番外編③ 雪の精霊と氷の王(前編)

 むかしむかしあるところに、森に囲まれた小さな王国をおさめるひとりの王様がおりました。

 王様の国は王様以外はだれも住んでおらず、王様はひとりぼっちで暮らしています。王様は毎日とてもさみしい思いをしていました。

 そこにある日、小さな雪の精霊がやってきました。手のひらに乗ってしまいそうなほどに小さく、あいらしい精霊は、王様をみて鈴のような声でころころと笑いました。


「あなたはもう一人ぼっちじゃないわ。私が友達になってあげるもの」


 王様はよろこびました。毎日精霊とともに時間をすごしました。一緒においしいものを食べたりうたを歌ったりしてすごしました。王様はうまれてはじめて幸せというものを感じたのです。


 それでも別れの日はとつぜんやってきてしまいました。

 冬が終わり、ぷっくりとしたみどりの芽が雪をわって顔を出したある日、ちいさな雪の精霊は王様の手のなかでスゥっと溶けて消えてしまいました。

 王様はなげき悲しみました。王様のさけびは吹雪となり、地面に落ちた涙は氷となって大地をおおってしまいます。草も木も、花も海もすべてが氷におおわれ、辺りには氷でできた木や花、草がしげりました。

 王国がすっかり氷の大地となった頃、空からまっしろな雪がちらちらと降ってきました。その雪は氷の花の上につもってかたちを成し、あの雪の精霊となったのです。

 王様と雪の精霊は涙を流しながら再会をよろこびあいました。

 そうして二人は、いつまでもしあわせに暮らしました。



❆❆❆


 その物語は、この国に住む者なら誰もが知っているおとぎ話だ。交易が主な収入源となっているこの国では、雪が王都を銀世界に変え、海が氷の大地となる冬の季節には船が出せなくなる。雪に対する畏敬の念により生まれたのがこの物語なのだろう。雪が降ると、「雪の精霊が氷の王に会いに来た」と言い、つかの間の冬の季節を楽しむのだ。

 毎年雪が降り始める時期になると、このおとぎ話を元にしたお祭りが行われる。男は氷の王に、女は雪の精霊に扮した仮装を行い、ご馳走を食べたりおどりを踊ったりして雪の日を楽しむのだ。その日は貴族も市民も、老いも若きも分け隔てなく、王都中が一体となって祭りを楽しむ。

 王宮でも二人を称える催しは行われた。毎年王族の前でおとぎ話をもとにした演劇が披露され、その後に氷の王と雪の精霊に扮した貴族の子女や若い夫婦が宮廷でダンスを踊る。

 幼い頃、父に連れられて王宮で催される演劇と舞踏会に参加するのが毎年の恒例だった。観劇の為というより王族の護衛をする父の付き添いという意味合いが大きかったが、いつも厳かな空気が漂う王宮が一転して華やかな空間になるのは子供なりにとても楽しかった記憶がある。

 青と白を基調にした豪奢な衣装を着た氷の王と、ダイヤや真珠が散りばめられた青と白のドレスを着て舞う美しい雪の精霊。困難を乗り越えて結ばれた王と精霊の姿は、いたいけな少年の心にも憧れの気持ちを抱かせた。

 主賓席から劇を眺める王族達の横で直立不動の姿勢を取りながら、幼いギルバートも舞台を眺める。クライマックスのシーンに差し掛かり、舞台の上で王が精霊を抱き上げた。幸せそうに見つめあい、抱き合う恋人達。例えそれが役者による演技だとしても高揚した。


「父上、僕も将来は雪の精霊に会うことができるでしょうか」


 同じく自分の横で直立不動の姿勢をとっている父に小声で話しかけると、自分と同じ色をした灰色の視線が降りてくる。


「お前に期待しているのは、踊り子ではなく王を護る盾だ。劇が終われば、舞踏会の警護になる。私の姿をよく見ていなさい」


 舞台の出来や踊りの美しさを語り合うこともなく、観劇を終えた父にかけられる言葉はいつもこれだけだった。





 幼い頃のギルバートの日常は、剣と勉学でできていた。

 建国された時から貴族の称号を賜り、数百年間にわたって王族を守り続けてきた大貴族フォン=ランベルト家。十歳にもなれば、それまでおぼろげに理解していた自分の立ち位置や役割もわかってくる。

 ギルバートも、先人達が守り抜いてきた使命を後世に引き継ぐ為に、跡取りとしての自負と自覚を持って日々の鍛錬を怠らなかった。同じ年代の子達が遊びに夢中になっている間も、彼は脇目も振らずに、ただひたすらに使命を全うすることだけを考えていた。


 朝起きてすぐに庭に出て剣の稽古をするのは幼少期からの日課だ。

 その日も、起床後すぐに一人で身支度を整えると、ギルバートは剣を握りながら庭に出た。氷のような風が肌を撫で、庭の草木には白い霜が降りている。体内まで凍らせようとしてくるような冷たい空気を気合いで相殺し、ギルバートはシャツの袖をまくった。

 重たい剣を握り、型や動きを体に叩き込む。王家の護衛という職に就く以上、王族にあだなす敵はすべて殲滅しなければならない。もし一瞬でも敵の刃が王族の肌をかすめただけで、数百年にわたって貴族の称号を守り抜いてきたランベルトの名は地に落ちるからだ。

 将来対峙することになるであろう架空の敵を思い描き、己の使命を心に叩き込みながらひたすらに剣を振るう。張り詰めた空気の中で稽古を終えたギルバートは剣を地面につきたて、額の汗を腕で拭った。凍てついた冬の空気が熱のこもった肌を撫で、荒い呼吸が空気を白く湿らせる。

 呼吸を整えながらギルバートは後ろを振り向き、背後の屋敷の窓を見上げた。窓際で自分を見つめる人影。父であるコンラッド卿が自分の稽古を静かに見ている。

 どれだけ頑張っても、父からねぎらいの言葉をかけられることは無かったが、自分を見ていてくれるその視線だけで、ギルバートは報われたような気持ちになるのだった。




「ギルバート様、お帰りなさいませ」


 屋敷に戻ると、玄関で年若いメイドが出迎えてくれた。黒髪をきっちりまとめ上げた、優しい表情をした女性だ。物腰の柔らかい態度と完璧な仕事ぶりで大人っぽく見えるが、彼女はまだ十六。この屋敷の中でも、とびきり若いメイドだった。


「お召し物を頂戴いたします」

「ありがとうメイサ」


 羽織っていた上着を彼女に手渡しながら礼を言うと、メイサが恭しくそれを受け取る。そしてキョロキョロと辺りを見回し、人がいないことを確認するといたずらっぽく笑いながらエプロンのポケットから小さな包みを取り出した。透明な袋の中にクッキーが数枚入っており、リボンで可愛くラッピングされている。


「わっクッキーだ。メイサが焼いたの?」

「ええ、毒見にまわる前に持ってきました。私達しか知らない焼き立てのクッキーの美味しさをギルバート様にも知ってもらいたくて」

「ありがとうメイサ。ここで食べてもいい?」

「ふふ、ハンナ様に見つからないようにしてくださいね」


 人差し指を口に当て、メイサがいたずらっぽく笑う。

 本来であれば自分達貴族の口に入るものは毒味をしたものでなければならないのだが、この年若いメイドはこうやってコッソリ焼きたてのお菓子を分けてくれることが多かった。

 メイサの行いは規則を逸脱している行為ではあったが、彼女は色々と気苦労の多いギルバートをよく気にかけてくれる。そのことが嬉しくて、ギルバートもこのことは自分の中だけに仕舞っていた。

 袋を開け、中身取り出してかじりつく。甘いバターの香りをまとったしっとりと柔らかいクッキーは、ギルバートの心にもじわっと熱を与えた。


「美味しい。ありがとう、メイサ」

「いいえ、ギルバート様の笑顔を見られるのならお安い御用ですよ」


 言いながらメイサが優しく笑う。ギルバートは彼女が好きだった。恋慕の感情ではなく親愛の情ではあったが、同じ年頃の子と関わることがなかったギルバートにとって年の近い彼女は血の繋がった家族よりも温かい存在だ。だからこそ、主人と雇われた者という隔たりが少し寂しかった。


「メイサ、そんな仰々しい呼び方なんてやめてくれよ。僕のことはギルバートって呼んで」

「申し訳ありません、ギルバート様。わたくし達とあなた様は身分が違う御方ですから」


 またそれか。身分、家柄、血筋。そんなものによって距離を置かれるのがギルバートは悲しかった。王家を支える大貴族と平民の血。誰かが決めたくだらない線引はいつも自分を苦しめている。

 学校に行けば名家の者だと敬遠され、子供は疎か大人までも自分に敬意を表して頭を垂れる。かと思えば裏では下賤の血が流れる子と陰口を叩かれているのも知っていた。煩わしいものをすべて取っ払った、生身の自分を見てくれる人は一人もいなかった。


 ――違うよメイサ。僕は身分なんて関係なく友達になってほしいんだ。


 思わず口から出そうになる本音を、ギルバートは黙ってクッキーと共に飲み込んだ。


 剣と勉学。そしてほんの少しの寂しさ。

 決して楽しい幼少期とは言えなかったが、それでもそれなりに幸せを感じていたと思う。それはひとえに、自分が父の期待を背負った、求められた存在だという自覚があったからだ。

 だが、そんな小さな世界はランベルト家に正式な跡取りが生まれたことで終わりを告げた。



 義理の母と父の間に生まれてきた弟はふわふわの砂糖菓子みたいな天使だった。ふくふくとした手足は小さく、喜びを詰め込んだようなほっぺたは見るものを幸せにさせた。

 見ているだけで可愛くて、愛さずにはいられない存在。だが、弟の手に触れようとした瞬間、横から伸びてきた手が赤子をスイと抱き上げた。


「汚い女の血が流れている手で触らないで」


 正妻としての立場を踏みにじられた継母は、誰かを愛する権利さえギルバートに許してくれなかった。そして正妻としての地位を盤石にした彼女は次の日から報復のようにギルバートに辛く当たり始めた。

 今まで優しくしてくれたメイド達は、継母の目を恐れて構ってくれなくなった。時折何人かが優しい言葉をかけてくれるも、彼女の気配を感じるとそそくさとどこかへ行ってしまう。彼らも生活がかかっている以上クビにされないように必死だったのだろうが、やはりその変化は辛いものがあった。


 そんな寂しさを振り払うよう、ギルバートは一層稽古に励んだ。雨の日は屋根の下で、雪の降る寒い季節も、一日も稽古を欠かすことはなかった。

 だけど一息ついて剣をおろし、窓を見上げても、もうそこに父の姿はなかった。


 


※※※


 小さな世界が一転したのは雪が降る日のことだった。

 いつものように庭で稽古を終えたギルバートは、かじかんだ手をさすりながら屋敷へ戻った。

 今日も窓に父の姿はない。冷え切った心は雪と寒さのせいだけではないだろう。

 悲しみをぐっとこらえながら屋敷に入ると、メイサが玄関で待っていてくれた。いつもの通りに彼女に上着を預けようとして、帰宅を出迎える挨拶がなかったことに気付く。不思議に思って彼女を見ると、メイサは真っ青な顔をしてこちらを見ていた。


「メイサ、どうしたの? 具合でも悪いの?」

「い、いえ。なんでもありません、ギルバート様。お気遣いいただきありがとうございます」

「そんな畏まらないでよ。メイサ、今日はね、全部の型を間違えずに最後までできたんだよ。見ててくれた?」

「え、ええ。大変お上手でございましたよ」

 

 にこりと微笑む彼女の笑顔はどこかぎこちない。歯切れの悪い物言いもいつもの快活な彼女とはかけ離れている。訝しげにメイサの顔を見ていると、彼女が逃げるようにフイと視線をそらした。そのままエプロンのポケットに手を入れ、中から包みを取り出す。手のひらに広げられたのは、まだ香ばしい匂いを放つクッキーだ。


「ギルバート様、本日のお菓子です。おひとついかがですか」

「ありがとうメイサ。僕、メイサが焼いたクッキーが一番好きなんだ」


 パッと顔をかがやかせながらクッキーを一つ掴むと、メイサの顔が一瞬引きつったように見えた。思えばその時に覚えた違和感に従って食べるのを辞めていれば、自分の世界は壊れなかったかもしれない。だけどその時は……彼女の心遣いが嬉しかったのだ。だからギルバートはためらわずにそれを口に放り込んだ。

 だが、次の瞬間には強烈な苦味が口の中に広がり、喉に焼けるような痛みが走る。ビリビリと痺れる舌の感触と猛烈な吐き気。えづいて口の中の物を吐き出すがもう遅く、殴られたような頭の痛みと共に視界が歪み、ギルバートは床に倒れ伏した。


「ぐっ……苦しい……なんだ、これ……」

「ギルバート様……!」


 おぼろげな視界の中にメイサの顔が映る。彼女は何か恐ろしいものを見るように怯えた目でこちらを見ていた。恐怖と、悲しみと、苦しみがないまぜになったような表情。

 それでもそこに驚きの色はない。彼女は恐ろしいほど冷静にこの現実を受け止めているようだった。まるでこうなることを知っていたかのように。


「メイサ……メイサがやったの? これを」

「申し訳ございません。申し訳ございません、ギルバート様」

「ど……うして……? メイサ……ぼくは」

 

 信じていたのに。という言葉の代わりに競り上げたものを吐き出す。床に鮮やかな赤が広がり、死という文字が頭を掠めた。

 床に這いつくばりながら彼女の顔を見上げると、メイサは酷く悲しそうな顔をして自分を見下ろしていた。それでも、救いの手は差し伸ばされない。


 どうして、どうしてメイサ。どうして


 ――僕を愛してくれなかったの。


 薄れゆく意識の中で言葉にならない問いを投げかける。だが、その答えを得る前に、ギルバートの意識はぷつりと途切れた。





 目が覚めると、そこは白い部屋だった。

 視界に映る白い天井と白い壁、白い窓枠。白を基調とした清潔感のある部屋が、まるで色を失った世界のようにギルバートの目に映った。


「坊ちゃま……! ああ、良かった。お気づきになられたのですね」


 まだぼんやりとした視界の中に、目に涙をためてこちらを見るハンナが映る。彼女以外部屋には誰もいない。


「ハンナ、僕は一体どうなったの」

「毒を飲まされたようです。一時期昏睡状態になりましたが、飲ませた薬が効いたようです。お戻りになられて、本当に良かった……」

「メイサはどうなったの?」


 静かに問うと、ハンナが悲しそうに目を伏せる。


「彼女は先程屋敷を追い出されました」

「メイサも、僕が死んじゃえばいいと思っていたのかな」

「彼女も奥様の命には逆らえなかったのです」

 

 ハンナの声は震えていた。もちろん、黒幕が誰なのかはわかっている。そしてメイサにだって守るべきものがあることも。 

 それでも、その守るべきものの中に自分は入っていなかったという現実が鋭い刃のように自分の心を傷つける。やはり自分は、誰からも愛される人間ではなかったのだ。

 不思議と涙は出なかった。心が血を流しすぎて、もう涙なんて枯れてしまったのかもしれない。

 この一件を受けて以降、ギルバートが屋敷に戻ることはなかった。





 自分にとって愛はいつでも遠くにあって、側で眺めるものだった。跡継ぎだから、身分が高いからと条件付きで与えられるもの。

 誰かを愛し愛される関係は絵本の中の出来事で、それこそ幼い時に見た演劇のように観客席から眺める夢物語にすぎなかった。


 だけどあの時――洞窟で、全身傷だらけになりながら、涙に震える彼女が自分にすがってきた時に。


 もう一度誰かを好きになりたいと、そう思ったのだ。

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