第41話 真相

 屋敷を出たギルバートは馬車に乗り、真っ直ぐにキースの診療所へと向かった。急な訪問だったが、マリーもキースも快く中に入れてくれた。

 マリーが出してくれた温かいお茶に口をつけ、ギルバートは持ってきた本を机に置いた。


「なんだこれは? 随分使い込まれた本だね」

「これは人魚の女の子が書いた本だ。このことでお前の力を貸してほしい」

「おいおい仕事のしすぎじゃないか? まさかお前の口からそんな冗談が飛び出すとはな」

「冗談ではない。だが、今から言うことは真実だ。俺のことをイカれたやつかどうかを判断するのはお前に任せる」


 そう言うと、ギルバートは静かに話し始めた。人間に恋をした人魚の女の子が陸にあがり、そして短い間だったが一緒に暮らしていたことを。キースは眉を潜めながら聞いていたが、ギルバートが話し終えると難しい顔で腕組みをした。


「正直、この話をしたのがお前じゃなかったらこの場で追い返していた所だな。人魚が人間になって、想いが通じなかったから泡になって消えただと? かなり眉唾な話だが、それが本当だとして僕に聞きたいことは何なんだ?」

「この本の一文を見てほしい」


 そう言ってギルバートが本を開き、該当の一文を指差す。


「この童話に出てくる人魚姫は海に身投げをする直前に足に傷を負ったと書いている。この足の傷はエレオノーラ……くだんの人魚の女の子の足にもついていた。地上に上がってからまだそれほど日が経っていない頃だったから、どこで傷を負ったのかと不思議に思ったのだが」

「なるほど、お前の言いたいことがわかった」


 キースが合点したように頷く。


「お前は、その人魚と童話に出てくる人魚姫が同じ人物だと思っているんだな」

「全く同じかはわからない。だが、もしかすると彼女は同じ肉体を得て繰り返しこの世に生まれている可能性がある」

「考えてみれば、生物として泡になって消えるというのは腑に落ちないな。どんな生物であっても肉体はいずれ土に還る。なるほど、そう考えると泡になって消えるというのは完全な死ではないのかもしれないな」

「そこでお前の知恵を貸してほしい。キース、今の話で何かわかったことがあれば教えてくれ」

「そうだな……」


 キースがソファに深くもたれ掛かり、眉間にシワを寄せながら黙考する。暫し無言の時間が続いた後、彼はゆっくりと口を開いた。


「僕は医者だからな。すべての物事には因果関係や対価があるという考え方をする。それで言うと、まず不思議に思う点は、人魚の女の子……エレオノーラという名前だったか。彼女がウミヘビと交わした約束という点が気になる」


 そこでキースは人差し指をピンと立てた。


「ウミヘビと交わした契約はこうだな。人魚の体と引き換えに人間の体を手に入れることができる。だが、その期限は一年。想いが通じず失敗すれば泡になって消える。まずここがおかしいと思わないか?」

「どういうことだ?」

「人魚の体と引き換えに人間の体を手に入れられるのであれば、理論上は人間の体を返せば人魚に戻れるはずだ。愛した人を殺せば元に戻れるらしいが、それもある意味新たな契約が加算されている状態だ。期限までに叶わなければどちらも奪われるなんて、これじゃたちの悪い取立て屋と同じだぞ」

「確かに……言われてみればかなり条件が厳しいように感じるな」

「僕が考えるに、これは契約ではない。海の精霊とのだ」


 キースが力強く言い放つ。理屈は通っているが、突拍子もない話に、ギルバートも眉をひそめた。

 

「賭け……だと? なぜそんなことを。海の精霊とやらは随分と意地悪な性格なんだな」

「そうか? 僕は逆だと考えるよ。大きなものを手に入れるには、それに相応しい対価が必要だ。種族の違う人魚が人間の体を手に入れ、一生人間として暮らしていく為にはこれほどの厳しい条件を達成する必要があるということだと僕は考える。となるとだ」


 そう言ってキースが腕を組み、ギルバートをしっかりと見据える。


「その点を踏まえて僕が考える仮説はこうだ。海の精霊と契約を結んだ人魚は、大きなリスクと引き換えに人間になるチャンスを手にする。この期間内の彼らは、おそらく人間の体と人魚の力を持った状態だと思う。ある意味で最強の、そして最ももろい存在となる。エレオノーラとやらも海を読んで航海における王子の信頼を買ったらしいからな。では、条件を満たせずに泡になってしまった人魚の肉体はどこにいくか。おそらく母なる海に還った魂は新たな肉体を得て生まれ変わるんだろう。人魚のまま死んだ人魚はそれきりで生を終えるが、契約不履行により消えた人魚はまた新たな命を得て人魚となってこの世に生を受ける。その肉体が朽ち果てるまで」

「だが、彼女の足の傷はどう説明するんだ? 前の人生の記憶を肉体に宿して生まれ変わるのか?」

「いや、彼女だけ少し特別な印象を持つ。もし、この童話の人魚姫がそのエレオノーラという子なのであれば、彼女はまだ契約が保留のままになっているのかもしれない」

「どういうことだ?」

「この童話を読む限りでは、彼女は期限を迎える前に自ら命を断っている。契約は、人魚と恋した相手の想いが同等に通じ合った時に達成されるのだろう。自分が身を引くために身投げするというのは、相手に対する深い愛があったからだ。その思いが海に還った時、人魚姫の愛の大きさと釣り合う対価がなかった。ゆえに、彼女の魂だけは永久に海を巡っているのかもしれない」


 そこでキースは口をつぐんだ。


「すべて憶測にすぎない。もしかしたら間違っていて彼女は二度と戻ってこないかもしれない。だが、もしまだ彼女の魂がこの世にあるのであれば、海の精霊と取引をすれば彼女を取り戻すチャンスはあるはずだ。お前も命を賭ける必要があるかもしれないが」

「そんなことは無論問題ない」


 ギルバートがぐっと拳を握る。


「俺は間違っていた。彼女が幸せでいてくれるなら、俺はそれを側で見ているだけでいいとずっと思っていた。だが、今は違う。例え彼女が他の男を好きであろうとも、今度こそ俺の手で幸せにしてやりたい」


 思い出すのは、美しい可憐なエレオノーラの笑顔だ。たまに小憎らしい顔をするものの、その無垢な魂は自分の中の光だった。いつぞや、彼女が言った「ギルバートは汚くないわ」という言葉は、自分の出生を忌み嫌っていた自分にとっては救われる思いだった。彼女の言葉は、名家の者や王子の護衛という色眼鏡を取っ払った、純粋なギルバート自身を見て発せられるものだった。危険を顧みずに、自分たちを助けるために薬を飲んだことや、王子との結婚が困難なものであることがわかっても諦めずに努力をし続ける彼女の姿勢は、すべてを諦めていた自分に、新たな気持ちを芽生えさせた。

 

 彼女を幸せにしたい。

 今度こそ、自分の手で。


 キースは腕組をしながら難しい顔をしていたが、ギルバートの瞳に決意の色を感じ取ったのか静かに口を開いた。


「お前の気持ちはわかった。命を賭ける覚悟はあるようだな」

「だが、その海の精霊とやらとどう契約をすれば良いのだろうか。彼女の話によると、海の精霊と契約できるのはウミヘビの一族だけだと言うことらしいが」

「そこで先程の話に戻ろう。さっき、僕はこれは賭けだと言ったな。期限内に想いを遂げなければ、人間の体も人魚の体も泡となって消える。だがそうなると、逆にだ。僕が考えるに、おそらくこの場合は人魚の体と人間の体どちらも手に入れることができる。この世界に

「なんだと? そんなことは噂話にも聞いたことがないぞ」

「人魚は美しく、悪意を持った人間から狙われることも多い。私は元人魚ですなんて言わないに越したことがないだろ? だが僕が考えるに、この世界に元人魚である人間は必ずいる。ウミヘビを呼び出すには、条件を満たして人間になった元人魚を見つければ良い」

「だが、お前も先程言っていたが、元人魚になった人間は正体を隠しているのだろう? どうやって見つければ良いのだ」

「そこでお前に聞きたいことがある」 


 キースが神妙な顔をして身を乗り出した。


「お前にとってはあまり気持ちの良い話でないが、お前は幼い頃メイドに毒を飲まされたことかあっただろう? あの時すぐにハンナが解毒剤を飲ませてくれたと言っていたが、なぜハンナは解毒剤をすぐに用意できていたのか僕はずっと疑問に思っていた。もちろん、常に暗殺の危険がつきまとう貴族社会では解毒薬を常備しておくのは考えられることだから、僕はその時あまり気にはとめていなかったんだが……もしかしてあれは人魚の力を使ったんじゃないのか? 彼らの血は薬になるいう噂はお前も知っているだろう」

「そんな、まさか」 

「僕がハンナに初めて会ったのは大人になってからだ。その時すでに彼女の髪は白かったが、若い頃の彼女の髪は何色だったんだ? ギル」


 キースの言葉にギルバートは慌てて記憶を手繰り寄せた。自分が幼い頃から屋敷にいたハンナは、若くして既に白髪だった……いや、あれは白髪に見えていたが実際はもっと青みがかっていたように思う。


「かなり薄い水色……だったと思う」

「やはりな」


 キースが頷き、ニヤリと口角をあげる。


「おそらく、ハンナは賭けに勝った元人魚だ。彼女に話を聞こう」

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