第一章 竜払い(3)
せんせいは夜明け前に息を引き取った。意識は最後まで戻らなかった。
いってしまう直前、せんせいの手は熱くなった。その熱を最後に、ゆっくりと冷めていった。
「よく見取ったわね」
付き添ってくれた村の女性がそういった。
疲れ切っていた。なぜか、昨日のこの時間、じぶんが何をしていたかを思い出していた。たぶん、せんせいと、一緒にこの村へ向かっていた。朝早く町から出発して、歩きながらせんせいの授業を受けていた。
あの光景のなかには二度戻れない。いったいどこで何を間違えたんだ。そんなことを考えていた。
まだ外は暗い。部屋に唯一つるされた光源の終わりかけの光りが朦朧となってゆれていた。それだけはとうてい部屋の闇はぬぐい切れない。
やがて、せんせいの尽きたことを聞きつけた村の代表者が部屋にやってきた。相手の表情は、あまりみないようにした。
「あの、あとはうちの方でやっておきますから、貴方も少し眠ってください」
見ないままうなずいた。そして、せんせいのそばを離れて、部屋出て、外へ出た。やはり、外はまだ暗かった。静かだった。
猛烈な喉のかわきに気づいた。水が欲しい。
茫然としていても身体は無関係に生きようと水を飲もうとしている。じぶんの生理現象に、けちをつけようとしていた。とにかく、何かにぶつけたくてたまらないらしい。
村の朝は早いはずだが、それでもまだ早すぎた。水を探して村の歩きまわっても、誰も歩いていない。
歩き続け、一匹の生き物すら合わないまま、村の端まで来た。そこから先は道は続いている。昨日、せんせいとこの道を歩いてここまで来た。この道を歩きながら、せんせいは昨日も新しいことをいろいろ教えてくれた。その道も、いまは夜に沈んで先がまったく見えない。歩いてきたはずの道なのに、ただ、闇に続いているようにみえる。
そこに立って、ずっと来た道を見ていた。
そういえば、剣。
思い出した。せんせいの剣を竜に投げた。偶然、竜の顏にあたった。そして投げっぱなしだった。あの場所へ、剣を探しに行かなきゃいけない。いま、人間側が所有する竜の骨で作った剣や武器の数はごく限られている。竜の骨から剣を一本つくるためには大量の竜の骨が必要になる。巨大な竜を数匹は葬る必要があった。あの大きさの竜を一匹仕留めるのに、どれだけの犠牲を払うかわからない。それに、実際にあの大きさの竜を見たいまなら困難さは身に染みてよくわかる、あれを仕留める光景が、ぜんぜん想像できない。
人は百年の時間をかけて、数えきれない犠牲を払い、少しずつ、あらゆる勇気をつかって竜を倒し、骨を手に入れた。けど、その度に竜は群れを呼び、人は厄災のように竜に襲われた。
竜の骨でつくった武器で竜を攻撃すれば群れは呼ばれない。これを知るために、百年の時間と、あらゆる大陸で多いくの命を失った。
新しく竜の骨を手に入れるのは難しい。だから、現存する剣は、武器は大事だった。個人の持物のなかにおさまらない。きっと、にんげん、みんなのものだった。
だから竜払いは、剣を取り戻すために命を懸ける。やがて、次の時代の竜払いへ、剣をたくすため。
けど、じぶんはせんせいを背負って村へ戻った。せんせいの剣のことは頭にあったが、数秒ぐらいしか探さなかった。せんせいを背負って、村に戻ることを最優先にした。竜払いとしては、まちがっていた。なによりも大事な剣を置き去りにした。
いますぐ戻って、せんせいの剣を取りにいかなきゃいけない。
もう一度、頭のなかでつぶやいた。じぶんの剣だけは鞘に収まって背中に背負ってある。むかし、父さんがつかっていた剣だった。竜の骨で出来ている。
せんせいは、これは良い剣ですよ、と褒めてくれた。その時の表情を思い出す、優しい顔をしていた。生きることに、にごりを持ち込んでいない人の表情だった。
行こう。決めた。
ふと、道の向こうに何かを感じた。顏をあげると、小さな光の点が見えた。少しずつ近付いて来る。
まだ夜明けは来ていない。静かなままだった。
なんだろうかと思い、その場で待ち構えていた。ほんとうに小さな光だった。かすかに左右に触れている。光は小さすぎて何も照らせていない。その光よりも、先に聞こえてきた音でわかった。馬車の音だった。
誰か村に来る。見えてきたのは驢馬に引かれた小さな馬車だった。ぼろぼろの外套を来た大柄な男が手綱をひいている。
ごつごつした、岩っぽい身体つきの男だった。歳はおそらく三十代前半歳くらいか。
驢馬がひく馬車は、じぶんの横で止まった。
男がこちらを見た。こっちも見返した。
岩っぽい身体の男だったが、吊り下げた洋燈のよわい光で片方だけ見えた、眸は青く透き通っていた。きれいな海みたいだった。もう片方は濃い影になっていてみえない。
「だめだったのかい」
と、男はきいた。内臓に響くような、強く低い声だった。
あ、そうか、せんせいのことか。遅れて気づいてうなずいた。とたん、また悔しくなった。
先に村に来てやられた竜払い話を聞いていたんだろう。それにくわえて、じぶんの背負った剣と表情で、何かあったか理解したんだ。
男は前を向いて「そうかい」といった。ため息をつきそうだったが、けっきょくつかずにおさめてまたこちらを見た。
「竜がいるってのは、あっちの方か」
男が指さす。太い指だった。
指さす方向もあっていた。うなずいてみせた。男はまた「そうかい」といった。
そして、馬車から降りる。馬車が大きく揺れて、車高もあがった。
「少年、夜通し歩いてくれたこの驢馬くんを、どこか最高の場所で休ませたいんだが、このあたりの勝手がわかるかい?」
「あ………いえ………」
顏を左右に振った。男は三度「そうかい」といって、驢馬の頭を撫でる。ロバは目を細めていた。
「あの」
声をかけると、男は驢馬のあごのしたをさすりながら見返して来た。大きい、顏を見るには見上げる必要があった。
「なんだい」
「竜払い、ですよね、貴方」
「ああ、そうだ」
肯定し、驢馬の頭をかるく、ぽんぽんと叩く。
「少年もだろ、君もだろ」
「いえ、じぶんは………」
「竜とやりあったことは」
聞かれて、とっさに何かを誤魔化そうとして、答えが遅れて、でも、けっきょく「………ないです」と、顏を見ないようにしていっていた。
すると男は「そうかいそうかい」といった。馬車の手綱を引いて、近くの柱にくくりつけた。「驢馬くん、わるいが少しここで待っていてくれ」そう、驢馬へ告げ、荷台へ手を伸ばす。布でぐるぐる巻きにされた長い棒状のモノを手にした。長い、大きな男の身長と同じくらいある。
「行くんですか」
「ああ」
うなずきながら、手にした布に包まてた長い何かを肩に担ぐ。
「あの、貴方は」
「俺か?」
こっちへ顔を向けた。
「ホーキングだ」
名乗ったとほとんど同時に、夜明けの光りがはじまった。
「俺ぁ、惑星イチの男、ホーキング様さ」
さらに、そう言い直す。
「で、そちらさんは?」
男、ホーキングが聞き返していた。慌てて「じぶんはヨルです」と名乗った。
「ヨルって名前ないのか、少年」
「はい」
「お前の仲間の仇は、俺がとるからな」
断言してきた。
夜は瞬くまに明けて行く。ホーキングの顏がはっきりと見えてゆく。髪は真っ白だった。左目は海みたいに青かった。左目は黒い眼帯で覆われていた。
でも、少年みたいな印象の人だった。片方の目奥に、少年がいる。
そのとき荷台で何かが動いた。我に返って、覗き込むと、身体をまるめて寝ているところを、地に降り注ぐ朝の光りに、顏をしかめている子供が乗っていた。
いや、子供じゃなかった。小柄だが、たぶん、女の子だった。歳はじぶんより少し下ぐらいか。髪が赤い。全身、動物みたいにもこもこしたものを着ていた。
「あの、この人は」
「そいつはリスだ。勝手についてきた、ほっといていい」
「リス………?」
「敵みたいもんさ」
意味深なことを言って歯を見せて笑ってみせた。
「よーし」ふと、ホーキングは長い布に覆われた何かを手にしたまま、腕を大きく伸ばした。朝陽を全身で受け止めるようだった。「いっちょ、ズガンと行くかあ!」
出航みたいに吼える。その様子を、じっと見ていた。
「あの、ホーキングさん!」とぜん、じぶんも吼えていた。
ホーキングは「はいよぉ!」と、同じくらいの大きさで吼えて応じた。その大きなやり取りのせいで、荷台で眠っているリスと呼ばれた女の子は、目を閉じたまま眉間にシワをよせて「んん」と唸った。
「じぶんも連れてってください」
前のめりになって叫んでいた。
「だいじょうぶです! じぶんの身はじぶんで守ります! もし、何かあっても、ぜんぶ、じぶんのせいですから! お願いです、連れってください! せんせいの、せんせいの剣を取り戻さないといけないんです! じぶんを………おれを連れてってください!」
夢中で、必死で、ありったけをぶつけていた。はじめて会った人に、たったいま会ったばかりの人に。何も隠さず、じぶんをぶつけていた。
ホーキングはしばらく動かずにいたが、やがて身を屈めて顏を近づけてきた。こっちを目をのぞき込む。右目で、左目を、左の眼帯で、こっちの右目を。
こわくはぜんぜんなかった。少しの間、顏を顏に近づけ、ホーキングはにやりと笑って(顏を遠ざけた。
背を伸ばす。前に立つと、高い山の前に立たされるような気分になった。
「俺はお前のことを知らねえ。まったく知らねえ」
ああ、拒否か。そう思った。
「だからヨル、お前は俺に約束するしかねえ。その約束は絶対の約束だ。ついて来るならな」
じぶんの目に、少し涙が浮かんでいるのに気づいた。
「絶対、今日死ぬなよ」
うなずいて「はい」といった。
それからホーキングはつづけた。
「死なずになぁ! いつか海みたいにぃでっけえ男になれえぇ!」
残った闇夜を吹き飛ばさんばかりに吼えた。
一瞬、きょとんとしてしまった。海みたいにでっかい男。なんだそれ、と思った。けど、次にはもう笑ってしまった。そのせいで、目に浮かべていた涙が、耐え切れず頬を伝って落ちてしまった。
そして夜が明けてゆく。
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