第八章 生まれた場所以外のために(9)

 どれほど時間が経ったのかはわからない。波音のせいで、気づくのが致命的に遅れた。

 気配を感じ、慌てて振り返るとトーコがいた。その、おれの動きが野蛮だったせいか、彼女は、びく、っと身を震わせて、手に持っていたものを落とした。手籠が砂浜に落ち、中に入れていた瓶と、布に包んだふかし芋が転がった。

「ごめん!」

 急いで謝り、落ちた籠を拾いながら「すいません………」もう一度謝った。

 彼女は身を後ろにさげていたが、やがてもどし「………いいえ」と、首をふって一緒に籠から落ちたものを拾った。

 まだ夜だった。大陸は燃えていた。いつもなら闇のなかで見えるはずのないトーコの顏がよくみえた。彼女は丁寧に砂を払いながら籠へ戻す。それから顏をあげた。

 流れで、その顏をじっと見てしまう。

「あの、見張り………」

「あっ」彼女に見張りの怠りを指摘され、また慌てて大陸の方を向いた。

「いえ、あの………」すると、彼女は「そうじゃなくって………」と続けた。

「え、はい………?」

 怒られたわけじゃないらしい。けど、大陸をはんぶんに見ながら、彼女も見た。

「見張り、私がかわります、ごはん食べてください………食べてないですよね………それと………眠ってください」

 交代を申し出てこられ、虚をつかれたようになった。そもそも、これは見張りなんて、褒められたことじゃなかった。けど、そんなことトーコが知るはずもなかった。

「食べて眠ってください」

 あらためてそう言われた。

 もしかして、もうとっくに眠ってしまっていて、いまは夢を見れらているんじゃないか。そんなことを考えた。

「ありがとうございます………けど」とっさに断ろうとした。ただ、間近にあった彼女の目に、大陸の燃える色が灯ったのを目にして、心が動いた。「いや、やっぱり………少し、やすませてもらいます………」

 彼女の行動に応えたい。願望が強く作用した。

「これ、食べてください………」

 さっきおれが落とさせた籠を手渡される。

「みんなは」

「だいじょうぶです、セロヒキさんがいます。それにうちのビットも」ふと、彼女は少しだけ笑んだ。「あの子は頼りになる男の子になってこのしまに帰ってきましたし」

 少し考えて「ええ」と、だけ答えた。それから「じゃあ、少し眠らせてもらいます」そう言って、砂浜をのぼり、彼女から少し離れた場所に腰を降ろすことにした。彼女は、おれの動きをじっと見ていた。それで、ふと思った。彼女の元へ戻りながら、二本背負った背中の剣の一本を鞘ごと外す。なんとなく父さんの剣の方だった。

 鞘に入ったままの剣を彼女へ掲げてみせた。

「もしなにかあったときは、これを」

 トーコの足元へ剣を置こうとした。とたん、彼女はそれを止めるように、剣を両腕で抱き込みに来た。剣を砂の上に置かせないよう心を使ったらしい。

 剣の重量はそれなりにある。思った通り、トーコはふらついた。こっちも焦って、手を添えようとして、でも、触れるのはぎりぎりまでやらないようにした。重力と格闘する動きで彼女の後ろ髪がはらりと前へ流れた。そして、けっきょく、身体の均衡を取り戻し、手助けは不要に終わった。

「いつもこんな重いものを」

 父さんの剣を抱え込みながら、トーコは唖然とした表情でつぶやいた。

「はい」

 おれはただ返事するに留めた。その後、籠のなかの瓶を手に取って「水ですか?」と、訊ねた。彼女は「はい」と答えた。

「ありがとう、助かります。喉が渇いてて」

 瓶の蓋をとって、水を喉に通す。口のなかに入っていた砂も少し一緒に飲んだ。見ると、トーコはまだ、剣を重そうに胸に抱えていた。

「あの、剣」おれは背負っていたもう一本の剣も、鞘ごと背中から外した。そして、鞘の先を地面に添えて、柄頭に両手を添えて立ってみせた。「こんな感じで持ってもらっていいですか」

 教えたというか、助言というべき、ある種の扱いの許諾だったのか。それをやりながら伝えると、彼女は、戸惑いながら、同じ格好をした。

「重かったら地面に置いてください、必要な時に持てばいいだけですから」

 そう言うと、彼女は「はい」といって、うなずいた。そして、素直にその通り立つ。

「そうだ、顏」と思いついて、続けた。「顏は、こう、凛々しん感じにしとくんです」

「凛々しく?」

「目をきりっとさせて、さあ、どんな相手でもかかってこい、って感じで」

「………こ………こうですか?」

「ええ、そんな感じで。よし、この惑星の平和はわたしが守るんだぞ、というくらいの気構えで」

「こ………こうですか?」

 トーコは言ったすべてを素直に表情に反映させる。

「はい、ここに完成しました」

 そのあたりで免許皆伝を告げる。すると、数秒ほどして、トーコは彼女なりの凛々しい顔のまま、こちらを見た。

「………もてあそんでますか、わたしを?」

「そんな貴方を見てみたかった」

 勢いで言ってみると、トーコはしばらく、見返してきて、何度か瞬きをやった後「そうなんだ………」と言い、前を向いた。さらに「なるほど………」と続けた。

 ずいぶん不謹慎なことをしている、いまこんなこと。でも、許されたかった。これが最後の好い思い出になるかもしれない。消えてしまう少し前まで、生きることをたのしんだことにしたい。この想いはじつに歪で、間違っているのかもしてないけど、でも許されたい。

 解放を与えられたところで、おれは彼女にいった。

「じゃあ、眠ります」

「はい」

「見張りまかせます」

「はい」

「なにかあったときは叩き起してください」

「はい」

「あと、じつは座って見張ってていいですよ、そのかっこいい顏も、戻してだいじょうぶです」

「ことわります」

 トーコは凛々しい表情のまま、きっぱりと返事をした。

 後ろ歩きで探し、彼女の背中が見える少し離れた場所に腰を降ろした。剣を抱き込んで、肩にあて、常に堅い感触を確認できるようにして形式上、眠りに入った。目が閉じるのが惜しく、風に揺れる髪を見続けた。

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