第五章 いまを奪い続けるもの

第五章 いまを奪い続けるもの(1)

 翌日、太陽が登る前には借りた馬車にすべての物資を積み込み終えた。

 そしてリスが「よぉーし、昨日はきっちり風呂も入ったし! 石鹸も仕入れた。出発だぁ、野郎どもぉ!」と、声をあげた。

 とくに誰も反応しなかったが、ほぼそれを合図にして、雇った若い男の御者が馬車を出発させた。都を囲む高い外壁の向こうへ出る。外壁は竜の侵入防止を懸念して建てたもののようだった。ただ、そんなに高さはなく、きっちりと囲っているわけでもなく、実際、竜という存在に対する緊張感はあまり見られない。一部の外壁には絵さえ描かれている。竜に対する緊張感の希薄さは、おれたちの大陸でも似たようなところがある。大きな町になるほど、それを感じる。それに、きけばこの大陸に、都はここにしないらしく。そもそも大陸内に、この都を危機に陥れるような勢力や、その他脅威もなさそうだった。けれど、立ち返って考えてみるに、竜がいることで、どこの大陸も人間同士の激しい争いが減ったということでもありそうだった。

 ひらすらこの道を行くのだと、手綱を握った若い男の御者はいった。進むのは、すべて見知らぬ土地だった、リスは油断なく地図を見ていた。二匹の馬が馬車をひく、二匹とも灰色に黒いぶち模様が点在していた、兄弟なのかもしれない。道は都を出てもしばらくの間は石畳だった、よく整備されている。町を離れると、道はやがて赤土になった。

 空は晴れていた。うすい青色で雨の気配はない。ふつふつと、筆で薄めて描いたような、ほそく長い雲が浮かんでいた。都から離れると、やがて左右を麦畑を景色とした道をゆくようになった。麦はまだ実りの色をしていない、知っている麦とは少し品種が違いそうだった。風は吹かず、少し肌寒く、草も木の端々もまだ夜露で少ししめっている。息を吸い込むと空気には水分があり、喉がひやりとする。悪くないので何度かやった。用意してもらった二匹の馬は、滞りなく歩きつづける。ただ、馬車はひどく揺れた、車輪の出来がいまいちらしい。このままずっと座っていればやがて腰にきそうな予感もある。この馬車では朝から晩まで移動する予定だ。そこから先は徒歩で進むという。馬車は引き返すため、荷物は自分たちで背負って運ぶ予定だった。

「そういえばよう」ホーキングが口を開いた。「なあ、フリント。おまえさんの船、あのままでだいじょうぶなのか」

「ああ、船を都に置きっぱなしで協会の奴らに悪戯とかされないかって心配だね? しかし、そういった懸念事項は除去済みだ、船は既に都の外まで友人に移動してもらったよ」

「でも、そのままさー」リスが地図をにらみながらいった。「その友人にあんたの船、かっぱわられたりしてね」

「…………」

 フリントが口に手を添えて本格的に黙った。馬車の上が処理しがたい空気になる。

 けれど、物理的な進行は順調といえた。

 空に陽が高く登るにつれ、麦畑は終わり、道は草原の中へ入ってゆく。この大陸に登る太陽もおれたちの大陸と同じはずなのに、なぜか別人のような印象をおぼえた、色がうすい気がする。草原には岩が無差別に生えていた、それはおれたちの大陸と似たような景色だった。そのうち道の質も色もかわって砂利が多くなった。進んでいると、たまに小さな集落を通りかかったが、町と呼べるほどの規模の場所を通り過ぎることはなかった。基本的には散村らしい。

 やはり、最初に立寄った古代派芸術の都の印象が大きく、しかも派手過ぎたせいか、どうしても妙に寂しい景色に思えてしまう。もちろん、あの都だけが、この大陸では異様な発展を遂げているだけともいえる。

 馬車は時折り道を行く地元の住民と道を行き違った。セロヒキはそのたびに「こんにちは」と、声をかけたが、挨拶が返ってくることはなかった。無理もない、馬車の荷台に乗っているおれたちの姿はこの土地では異物感が濃い。海でもないのに大きな銛を肩に担いだ片目の鯨捕り、黒づくめの仮面をかぶって剣を携えた者、偽物っぽい礼服を来た海賊、いかにも使えこなせそうも剣を背名に二本背負った若造。統一感のない者たちを満載し、けれど、ある意味、異物同士としての統一感はあり、とにかく、ひと目みて、頭のなかでどう処理して、分別していいか、わからない集団になっている。

 寄せ集め感がすごい。いまさら思っていた。ある意味、自由の戦士たちといえなくもない。

 そして少し語弊はあるけど、退屈をしていた。いまは馬車に揺られているだけですることがない。白い竜を仕留めにゆく。ここに来るまでにずいぶん恐ろしい竜だとわかってきた。けれど困ってことがあった。本当はあるべきだろう緊張感が、旅を長く続けたせいか、維持し続けるのが難しくなっている。

 早ければ、明日には島へ渡り、白い竜と遣り合うはずだった。明日にはすべてが終わる可能性がある。なのに。

 顏をあげてみた。まだ草原と岩だけの景色が続いている。いまは風も吹いてないし、熱くも寒くもない。地元の景色に似ている、地面から突き出た岩が、少ないくらいだった。

 旅が始まる前からずっと気にはしている、ホーキングは白い竜と何か因縁があるらしい。

 聞きたいが、聞かなかった。おれも、誰も聞かない。あのリスでさえも、得意な戯言を装って聞こうとしない。白い竜とホーキングの片目に何か関係あるのか、どうしても想像してしまう。白い竜にあるという、喉の傷のことも気にならないはずはなかった。

 いまは御者がいる。彼にきかれるのも難しい気持ちになるだろうし、この話をきくのは今じゃない。言い訳をみつけ、口を閉ざしていた。

 それに、もしかすると、おれ以外のみんなには、心に緊張があるのかもしれない。機能不全なのは、おれだけかもしれない。それをたしかめるのは、少しこわかった。

 ところで、御者はもしや、協会の会長のあのオルガンが差し向けた刺客だったりしないか。道中、そんな空想して、時間を埋めようともしてみた。谷かどこかで、急にこの馬車が止まって、左右から剣を持った者たちに襲いかかられたりしないか。しかし、何も起こらない。

 御者は文句も言わず、ただただ、この大陸でももっとも何もない土地へ向かう、格好かたちもばらばらな酔狂な者たちを運ぶ。

 出発して、しばらく経ったが誰も口を開こうとしていない。黙って、じっとしていた。

 そこで、思った。もしかして、おれたちはあまり仲が良くないのか。

 いまさらだった。

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