第二章 至り集った者たちの夜に(4)

 その気配を男の子はすぐに察したみたいだった。またか、という絶望感を顏に浮かばせながら、それでも、まだ頼んでみるんだと、顔をあげたままトルズを見た。

 見ているだけでつらくなる。わかる、トルズはこれから、あの男の子の助けを拒む。白い竜になにがあるかは知らない。事情はあるんだろう。それでも、ただ、断らないで欲しいと願っているじぶんがいた。

「あっ」

 と、誰かがいったのが聞こえた。そして、じぶんも「あっ」と言いかけた。

 トルズの横をかわし、ホーキングが前に出た。このあたりでトルズの会話を邪魔するのは、無知か、無謀か、勇気か。どれかをつかうしかない。

 しかも、ホーキングはトルズをかわしきれず、肩をぶつけた。とたん、隊の人間が殺気だった。

 けれど、ホーキングの表情を見て、みんな、ちがう、と思った。これは無礼ではない。片方しかない眼は大きくひらき、揺らいでいる。そして、心臓を串刺しにでもされたような表情をしていた。足取りも安定してない、絶命まえみたいだった。無礼ではなく、ホーキングはトルズが見えてなかった。

 やがて男の子の前に立った。異様な表情の大男に見下ろされ、男の子は茫然とした。

「おい」

 と、ホーキングが声をかけた。

「そいつは」声に怯えがあった。「そいつは白かったのか」

 問われると、男の子は茫然としながらうなずく。

「目は赤かったのか」

 男の子はまたうなずいた。

「なら!」ホーキングの声は震えで張った。「なら、そいつの、そいつの、喉だぁ!」

 ほとんど吼えていた。

「白いそいつの喉にはぁ 、横一閃に傷があったんじゃねえのか!」

「え」

 男の子が驚いた。それから。

「どうして、それを」

 そういった。

 とたん。

「おいおいおいおいおいおいおいおいぃぃい!」ホーキングが爆ぜるように狂った。「そりゃああああ、そりゃあああああだめだ! そいつはだめだよ! くそおお、そりゃああああねえだろうお!?」

 獣が暴れ出したみたいだった。迫力にみんな圧倒された。あのトルズでさえ、驚愕して固まっている。

「うそだぁ! そんな話はぜんぶうそだ、うそだぁ!」

 ほとんど怪物だった。ホーキングは口を大きくあけ、男の子に掴みかかりにゆく。殺す気だ、そう思って椅子から立ち上がる。距離があり過ぎて間に合うはずもないのに。

 でも、トルズが動いた。ホーキングを後ろから掴んだ。けど、一人ではホーキングの巨大な力を抑えきれない。腕を振る払い完全に弾き飛ばした。おくれて周りの竜払いたちもとびかかる。屈強な竜払いたち六人がかりでなんとかホーキングをうつ伏せに床に抑え込む。男の子は無事だった。

「うそだぁ! そんなはなぁ! うそに決まってやがんだぁ!」

 ホーキングは叫び続けていた。まったくじぶんが知らない彼がそこにいた。あんなに怯え、我を失い、まるで人間以外の生き物になってしまっている。

 叫び、しだいにホーキングを床へ取り押さつけ、乗り掛かり山と竜払いたちが少しずつ動き出した。ホーキングは背中と腕の力でのしかかる竜払いたちを弾き飛ばそうとしている。

 駆けつけて、なんとかしようと思った。具体的な作戦はなかったけど、なんとか。ところが、次の瞬間、床に抑えつけられたホーキングに後ろの首筋へ誰かが鋭く当て身を落とした。ホーキングは濁音の短い声をあげて、そして動かなくなった。当て身を行なったのは、あの厨房の男のひとだった。いつの間にか店内も戻って着ていた。片方のわきに手当の道具を持っている。

 彼は店内の誰より冷静な表情をしていた。とらえ方しだいでは、氷のような表情にもみえた。そこへリスが近づき「ありがと」と小さくいって、手当の道具を受け取り、男の子のそばにいって、しゃがった。リスは「ちょっときみ、あたまのケガみるから」と告げ、道具とりだす。

 男の子は店に入ってから、ずっと頭の血は渇き始めていた。リスはそれの手当をはじめる。

「いえ、ぼくはいいんです! それより!」

 と、かれは答えた。

「ちがう、血ぃ流れっぱなでこっちが気になるの、あたしが気になるの。だから、こっちを気になるのを気にならなくするのを助けると思って黙って手当されて」

 気難しいことを言う。それでも処置には慣れていそうだった。おそらく、適切に思える。

 その間に床に膝をついていたトルズがゆっくりと立ち上がった。まだ、そこに威厳は消えていなかった。

「やれやれ」

 ため息を吐いた。それからリスに包帯を巻かれている男の子へ向き直った。

「我々は君を助けてはやれない」こどもにではなく、この大陸の竜払いたちへ言い放つ。「俺たちはこの大陸の竜払いだ、他の大陸は助けられない、俺たちには無理だ」

 仕組みの話しをした。あたりまえだけど、ここにいるみんなが知っている。この大陸の協会に所属する竜払いはこの大陸のひとのために竜を払うために存在する。それが協会に所属するとき一番、最初の方に教えられることだった。我々はこの大陸のひとたちを、竜から守るために生かされている竜払いだ。その義務を果たすからこそ安定した報酬をもらえている、それを忘れてはならない。

 そう、それは仕組みの話しだった。気持ちの話しじゃなかった。

 拒絶は恐ろしい白い竜に臆したからではない。仕組みのせいだ。仕組みで助けられない。

 断る理由は強いものだった。

「この子はじぶんが助けます」

 けれど、気持ちでそう言っていた。

 はっきりいって無茶苦茶だった。流れも間合いも、無茶苦茶なところで言っていた。後先も、雰囲気も、人間関係の配慮もまったく機能せず、自由にそれを言っていた。

 あのトルズへ向かって、正面から。これまで一度たりとも恐れ多くて話をしたこともないトルズへ向かって、じぶんがそう言っていた。

 彼はあきらかに、彼は誰おまえという顏をしていた。けど、少しぐらいは心当たりがあって思い出したのか、ため息をついた。

「無理だ、お前には助けられないさ。それに助けてはいけない、この子の話しは別の大陸の話しだ、我々はこの大陸で竜から人々を守るために存在する、我々の命はこの大陸の人々のモノだ」

 トルズはそう言い切った。仕組みの話を繰り返す。

 けど、でも、だからってさ。

 とっさに、なにがなんでも食らいつきそうになる。目の前の相手が誰でも関係ない。まるで先生にただ反抗する生徒になりかける。

 いいや、それじゃあ駄目だ、駄目だぞ。寸前で抑止がかかった。

 だって、竜と戦うとき、こんな感情まかせではいけない。不意に、ここまでの竜たちの遣り合いで得たものが働いた。真っ直ぐに向かって行きたい。だけど駄目だ。目的はトルズにぶつかって、勝つことじゃない。この男の子の助けになることだ。

 だったらどうするべきだ。熱したがる心を立ち止めて考えていた。それでけっか、黙ってしまっていた。トルズがこれを見てなにを思ったのかはわからない、ため息を吐く音だけがきこえた。

 でも、そのとき気がついた。いまは答えるべきはトルズへじゃない。向き合う相手が違う。

 男の子の方を向いた。

「おれが戦える」

 じぶんから切り替えた。

 ふと、男の子の手当をしていたリスが一瞬だけ手を止めた。背中からだったから、彼女がどんな表情していたのかは知ることはできない。

「おれが行くよ」

 おれが行ったって、まったく力になれないかもしれない。その気持ちは言葉にしないように強く抑え込んだ。きっとそれは現実だった。けれど、いまは現実だけは男の子を救えない。

「だいじょうぶ。ここ以外もある。それで、それでも、もし誰もいなくても剣はあるんだ、おれが持ってる、おれが戦える」

 まえへ、まえへと進める。

 むかし、父さんは竜に殺された。そのときは誰も助けてくれなかった。

 せんせいが亡くなったとき、せんせいを助けられなかった。

 ホーキングはオレを助けてくれた、うれしかった。

 与える側へ転がろう。心を動かそう。動かなくなる心にならないように。

 現れたのは願いだった。ほんとうに、よわそうな願いだった。すぐになにかに倒されてしまいそうな、呼吸を止められてしまいそうな。光ならひと吹きで消え去りそうな。

 けれど、トルズは想像される現実へ引き戻そうとする。男の子を見て「君のせいで、こいつは死ぬぞ」といった。手加減はしなかった。

 リスが手当をしながら「最悪め」とつぶやいた。小さな声だったが、かくじつにトルズに聞こえていた。まわりにいた人たちにも聞こえているはずだった。でも、誰もきこえていないようなふりをしていた。トルズもそうだった。

「いいからやめておきなさい」

 トルズはまるで疲れ切った老人のような口調でそう告げて、店を出てゆく。

 彼の隊員たちは、慌てて追いかけ、みんな店を出て行った。ホーキングを抑えていた隊員たちも顏を見合わせ続いた。パンタだけが、最後にどうしていいかわからない表情でこっちを振り返って、みんなを追って店を出て行った。

 トルズが店からいなくなると、だんだんに男の子の周囲に集まっていた竜払いたちのはんぶんは席へ戻った。もう、はんぶん以上は店をあとにした。そして、あっという間に、男の子のまわりには、おれと、手当をしているリス、それから厨房のひとと、床に倒れているホーキングしかいなくなった。

 少し経ってから男の子が消え去りそうな声で「ごめんなさい」といった。

 うまく反応できなかった。リスだけが手を動かし、男の子の頭に包帯を巻いている。

「そんな島、みんなで捨てて逃げればいいのよ」

 リスがそういった。

 すると、男の子は小さな声で「………だめなんです」とつぶやき、うつむいた。

「だめってなに」

「あの竜は、島からぼくたち、ひとりも逃げ出さないようにずっとみはってるんです…………ぼくは」なにかを思い出したのか、ひととき、口が閉ざされた。「島の外のひとにたすけを呼ぶため、島を出るときともだち五人でばらばらの場所からそれぞれ船にのって海へ出ました………でも………ともだちはみんな………竜に………ぼくだけが運よく………運がよかったっていっても………船が沈んで………竜は海を飛んでまで追って来なくて………ぼくは………やっぱり運で………島にいちばん近い大陸につけて………」

 つらそうに話す。それから、男の子は続けた。

「でも………そうです………ぼくのほうがおかしいです………おかねもないように………こんなおそろしいこと………しらないだれかにたのむなんて………」

「それは」と、言いかけて一度、言葉をとめてしまった。そして「どうなのかはわからない」と、正直に告げた。ほんとは、口にしなくてもいい言葉だったのに、慣れない緊張から、言ってしまっていた。

 動いているリスの手元を見る。手当は間もなく終わりそうだった。

「でも、おれは行くよ。決めたんだ」

 見下ろすと、ホーキングは汚れたかたい床に倒れたままだった。

「でも」

 と、男の子がいった。おれはまだホーキングを見ていた。

「いいんだ、おれも知らない人に助けられたことあるから」

 言って、やっぱり願いになっていた。

 そして、芽生えていた。

「その時が来たんだ」

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