第36話 夜会(2023/08/08加筆)

 ギルバートの功績によりベルマン家は力を失った。賊が一蹴された宮廷は、以前にも増して平和な日々が訪れていた。そんな中、エレオノーラはエドワルドに呼ばれて彼の自室に向かった。

 エドワルドが珍しくギルバートには席を外すように告げ、部屋にはエレオノーラとエドワルドの二人きりとなる。


「エレオノーラ、最近調子はどうだい?」

「ええ、エドワルド様。おかげで元気に過ごしております」

「それは良かった。悪いけど早速本題に入ろう。僕を排斥して第二王子を擁立しようとしていたベルマン家が一掃された。僕はこれから本格的に隣国との婚姻を進めようと思う」

「はい、存じております」

「エレオノーラ、前に僕は言ったね。大事な君を素性の知れない貴族の男に嫁がせるわけにはいかないと。だから君には当初の予定通り王室に入ってもらう。僕の第二夫人として輿入れをするんだ。勿論、君の心が決まるまで僕は手を出さない。他に愛する男ができれば素性をよく調べた上で王室を離れることもできる」

「王室に入るのですか……? そのことをギルバートは知っているのでしょうか」

「いいや、話すのは今だ。だがその前に君の気持ちを確かめておこうと思ってね」


 エドワルドの言葉にエレオノーラは自身の胸に手を当てた。ギルバートと結ばれることを諦めた今、エレオノーラはもう彼への想いと共に泡となる覚悟だった。おそらく自分は、第二夫人になる前に消えてしまうだろう。


「エドワルド様、お申し出はとてもありがたいことですが、私のように何の後ろ盾もないものが王室に入るなど身に余る話です。どうぞお考え直しを」

「大丈夫だよ、後ろ盾がないなら作ればいい。たとえ平民であっても、君主の寵愛を受ければそれはこの国で最も強い盾になる。ギルバートも僕の側でずっと君を守ってあげられる。それにこれはギルにとっても悪い話ではないんだよ」

「それは……どういうことでしょうか」

「エレオノーラ、君はおそらくランベルト家の縁者として王室に入ることになるだろう。そうすればギルバートの王宮内での地位や権力は益々強固なものとなる。この輿入れはギルの為でもあるんだ」


 エドワルドの言葉がエレオノーラの心を大きく揺さぶる。確かにギルバートとサラの婚約は内密に決まっているものの、ギルバート自身はあまり積極的に話を進めている様子ではなかった。エレオノーラがエドワルドの庇護下に入れば、彼も安心してサラとの縁談を進めることができるだろう。


「わかりました。エドワルド様の仰せの通りにいたします」

「よく言ってくれたね。では話を進めよう」


 そう言ってエドワルドが話を切り、両手を鋭く打ち鳴らす。直ぐ様部屋の扉が開き、ギルバートが中に入ってきた。


「殿下、御用ですか」

「ギル、エレオノーラを第二夫人として迎える前にまずは夜会を開くぞ。そこで彼女を有力貴族の前で大々的に見せつける」

「は……今なんと」


 恭しく頭を垂れていたギルバートの灰色の瞳が僅かに見開かれる。


「殿下、婚姻の前にそんなことをすれば、エレオノーラは間違いなく貴族達のやっかみを買います。幼い頃から貴方を慕っていた彼女なら輿入れだけで十分満足でしょう。わざわざ他の貴族達の反感を買う必要はないかと」

「ギル、君はエレオノーラのことになると随分と甘くなるんだね。エレオノーラの存在を貴族達に知らしめることで君の立場も盤石となるし、僕自身も他に寵姫を送り込もうとしてくる貴族達を一蹴できる。婚姻の前に彼女の存在を広く知らしめておくことは大事なことだよ」

「エレオノーラを政治の道具として使うということでしょうか」

「道具だなんて言い方が悪いね。これは王宮内で安全に生きていくための策だ。彼女の身を守るためでもある」


 そう言ってエドワルドが目を伏せる。その新緑の瞳が、驚いた表情で固まっているエレオノーラを捉えた。


「ごめんね、驚いたかい? だけどこれが僕の素顔なんだ。ここで生きていく為には綺麗なままではいられない。だけど君に悪いようには絶対にしない。君のことは、僕とギルが守るから」


 そう言って切なく笑う彼もまた貴族社会のしきたりの中で戦っているのだろう。エドワルドの前で直立の姿勢をとっていたギルバートの目がエレオノーラに向けられる。


「教えてくれ、エレオノーラ。輿入れをする前に……殿下と婚姻関係を結ぶ前に王宮に足を踏み入れるというのはお前の意志なのか?」


 ギルバートが真っ直ぐエレオノーラを見据える。かつて自分の屋敷へ来いと言ってくれた彼。ギルバートは、エレオノーラが貴族社会に足を踏み入れることを恐れていた。この返答は彼の思いを踏みにじることになる。だがエレオノーラの答えは決まっていた。

 

「ええ……私の意思よ、ギル。私はエドワルド様の力になりたいの」

「そうか、そうであるならば俺から言うことは何もない」


 そう言ってギルバートが静かに目を伏せる。そしてその日から夜会の準備はつつがなく進められた。



 あっという間に夜会の席は整えられ、そして当日を迎えた。真珠が散りばめれた桃色のドレスを身に纏い、ハンナにうんと着飾ってもらえたエレオノーラはギルバートと共に王宮へ足を運んだ。

 従者に案内されてホールに入ったエレオノーラは、見たことのないきらびやかさに目を見張った。

 高い天井と広い室内。精緻なガラス細工でできた大きなシャンデリアがいくつもいくつも並んでいて、夜なのにまるで昼間のように赤々と室内を照らしている。高い窓にはベルベット地のカーテンが取り付けられ、まだ物の価値がわからないエレオノーラにとっても、そこがこの国で最も豪奢な部屋であることはよくわかった。 

 ホールの中は大勢の人で賑わっており、美しい衣装を着た貴族や令嬢が歩き回っている。


「やぁエレオノーラ、見違えるようだよ。さぁこっちにおいで」


 美しい衣服を身に纏ったエドワルドがやってきてエレオノーラの手を取った。そのまま彼に腕を引かれながら舞台の前に置いてある布張りの椅子に腰掛けると、護衛であるギルバートもエドワルドの背後に立つ。

 エレオノーラがエドワルドの隣に座ると、大勢の貴族達が一斉にこちらを向いたのがわかった。


(何かしら。何だか色んな人に見られている気がするわ……)


 遠くからエドワルドの様子を見ていた令嬢が、扇で口元を隠しながらヒソヒソと何事か囁いている。こちらを見る視線は好奇の色に染まっており、エレオノーラが視線を向けると、フイと目をそらしてどこかへ行ってしまう。

 何が起きたのかわからず戸惑っていると、舞台の上に演者達が現れ、演奏が始まった。


 舞台の上で繰り広げられる優雅な踊りや美しく奏でられる音楽はエレオノーラが今まで見たことも聞いたこともないものだった。舞台に釘付けになって見惚れていると、隣に座るエドワルドがそっと身を寄せる。彼の息遣いが感じられるほど密着され、スルリと手を握られた。


「エ、エドワルド様、近いです……」

「良いから大丈夫。君も僕に近づいてきて」

「えっと、こう……でしょうか」


 おずおずとエドワルドに身を寄せると、彼の腕が腰を抱いてくる。背後にいるギルバートの顔は見えないが、きっと自分達の睦まじい様子も見えているのだろう。そう思うと胸が締め付けられるようだったが、エレオノーラは拳を固く握りながら観劇を続けていた。

 演目が終わり、演者が一堂に礼をする。その中の一人が進みいでて舞台をヒラリと降りると、エレオノーラの前にやってきた。不思議そうに彼を見ていると、演者の男がくるりと手を回して中から花を出現させる。ちょっとした手品の一種だが、エレオノーラは驚きに目を見張った。


「この花を美しい貴女に」

「まぁありがとう。貰ってもいいの?」

「もちろんでございます」


 目を輝かせながら一輪の花を受け取る。嬉しさの余りパッと振り返ると、ギルバートが直立したまま僅かに口角をあげて優しい笑みで返してくれた。

 花弁に顔を近づけて香しい香りを嗅いでいると、近くでわざとらしい咳払いが聞こえた。声がした方を向くと、一人の壮年の男が睨みつけるようにこちらを見ていた。見たことのない人物だ。その視線に気づいたのか、エドワルドが眉をひそめる。


「どうした、僕に何か用があるのか」

「滅相もございません殿下。傍らにおられる美しい姫君に見惚れていた次第でございます。噂によると、どうもランベルト家に縁がある娘だとか」

「ああ、僕の気に入りの娘だ。それが何か?」

「いえ、賢い殿下のことですから、かの家が王家よりも己の栄誉に忠誠を誓っていることをお忘れではないかと思います。が、一言お耳に入れておかねばと思いまして」

「ご忠告痛み入る。だが結構だ」

 

 エドワルドが男に目もくれずに一蹴する。プライドを傷つけられたのか、男は一瞬鼻の穴を膨らませたが、静かに一礼をした後、エドワルドの背後にいるギルバートを鋭く睨みつけた。


「これはこれはギルバート殿。この度は大変華々しいご活躍を成されたようで。さすがは栄誉ある家柄のご子息だ。これでまたランベルトの名は国中に響きわたることでしょう」

「私は近衛騎士としての職務を果たしたまででございます」

「ほほう、我らが騎士殿は大変謙虚でおられる。やはり野良犬の血が入っている者は敵を嗅ぎ分けて捕える能力に優れているのでしょうな。我々のように飼いならされている毛艶の良い猫ではこうはいかない」


 男の言葉にギルバートは返事をしなかった。だが、男が彼を侮辱したことはエレオノーラにもわかった。


(酷い! 今こうやって平和に過ごせるのはギルが敵を捕らえたからなのに)


 思わずカッとなって立ち上がろうとするが、エドワルドの手がエレオノーラの手を掴んで引き戻す。エドワルドの方を見ると、彼は静かに首を振った。


「話は済んだのか? 観劇の邪魔だ。僕の護衛を侮辱するということは僕自身も愚弄することになるがわかっているのか? 話が済んだならもう行け」

「仰せのままに、殿下」


 そう言って男が一礼して去っていく。男の後ろ姿をキッと睨みつけていると、今度はまた別の男が満面の笑みを貼り付けながら大股でやってきた。


「これはこれはギルバート殿。先日の貴方のご活躍は宮中に知れ渡っておりますぞ。さすがは栄誉あるランベルト家の男ですな」


 そう言いながら男がギルバートにちらりと上目遣いで視線を送る。ギルバートは剣の柄に手をかけ、不動のまま一瞥で返した。


「称賛のお言葉、感謝する」

「これまた、我らが近衛騎士殿は随分と謙虚であらせられる。へへへ、どうでしょう。今度ぜひ我が家で祝賀会を開かせては貰えませんかね。うちの娘がギルバート様にお会いしたいと駄々をこねるんですよ」

「申し訳ないが職務中だ。今するべき話でもないだろう」

「おっと、大変失礼いたしました。では折を見てまた」


 あからさまにヘコヘコしながら男が去っていく。エドワルドの後ろで不動の姿勢を取っているギルバートの顔は無表情で、喜びも怒りもなんの感情も宿していなかった。だが、エレオノーラの耳は背後で微かに小さく息を吐いた音を拾っていた。

 ギルバートが常にさらされているのはこれだった。それぞれの立場によってすり寄られたり敵意を向けられたり、何をしても自身の家名と生い立ちがつきまとう。


(ギル、大丈夫かしら……)


 その後はエドワルドと共に夜会を楽しんだ。だが、エレオノーラの心は常に傍らに控えているギルバートに向けられており、その後の夜会の記憶はほとんどなかった。

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