第二章 至り集った者たちの夜に(3)

 店の扉が開き、その客は姿を現した。

 雨に全身を濡らし、扉の向こうでは雷が鳴って光ってみえた。雨に濡れたというより、一度、海に落ちたといわれたほうが納得できるほど全身に水を含んでいた。

 どんな時間帯でも混んでいる、客の多い店だ。どんな客が入ってきても、誰もいちいち気にしない。でも、だめだった。その客は、少し無理しないと無視できなかった。少なくともじぶんはそうだった。

 子供だった、十歳くらい。男の子だった。このあたりではあまり見かけない、色かたちの服を纏っている、ただ、ところどころ破れ、ぼろぼろだった。

 とても竜払いにはみえない。息を切らし、頭からは血が流れていた。

 みんな黙った。音楽も止んだ。開けられたまま扉の向こうでは、世界が怒り狂ったような雷が鳴り続けた。

 とうぜん、リスも見ていた。

 パンタも。

 ヘルプセルフも。

 コース姉妹も。

 トルズ隊長も。

 ホーキングもだった。

 それを気にしない者は、人類には存在しないといわんばかりだった。店へやってきた、頭から血を流す男の子を見ていた。

 まるで異世界に行った感じだった。さっきまでとは別の場所に立たされた気持ちだった。

 嵐の夜に突然やってきた、それはなにしろ、劇的過ぎる。出来過ぎていた。

 でも、それはなにか。とてつもなく大きくて、見えない何かによって、その子を見ろ、そして目を離すなと言われている気もした。この星の意志ぐらい大きな何かに思えた。この子には、人間すべてが関わらなければいけない。

「おい………どうした?」

 男の子の近くの席にいた男が問いかける。近くいる大人の役目だった。

 男の子は顏を向けた。息を切らし、呼吸はしばらく整いそうにない。

 けど、少年は懸命に答えた。

「………ごめんなさい」

 頭をさげて謝った。

「………すいません」

 頭をあげて、今度は小さく頭をさげて謝った。

「ここには、竜払いのひとたちがあつまるって………」

 問われた男は「ああ」とうなずいた。近くにいる者たちも、合せるようにうなずいた。

「あの!」

 とたん、男の子は声をあげた。

「竜払いのみなさんお願いします、きいてください!」

 声変わり前の切実で高い声が店のなかに響く。

 みんな見ていた。

 ただ、厨房からやってきた男だけが黙って厨房へ戻って行った。

「お願いします! どうか………どうか、お願いします………」血と全身を濡らす雨を床へ落としながら叫び、願う。「お願いします………お願いします………」

 ふと、ホーキングを見てしまった。じっと男の子を見ていた。すると、トルズの席で動きを感じた。トルズが椅子から立ち上がり、男の子の方へ向かってゆく。彼の進路をさまたげないように、みんなが後ろへひいた。男の子の前まで来ると、トルズはしゃがんだ。

「俺たちに何か用かい」

 優しい声だった。少しせんせいのことを思い出した、言い方も少し似ていた。そして、俺たち、という言い方は、何かここにいた竜払いたちの多くを熱くさせるものがあったみたいだった。

「きみはこの大陸に人間じゃないね」

 トルズが見抜き、男の子の衣服の違和感を解消してくれた。

「竜が出たのだな」

 トルズが言うと、男の子は真っ直ぐに目を見たまま「………ごめんなさい」と、こぼすようにいった。それから「お金は、ないんです………ごめんなさい………」

「竜が出たのはこの大陸じゃないんだな」

「………はい」男の子はうなずいた。「竜が出たのは、ぼくの暮らしていた大陸です」

 この大陸の人間じゃないし、この大陸以外の竜を払って欲しい。ということは協会を通して、この大陸の竜払いに依頼することは出来ない。この大陸の協会に所属する竜払いは、この大陸の竜を払うことに限っている。協会は、この大陸に住むひとから集めたお金で運営されているからだ。だとすれば、個人で依頼し、料金を負担する方法がある。でも、お金はないという。

 すると、トルズは、たんたん、と男の右肩を軽く手で叩いた。そして、微笑んで見せた。

「話してみろ、それでも方法はあるかもしれない」

 男の子は顏をあげ、トルズを見た。まるで奇跡を体験したみたいだった。

 みんなもその動向を見入っていた。じぶんもだった。

「………はい」

 男の子は返事をし、両目から流れた涙と血とが混じったものを服の袖で乱暴に拭いた。長い漂流から、ようやく陸地を見つけたような疲労ある喜びを見せた後「ありがとうございます………」お礼をいって、頭をさげ、鼻をすすり、顏をあげた。

「ぼくは、ここから七つ離れた大陸からやってきました………」

 七つ離れた。そんな遠くから。しかも、こんな小さな少年が。

 聞いていた店内の者たちがざわめいた。

 トルズは「それはよくやった」と褒めた。「よくここまでこれた」

「………はい」もったいない言葉をもらったように男の子はまた頭をさげた。「ぼくたちの暮らしていた大陸に竜が来たんです」

「………竜が来た」

 ひっかかる表現に、トルズの表情にささやかだけど動きがあった。

「はい」男の子はまちがいないように、はっきりうなずいてみせた。「そいつは、ぼくたちの大陸に来たんです」

 また店内がざわめいた。今度は、さっきとは違う種類のざわめきだった。

 竜が他から大陸へ来るはずがない。竜は長く飛べない。

 いや、もちろん、可能性はなくもない。大陸と大陸の距離が近く、その間にある海が細かったりしたら、竜も飛んで渡ることもあるらしい。実例はなくもない。大陸と大陸が近かったり、それに、ずっと昔、人が竜のことをまだあまりに知らなすぎる頃、捕らえてかなり弱らせた竜を船にしばって乗せて、運んだことがあるとはきいた。竜を倒した証拠を、その時代の偉かった人にみせるために。

 けれど、じぶんが教えてもらった限り、竜は自らの意志で大陸間を移動しないときいた。竜は、はじめからいた大陸にずっといる。まるで誰かに担当をふられたように、かたくなにその大陸に居続ける。

 あたりまえだけど、この店にいる竜払いなら全員知っている、わかっている。だから、男の子の言葉の表現に違和感も覚えたし、けど、もしやという緊張感もあった。

 竜払いならいつだって心にある不安だった。

 いるはずがいない。でも、けど、もしいつかはそういう竜が現れるのではないか。

 男の子の発言で発生したざわめきの理由はそれだった。ただ、動揺するほどでもなかった。そんな竜はまずいないだろうし、何も知らない者からの嘘の報告されることはたまにある。たぶん、この店にいる者たちはみんな、自分の目で大陸を渡って見るまでは信じない。他のひとが生涯で見る竜の数を遥かにしのぐ数の竜を見て来た。

 そして、それはたとえ、涙を流し、必死に訴えかける男の子をまえにしても揺るぎそうにない。竜ことは血を流しながらずっと見て来た。

 かんちがいか、それか、この子は誰かに騙されている。きっと、そんなところだ。そう思っている様子だった。竜はこの惑星で、もっとも危険な生き物で、でも、人は竜のことをよく知らなくても生きてはいける。ほとんどのひとはそうだ。竜払いがいるから、それで生きてゆける。

 男の子は竜払いたちの内面の動きを知るはずもない。必死に続けた。

 両手を握りしめ、叫びになっていた。

「恐ろしい竜なんです、他の竜を操るんです!」

 今度もざわめいた。竜を操る竜。そんなものは訊いたことがない。

「あの竜は………あいつは! ぼくたちの大陸に来て、他の竜を操って、ぼくたちの大陸のほとんどを焼いたんです! 家も畑も、町も、人も………」

 悔しさと恐怖が顏に現れていた。

「とうさんも………かあさんも………」

 身体を震わせていた。

「竜を怒らせたのか」

 トルズは態度を変えず、冷静に問いかけた。

「いいえ」男の子は、はっきりと顔を左右に振った。「ぼくたちは竜を怒らせるようなことはぜったいにしてない」

 けど。

 と、店にいる者たちは思ったにちがいない。そうはいっても、この子が知らないだけで、誰かが竜を怒らせた。そうではないか。きっと、そっちを想像した。

「きみが知らないだけで、誰かが竜を怒らせたんじゃないか」

 突き放すように聞こえるが、トルズが訊ねるのはとうぜんだった。正確な情報をもってないと、現場での生存率がさがる。

「いいえ、誰もあいつを怒らせたりなんかしてません!」男の子は大きな声で否定した。

「どうして怒らせてないといえる」

「ぼくたちの住んでいる大陸は………島は小さいんです! ちいさな村がひとつあるだけの島で、それで、村のひとたちはみんな家族みたいで………みんながみんなを知ってます………村のひとたちのなかで! 竜を怒らせるようなひとなんていません!」

「島の外から来た人間がやったのかもしれない」

 すかさず、トルズは見逃せない可能性を提示する。優しく話しを聞き始めたはずだったけど、少し取り調べみたいな感じになっていた。それも、とうぜんではあった、生存率をあげるためだった。

 男の子は「それは………」と、言葉につまった。顏を伏し気味にした。反論はできなさそうだった。

「ちがう」

 けど、少したって、男の子は、またはっきりとそういった。

「なにがちがうんだ」トルズが追及する。

「きいたんです」

「なにをきいたというんだ」

 たぶん、苛立ちがあった。

「あの竜は………しゃべったんです」

 一瞬、心臓を手づかみにされたような衝撃を感じた。《竜がしゃべる》そんなの、いままで聞いたことがない。

 話は嘘なのか。信じられなかった。でも、涙を流しながら話す男の子を疑いたくはなかった。

「しゃべる?」

 問い返す、トルズの眉間にしわが入った。

「はい………あいつは………あいつは人間の言葉をしゃべりました! きいたんです! ぼくも姉さんも! あのとき、あの場所にいた町のみんなも! きいたんです! あいつがしゃべったことを! おぼえています! あいつがなにを言ったのかも!」懸命に訴えかける。「父さんも母さんもあいつに殺されました! ともだちも殺された! やさしかった町のひとたちもみんな、たくさん! あいつは! あいつは………!」

 知っている。あの男の子の叫びを、どうにもならない感情を。じぶんも、むかし、体験した。だから、男の子が嘘を言っているとは思えなかった。それは同時に、ここまでの竜の話が本当だということになってしまう。

「あいつに! 村を焼くあいつらに父さんが叫んだんです! ぼくをかばいながらあいつに叫んだんです、なんでこんなことをするんだって! そしたら………あいつは、あいつは………《たのしいからだ》って」

 涙を浮かべ、身体は震えていた。その時感じた恐怖と悔しさをすべて思い出したみたいだった。

「ぼくはききました。あんなの、聞きまちがえたりしません! 村のひとたちもみんなききました、あいつがいったことを………にんげんのことばでした………口がうごきました、そのあと父さんは殺されました………………父さんだけ………ぼくは父さんにくっついてたのに………ぼくは殺さなかった………わざと………それからほかのひとたちもほとんど殺されました………あのときあいつはぜんいんは殺さなかった………」

 いったい、この子供はどこの惑星の話しをしているのか。

 店にいた竜払いたちは、話の内容がうまく受け止めることができず、むしろ、茫然としていた。

 店の外では激しい雨が降り続け、雷がなった。雷はおそらく近くに落ちた。この世界の何かが、誰もこの店から逃がさないようにしているよう思える、この男の話から逃さないようにしている気がする。

「むかしから島にも竜はいました、二匹だけです、大きかったけど、二匹ともずっとおとなしかった………なのに、あいつは………いきなり島にきたあいつは………ぼくたちのしっている竜とはぜんぜんちがった………」

「なにがだ」

 トルズが問いかける。

「あいつは」

 男の子の目の焦点が、ここにいないはずの竜に合わされていた。

「まっしろだったんです」

 白、白い。

 白い竜。

 白い色の竜なんて見たことがない。はじめて聞いた。

「白かった………からだぜんぶが真っ白で………目だけ血みたいにあかくて………燃えてる村をみてるあいつのからだは………もっと白くみえて………」

 震えが激しくなる。かれが命を削ってその話をしている気がした。

「白い竜なんです」

 にんげんの言葉を使い、たのしいからひとを土地を焼く、身体は白く、目は赤い竜。

 いるのか、そんなの。こどもはいえ、相手はどこの誰かもわからない。竜については、竜払い以外の人間ではよく知っているつもりだった。けれど、知らない。にんげんの言葉を使う白い竜。

 嘘なのか。嘘とは思いたくなかった。困っていた。

 けれど、次にトルズがいった言葉で次元が決まった。

「不味いな」

 つぶやきにちかいものだったのに、きっとみんな聞いた。店のなかは、ずっとひどく静かだったし、みんなじっと聞いていた。トルズの表情からは男の子にあたえていた優しさがぜんぶ消えていた。

「白いのは不味い」

 そうトルズは続けた。そして、すぐにわかった。彼はたぶん、断る。

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