことはされていないな? てっきり俺の自室にいると思っていたのだが……その花はどうした」

「ギルのお部屋がなんだか寂しく見えたから、お花を飾ろうと思ったの。この花は庭師のおじいさんがくれたのよ」

「そうか、良かったな」


 エレオノーラが答えると、ギルバートがほんの少しだけ表情を和らげた。いつもの彼の表情にエレオノーラの胸も安堵の気持ちで満たされる。


「今の人、随分とギルのことを恐れているのね。自分のことをすごく由緒正しい家柄の偉い人だって言い張っていたけど」

「確かにヤツの家はそこそこ名の知られている貴族だな。そこいらの貴族や使用人達には大きな顔をできるくらいには力を持っている。だがくだらん話だ」

「ギルは彼よりも偉い立場だということ?」

「ヤツは俺の直属の配下の者だ。それ以外に理由などない」


 ギルバートがきっぱりと告げる。どうやら彼は先程の男以外にもたくさんの騎士を従える立場にいるようだ。もちろんギルバートの出目が名のしれた大貴族の家というのも遠因にはあるだろうが、やはり王族の側近というのは宮廷でもそれなりに強い力を持つらしい。初めて目の当たりにするギルバートのおおやけの姿に、エレオノーラは目をぱちぱちと瞬かせた。


(ギルは思っていたよりも偉い人だったのね。私ったら、そんな人にずけずけ色んなことを言っていたんだわ)


 幼少期からの間柄のせいで、エレオノーラはついついギルバートに対して遠慮ない態度を取ってしまうが、きっと周囲の貴族や町民達から見ると驚くべきことなのだろう。それでも、身分や立場を取っ払った彼の素の姿を自分はたくさん知っているのだと思うとすこしだけくすぐったい気持ちになった。

 そんなことを考えていると、背後からコツコツとこちらへ向かってくる靴音が聞こえた。


「やあエレオノーラ、こんな所にいたんだね」


 聞き慣れた声に振り向くと、そこには小麦色の髪を一つに結び、王族の豪奢な衣服を身に纏ったエドワルドが立っていた。彼の隣には浅黒い肌をした見知らぬ男がおり、彼の側には何人かのお付きの者がついていた。おそらく彼が隣国の使者なのだろう。ハンナに仕込まれた宮廷式のお辞儀をすると、使者が眩しそうに目を細めた。


「これはこれは、この国の宮廷航海士はまるで海の女神のように美しい乙女ときた。これから我が国と交流を深めるにあたって貴女も何度か海を渡ることになるでしょう。我が国の王女ともぜひ仲良くしてやってくれませんか」

「はい、勿論です。光栄ですわ」


 にこりと笑って返礼する。今回の訪問は小規模に行われたものと聞かされていたが、なるほどエドワルドと使者の間に漂う空気は軽く、親しい仲で語らうような気軽さが感じられた。

 エドワルドと隣国の王女との婚礼の準備は着々と整っている。婚礼が行われるのはもう間もなくと噂されているが、その前にこうやって度々使者が訪れてこの国の情勢や治安の確認をしに来ているらしい。表向きは航路や文化の確認という意味合いがあるようだが、おそらく婚礼の前に事前に友好関係を深めておきたいという意図もあるのだろう。

 エドワルドがニコリと笑い、エレオノーラの背後にある重厚な扉を指差す。

 

「折角視察の為に海を渡ってきてくれたんだ。今から彼と二人きりで仲を深めようと思ってね。ギルは警護があるから帰りが遅くなるかもしれない。君には寂しい思いをさせるかもしれないけど、我慢してくれるかい」

「いえ、そんな。公務の方が大事ですもの」

「理解のある奥方で助かるよ。じゃあまたね」


 そう言いながらエドワルドと使者が扉の向こうへ消えていく。ギルバートは部屋には入らず、剣の柄に手を置いたまま扉を背にして立っていた。ここで立ち話をするのは彼の邪魔になるだろうと思い、エレオノーラも彼に挨拶をしてその場を離れた。

 

 廊下の角を曲がる際にもう一度彼の姿を視界に入れる。エレオノーラといる時のギルバートは、怒ったり呆れたり、はたまた優しい表情を見せてくれたりとコロコロ表情が変わるが、普段の彼はもっと硬派な男らしかった。

 扉の前で警護をするギルバートは、一ミリの隙もなくきっちりと騎士服を身に着け、時折視線を巡らして周囲に異変がないかを確認している。すっと細められた鋭い切れ長の瞳と高い鼻梁。端正な顔立ちと相まって長身痩躯とガッチリした体つきは雄々しい魅力を放っており、確かに職務中のギルバートを見て密かに憧れを募らせる女性が多いのも頷ける。城の使用人達にまで覚えが良い彼はなんだか手が届かない人のように思えた。


(いつものギルも好きだけど、職務についている時のギルはカッコいいのね)


 今朝まで見慣れたギルバートとは違う彼の姿に、なんだか胸がドキドキとして落ち着かない。エレオノーラは胸元に抱えている花束をきゅっと抱きしめながらパタパタとその場を去った。

   

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