第25話 薬

 その後、王宮侍医達の手によってギルバートは連れて行かれ、後には混乱状態の貴族達が残された。わけがわからないままにエレオノーラ達はそれぞれの屋敷へ戻され、この度の儀式はこの一件が落ち着くまで延期となった。


 エレオノーラはギルバートの屋敷の中で、窓の景色をずっと眺めていた。照りつけるような日差しはだんだんと緩やかになっていき、時折ゾクリと肌を撫でる冷たい風が吹いてくることもある。いつの間にか木々も葉の色を変え、次第に秋の装いになっていく町並みを、エレオノーラは憂いた表情で眺めていた。

 数日前の賊の襲撃以降、ギルバートは屋敷へ戻っていない。容態が安定しないらしく、ずっと王宮での治療を続けている。ギルバートに一目会いたかったが、エレオノーラの立場では簡単に王宮に入ることができない。彼は今も一人で苦しい思いをしているのかと思うと、エレオノーラの胸は張り裂けそうだった。


 悲しみに暮れながら窓の外を眺めていると、カラカラと音がして、一台の馬車が屋敷の前へ停まった。馬車の外側には見覚えのあるユリの紋章が描かれている。案の定、馬車から降りてきたのは真紅のドレスを身にまとったサラだった。

 エレオノーラも立ち上がり、階下へ行く。ハンナ一人に来客の対応をさせるのは大変だろうからとお茶の支度をして玄関ホールに向かうと、玄関口で対応するハンナと外套を脱いでいるサラの姿が見えた。

 客間に通し、緊張をほぐしてもらう為に世間話をひとつふたつする。お茶を飲んだサラは悲しそうな顔でカップをコトリと机に置いた。

 

「ギルバート様だけど、まだ目を覚まさないの」


 サラが涙声でポツリと言う。生家の縁で王宮に入れる彼女は、毎日のように屋敷に寄ってギルバートの様子を伝えてくれる。だが、彼女がもたらす知らせは、あまり良い内容のものではなかった。


「以前と比べても変わりはないのかしら」

「ええ。むしろどんどん悪くなっているみたい……昨日私が彼の元へ行った時は、私の声も届いていないみたいだった。時折苦しそうに唸るのだけど、会話ができたことはないわ」

「そうなの……」


 サラの言葉に、エレオノーラも膝の上できゅっと両手を握った。彼は倒れる直前に、刃に毒が塗ってあると言っていた。もしそれが事実なら、かなり危険な状態なのかもしれない。本当はエレオノーラも彼の側にいて声をかけたかったが、こうやってサラから間接的に話を聞くことしかできないのが悲しかった。


「ギルバート様に何かあったらどうしましょう……私、私……」


 サラが両手に顔を埋めて嗚咽する。エレオノーラは彼女の隣に座って、背中を優しく撫でてやった。本当はエレオノーラも彼の側で一緒に泣きたかった。だが、ギルバートがいなければ王宮にさえ入れない自分にはどうすることもできない。エレオノーラにできることは、黙って優しくサラの背中を撫でることだけだった。


※※※


 ギルバートの負傷により、ハンナもすっかり気落ちしてしまったようだ。主人のいない書斎や寝室の掃除をしている時の彼女は暗く、とても悲しそうだった。屋敷の手入れは定期的に人を雇っているが、エレオノーラもハンナを精神的に支える為に日常の細々した用事を請け負うようになった。

 その日はキースの診療所まで薬を貰いに行く為に、エレオノーラは外を歩いていた。ハンナも高齢の為か、寒くなってくると足に軽い痛みを覚えるらしい。

 自分で馬車を呼び、町まで出たエレオノーラは木枯らしが吹く道を歩いていった。最近は羽織る物がないと肌寒いくらいだ。

 石畳の道を歩きながら、そういえばここは以前にギルバートと一緒に歩いた道だなとぼんやりと思った。あれは人間の世界に来たばかりの頃で、見るものすべてが新鮮に映ったものだ。

 お互いに軽口を叩きながら、それでも一緒に楽しく町を歩いた時のことを思い出した瞬間、エレオノーラの目からポロリと涙がこぼれ落ちた。あっと思う間もなく、熱い涙が風にさらされて冷えた頬を濡らしていく。止めようと思っても、意思に反して涙はとどまることを知らない。このままではキースの診療所に行くことはできないと思い、エレオノーラは石畳の道を外れて別の方へと歩いていった。

 海辺までたどり着くと、エレオノーラは近くのベンチに座った。時折涙を拭いながら海を見ていると、少しずつだが気持ちが落ち着いてくる。

 昔から陸は憧れの場所だった。岩場の影に身を潜めながら、毎日人間の世界に思いを馳せたものだ。それが、今は陸地から海の世界を見ているなんて不思議な気分だった。

 慣れ親しんだ海を眺めているうちに、少しずつ気持ちが落ち着いていく。最後にぐいっと手の甲で涙をぬぐい、エレオノーラは立ち上がった。


「エレオノーラ」


 突然、下から小さな可愛らしい声が聞こえた。不思議に思いながらも声のする方へ目を向け、エレオノーラは深青の目を見開いた。


「シェル!」


 そこにいたのはタツノオトシゴのシェルだった。小さな頭をちょこんと海から出して、まん丸な黒い瞳でじっとこちらを見ている。エレオノーラは慌てて小さな友人に駆け寄り、屈んで彼と目を合わせた。


「やぁエレオノーラ。元気だったかい」

「シェル! 私、あなたに会いたかったのよ」


 エレオノーラが心からの気持ちをこめて言うと、シェルは小さく体を揺らした。肯定の意味だろう。

 

「良かった。もう君とお話ができないと思っていたよ」

「シェル、ごめんなさい。勝手に陸へあがってしまって。でもあの時はこうするしかなかったの」

「ああ、違うよ。君が人間になってしまったから、僕らとはもう言葉が通じないのかと思っていたんだ。でも良かった。またこうして君とお話ができるんだね」


 シェルが嬉しそうに体を揺らす。エレオノーラは彼の言葉に、ハッと息を飲んだ。確かに体は人間だが、未だ人魚としての能力は失われていないようだ。そう思った瞬間、かつて言われた言葉が脳裏に蘇る。


 ──知ってる? 人魚は薬になるらしいよ。怪我が治るとか、寿命が伸びるとか。


 ──人魚の血は薬になるという話もあるが、今度採血して成分を調べさせてもらってもいいかな?


 ギルバートとキースの言葉だ。彼らの言葉を紐解くに、人魚の血は人間にとって薬になる可能性があるらしい。そう思った瞬間、エレオノーラは立ち上がった。


「シェル、もう少しここで待っていて。すぐに戻るから」


 そう言うと、エレオノーラは再び診療所への道を駆け出した。


※※※


 久しぶりにキースの診療所に行くと、妻のマリーが温かく出迎えてくれた。だが、キースもマリーもどこか悲しそうな、憂えた表情をしていた。


「ギルバートの件は兄さんから手紙で聞いている。容態はかなり悪いらしいな」


 エレオノーラがソファに座って出されたお茶に口をつけていると、向かいのソファに座るキースが難しい顔をして切り出した。


「短刀に毒が仕込まれていたようだな。致死量ではなかったらしいが、それでもかなり危険な状態だ」

「……ギルバートを助ける方法はあるの?」

「わからない。兄さんも付きっ切りで見ているらしいがもう毒が体中に回り切ってしまっているらしい。これを解毒する薬は、今の所ない」


 キースが腕組みをしながら大きく息を吐く。王宮侍医の力を持ってしても解毒が難しいとなれば、彼の生死は絶望的なのだろう。 

 暗い空気の中、キースが調合した薬をエレオノーラに渡してくれる。


「頼まれていた薬だ。足が痛むときに服用するように言ってくれ。ハンナさんに宜しく」


 頷きながら小瓶に入れた薬を受け取り、籠の中に入れる。その後、エレオノーラは大きく鼓動を打つ心臓を抑えながら、なるべくなんでもないように口を開いた。


「あの、栄養剤も頂けるかしら。最近なんだか体の調子が良くなくて」

「ああ、いいよ。今用意してあげよう」


 キースが快く返答し、薄黄色の薬が入った小瓶を渡してくれた。ついでに少し大きめの瓶ももらうと、エレオノーラは丁寧に礼を言って診療所を出ていった。


 診療所を出たエレオノーラは真っ直ぐに屋敷へと向かった。もちろん、途中でシェルの元へ行き、彼を小瓶に入れて連れ帰るのも忘れない。

 屋敷に戻ったエレオノーラは、静かにギルバートの書斎へ入った。いつも彼が座っている文机に座り、貰った栄養剤の瓶をコトリと置く。そして机の中から銀細工のついた小刀を取り出すと、そっと細腕に刃をあてた。

 ゆっくりと小刀をひくと、ツンとした痛みと共に鮮やかな血が一筋流れ出る。そのまま腕を瓶の口にあてがうと、赤い水滴が流れ落ち、瓶の中の薬に落ちて波紋を広げる。赤い血は薬と混ざり、一瞬煙のように水中に広がったかと思うとそのまま綺麗に溶け込んだ。

 エレオノーラは小瓶の蓋をしめると、そのままじっと椅子に座って窓の景色を眺めていた。

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