第26話 サラ
サラは毎日のように王宮へ行き、そしてそのまま屋敷へも寄ってくれる。その日も、夕刻頃にユリの紋章がついた馬車が屋敷の前へ停まり、サラがやってきた。いつものようにギルバートの様子を語り、そして彼への想いを泣きながら語る。エレオノーラはハンナが席を外した瞬間に、薄黄色の液体が入った小瓶を机に置いた。
「これは何……? 何かの薬?」
「ええ。ある人からの伝手でもらった薬なの。どこで手に入れたのかは言えないのだけれど……」
エレオノーラが声を潜めながら囁くように言う。
「ギルバートの治療の件だけど、もしどの薬も効かないようなら、これを試してみて欲しいの」
「ええ……わかったわ」
サラは訝しげに眉を潜めたが、確かにこれ以上打つ手がないのであれば、ひとつの可能性に賭けるしかないと思い至ったのか、頷いて小瓶を受け取った。
サラはギルバートの容態を伝えると足早に帰宅していった。エレオノーラは馬車が往来に消えていく様を、祈る様な思いで見送った。
※※※
サラの生家であるグレイス家は、もとは商家だった。誠実な取引と巧妙な駆け引きで貴族相手に財を築き、今や王家との取引もある。本来、下級貴族であるサラは安易に王宮へ出入りできる立場ではないが、王家へ品物を届ける際のみ中へ入ることができるのだ。
ギルバートの治療にあたり、グレイス家はありとあらゆる薬を取り寄せ、またサラもそれに付き添ってギルバートの様子を見ることを許されていた。
サラは元々そこまで結婚に夢を見ていなかった。商人魂を継いだサラは、結婚も家名を上げる為の手段くらいにしか思っていない。だから、最初近衛騎士として代々王族に仕えるランベルト家と見合いの席が決まった時も、父は大物を狙っている程度にしか思っていなかった。
だが、その気持ちも当人に会うまでのことだった。ランベルト家の屋敷──もちろん、今までに見たことも無いほど大きい屋敷だ──でギルバートと会った時、サラは一目で恋に落ちた。
短い黒茶の髪に鋭い灰色の瞳。王族の護衛らしく服装は控えめだが、端正で精悍な顔立ちは初めて恋をする娘の目を引くには十分だった。忠義に厚く、実直そうな性格も商人の血を引くサラには魅力的に映る。よく鍛えられた体躯も男らしく、こんな人に情熱的に迫られたら……と思うともういても立ってもいられなかった。
その場で父にギルバートの屋敷へ行くことを提案し、何としてでもランベルトとの繋がりを作りたい父親は口八丁でそれを了承させた。商人からしてみれば、世渡りを知らない貴族を丸め込むなど容易いことだ。うまくギルバートの屋敷へと向かう馬車に乗り込んだサラは天にも登る気持ちだった。
だからこそ、彼の屋敷で出会った娘を見た時は、思わず身構えてしまった。彼女はそれほどまでに綺麗な女性だった。髪はここいらでは珍しい海の色で、瞳は鮮やかなサファイアブルー。パッチリした目と薔薇色の頬、そしてさくらんぼ色の唇は愛らしく、人間ではないような──まるで海の女神のように整った美しさだった。硬派な彼は、一見控えめのようでいて華やかさを持つ女性が好きなのかと胸がざわめいたのをよく覚えている。だからこそ、彼女が親戚の娘と聞いたときは心の底からホッとした。よく考えれば、婚姻相手を探しているのに恋仲の女性と住んでいるわけがないことに気付きそうなものだが、賢いサラはその時ばかりは盲目だった。
サラは彼に夢中だった。初めて出会った運命の人。初めて自分の想いに火をつけた人。
だから彼女は、何としてでも彼と結婚したかった。
ユリの紋章がついた馬車から降り、サラは父親と共に王宮へと足を踏み入れた。繋がりのある薬屋から一級の薬を取り寄せているが、ギルバートは未だに目を覚まさない。王宮侍医であるユリベルクと言う名の医者も頭を抱えていた。
サラは医者に歩み寄ると、持っていた籠から小瓶を取り出した。
「先生、これを使ってみてください。新しい薬です」
医者の目を見てハッキリと言う。眼鏡をかけた中年の男性は、サラの手元にある瓶を見て眉を潜めた。
「サラ様。その薬はどこで手に入れたものですか。彼は護衛とは言えランベルト家の者です。彼に何かあれば貴女の身も危うくなりますよ」
「しかし先生。どの薬を試してもギルバート様の体を解毒しきることができませんでした。現状打つ手がないのであれば、少しでも可能性がある方に賭けるべきではありませんか」
医者の言葉にも負けじとサラが反論する。駆け引きをする際に、こちらが弱気な態度をみせてはならないのは商人の鉄則だ。医者も顎に手をあてて暫く考え込んでいたが、サラの言うことに納得したらしく、小瓶を受け取るとゆっくりとギルバートの口に流し込んだ。さすがは医者だ。気道に詰まらせないように上手く飲ませると、彼は再びギルバートを寝台に横たえた。
サラはギルバートの側でずっと様子を見ていた。薬を飲ませて数刻経つが、特に大きな変化は見られない。サラは思わずギルバートの手にそっと触れた。剣を握る手は大きく骨ばっていて、マメだらけだ。それでもこれが王子を守った手だと思うと愛おしかった。
「ギルバート様、早く良くなってくださいね」
サラが声をかけた時だった。ギルバートの指がピクリと動き、ゆっくりとサラの手を握り返す。驚いて彼の顔を見ると、まぶたが重たげに開いて灰色の瞳が現れた。
「ギルバート様!」
思わず叫ぶと、灰色の瞳がこちらを向く。次いで、彼は誰かを探すかのようにゆっくりと周囲を見回した。
「ここはどこだ」
「ここは王宮の病室です。ギルバート様」
サラが涙ぐみながら答えると、ギルバートは何かを合点したように目を伏せた。医者が側に寄ってきて、瞳孔や脈拍の確認を行い、一通りの診察をする。
「ギルバート様、ご気分はいかがですか」
「痛む部分はあるが……概ね問題ない」
「さようでございますか。あぁ良かった。サラ様のおかげですね」
医者が感極まったように声を詰まらせると、ギルバートが微かに眉を潜める。
「どういう意味だ?」
「サラ様がお持ちになった薬を飲んでいただいたのです。今までは何の薬も効かなかったのに……もしかするとこれは愛の力かもしれませんね」
医者の言葉に、ギルバートがサラの方を向いた。射るような力強い真っ直ぐな瞳に、サラの胸がトクリと鳴る。
「サラ、貴女はこの薬をどこで手に入れたんだ」
ギルバートが静かな声で問う。エレオノーラに貰ったと答えようとして、サラは何かに気付いたようにハッと口をつぐんだ。
この状況下で不謹慎な話だが、これはサラにとってチャンスに違いなかった。ギルバートと一緒になる為には、ここでなんとしても彼に自分を強く印象付ける必要があった。
「……私が独自に持っている経路から入手しました」
声に後ろめたさがまじる。だが、サラがギルバートと結婚することは、きっとエレオノーラやハンナにとっても悪いことではないと思い直し、サラはしゃんと胸を張った。屋敷へ訪れると、二人はいつも温かく出迎えてくれる。エレオノーラが恋敵であれば多少の罪悪感はあったのだろうが、そもそも彼女は親戚の娘だ。だとすればこんな小さな嘘くらい可愛らしいものだろう。多少の事実を捻じ曲げた所で、誰も損をしないのだから。
「その経路は言えません。ですが、確かな筋から譲り受けました。信じてください」
彼の灰色の瞳を見つめながら真っ直ぐに言う。後ろめたい気持ちを隠すように、瞳に強い光と仄かな思慕の情を乗せて。
ギルバートは驚いたようにサラの顔を見つめていたが、やがてふっと優しい顔で微笑んだ。
「そうか、ありがとう。貴女は私の命の恩人だ」
ギルバートがそう言ってサラに向かって頭を下げる。彼の優しい笑みを見た瞬間、サラの罪悪感はどこかへ消えてしまった。
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