第三章 はじめての海賊(6)

 はなしを聞いて行こう。

 決めてビットと一緒に船の上を歩き、最初に見つけたのがヘルプセルフだった。全身黒黒尽くめに剣を背負っているので、やはり、目立つ。

 彼は甲板から海を見ていた。顏まで真っ黒に覆っている風体は、どうしても海には似合わず、異様な存在感を放っていた。その証拠に、彼のまわりには他の乗客も近づこうとしていない。

 ヘルプセルフとはこれまで話たこともなかった。よく同じ店の客になっていたけど、彼は協会に所属せず、竜を殺してしまう者たちだったため、正直、無意識のうちに距離をつくっていたのはある。こっちとは違う種類の者たちだし彼らに何も用はないんだ、と声をかけなくていい理由をつくっていた。

 それが今日、話かけようとしている。かなり、二の足を踏んでいた。ビットがいなければ、話かけようと思うのは、ずいぶん先になっていた気がする。

 それにはからずも昨日から一緒の部屋に眠っている。その強制的ながら奇妙な関係の生産によって、勝手につくっていた距離感の緩和がされたと思えなくもない。だから、話かけられるのかもしれない。いや、もしかすると、寝不足のあたまのせいで、恐怖心が鈍っている可能性も見逃せない。

 いずれにせよ、とにかくビットに話を聞いて回ろうと宣言した以上、やり切るしかなかった。年下に、けっきょく実行できずに、がっかりな人だと思われるのは切ないところだった。

 緊張しながら近づく。静まれ静まれと心臓へ願った。

「ヘルプセルフ」

 ここかなという距離で彼の名前を呼んだ。波の音に負けないように、少し大きめに声を使った。

 彼はこっちを向いた。仮面越しに見返してくる。

「海賊だああああああああ!」

 直後、船体の反対側から男性の叫びがあがった。最初の叫びがあがると、小爆発が連続するように似たような叫びと悲鳴があがった。

 海賊。はっきりそう聞こえたのに、一瞬、何のことだから理解できなかった。海賊。自信の頭のなかで、あたらためてつぶやいて、ようやく理解した。海賊が出たらしい。

 そうしている間に、ヘルプセルフは駆けだしていた。動きは疾風ようだった。

 反応が遅れること数秒、おれとビットも船の反対側へ向かった。すでに、多くの乗客があつまり、騒ぎになっていた。みんなの視線にそって、波の水平線へ目を向けると、まだ、親指くらいの大きさにしか見えない距離だが、禍々しい旗を揺らめかせた船がこちらに近づいて来るのが見える。

 乗客はざわめいていた。甲板に緊張感が走り、青ざめている人もいる。いっぽうで気づいた。ずいぶん、落ち着いている人もいる。そのなかでヘルプセルフは全身真っ黒で、しかも仮面で、剣を背負っているため、他の乗客に混じっても、ひどく浮いて目立った。わるいけど、彼自身が海賊に見えなくもない。

 そのとき、ふと、落ち着いた様子で野次馬のひとりが話している声が聞こえた。「だーいじょうぶだよ、海賊ったって、ここ海を通行料みたいなのを船が払えば何もしないんだぁよ。そういうさ、なあなあの取り決めってのが海にあんだよ」と、得意げに情報を披露していた。

 なるほど、海には海の暗黙の了解めいたものがあるのかもしれない。通行料さえ払えば、襲わない。襲わずして、お金だけとれれば、海賊側も蛮行を振るって体力を働かなくてもいい。

 確信をえようと船員たち方へ目を向けると、大半の船員は、せっせといつも通りの作業をこなしていた。動揺や慌てた感じがない。よくあることだという雰囲気で緊張感もなあった。大きく騒いでいるのは乗客で、乗客のなかにも、やはり、よくあることだと落ち着ていそうな人もいる。

 海賊船はどんどんこちらへ近づいて来る。搭載している推進力機関がこちらの船より上のようだし、ひとまわりほど小さい。仮に同じ推進力だったとすれば、向こうの方が機動力が高いのはとうぜんだった。しかも、こちらの船も船で、最初からあきらめたように、止まり始めた。はいはい、わかってます、という印象を受けた。

 海賊の船はあっという間に、乗船する相手の顏が分かる距離まで来てしまった。海賊を見るのは初めてだった。こちらの船の船員さんと、ほとんど同じような服装だった。ただし、向こうの船体から、砲台がこちらへ向けられ、海賊たちは威圧するように手には得物を掲げ、太陽光にきらめかせていた。

 あんなにぴかぴかな剣では、ろくに竜も切れやしない。きっと装飾品目的の剣だった。見た目を重視したと思える。

 生き物を本気で仕留めるなら、剣の煌きはさておき、もっとこう、しっかりした。切るし、ときには叩くといった感じの。

 と、考察しかけて、我も戻った。そんなことを考えている場合じゃなかった。やはり、寝不足がよく脳に利いてしまっている。

 ほどなくして海賊の船から手漕ぎの小船が放たれた。三人の男たちが乗っている。一人は抜身を掲げていた。こちらの船の乗客を煽るように、邪悪な笑みを浮かべてみせている。ただ、それもどこか、見世物染みた様子もあり、海賊たちも役者として、たのしんでみえるふしがある。

 いずれにしても、竜に比べると大して脅威に思えない。深刻な職業病といえた。

 隣にいたビットはじっと動向を見守っていた。顏はこわばり、ひどく震えている。だいじょうぶだよ、と無責任に励ましかけたとき、ヘルプセルフの姿が消えていることに気がついた。さっきまでそこにいたのにいない。

 そして、いないことが悪い予感を覚えさせる。それも、とんでもなく悪い予感だった。けっか、ビットへ、だいじょうぶだよ、と言えなくなる。なにしろく、だいじょうぶな気がしなくなった。

 小船とともに、海賊の本船もじわじわ接近してきていた。乗客は怖がっているのに、ずっと甲板から様子をうかがっている。海に浮かぶ船の上では逃げ場がないとうものあるけど、見ていたという好奇心も強くありそうだった。

 その時、遠くから悲鳴があがった。乗客たちは一斉に群れの動きと化して悲鳴の方へ視線を移動する。おれもビットも群れの動きをした。それから、小船に乗っていた海賊たちも向けた。

 悲鳴は、海賊たちの本船であがっていた。

 目を凝らすと海賊船の甲板で、何者かが海賊相手に立ち回りをしているのが見えた。戦っている、まるでひどく遠く座席から舞台を見ている気分だった。

 そして向こうの船で立ち回っている者を知っていた。セロヒキだった。

 彼は海賊船へ乗り込み、得物を構えた海賊たちに対し、次々に投げ飛ばしている。おそらく素手だった。自分から向かい、活劇よろしく、ばたばだとむしろ、掴んでは投げ飛ばす。何人かは遠慮なく海へ投げ込んでいた。

 海賊船上であがる混乱の悲鳴はこちらの船まで聞こえていた。そのせいで、小船でやってきた三人の海賊かちは、ひどく不安げな様子になっている、無理もなかった。帰るべき場所で、なにか事件が起きている。

「あれまぁまぁ」

 いつの間にか、隣にホーキングが立っていた。布で巻かれた鯨銛も携えている。海賊船で立ち回るセロヒキを面白がりながら見ていた。

「ホーキング」

「よう」

 名前を呼ぶと彼は白い歯を見せて笑ってみせて返した。数日ぶりに会う、おれの知る彼だった。ただ、心が本格的に戻ったか否かは不明だった。

「あれは」

 今度は反対側に気配もなく黒い柱が現れる。ヘルプセルフだった。間近にいたビットは身を強張らせた。おばけが出たみたいな反応に近い。ヘルプセルフの視線は仮面越しでも海賊船のセロヒキに差し向けられていることが知れた。

 さらに、ぬうっとリスが現れた。彼女は「おぇ、なんか知り合いが事件みたいなの起してんじゃん」船酔いも少しは乗り越えたのか、表情は絶頂期とはいえないが、さほど悪そうにはみえない。「え、なにあいつ? なに、迫り来た海賊船とか乗り込んで海賊たちと戦ってんの? 童話か? あいつは童話の世界観で生きとんのか?」

 問われてもわからず個人的には「………さあ」とだけ答えるしかできない。

 その間に、ホーキングが動いていた。「よっと」と、言ってこちらの船に接近して海賊たち小船に飛び乗っている。海賊たちは、突然、乗り込んで来た片目の熊みたいな大男に慄いた。拍子で、剣を海に落としてしまった者もいた。

「ホーキング!」

 船の上から名前を呼ぶと彼は「近所だし、ちょっと俺、行って来るわ、あっちの船」軽々とそういった。

「おれも行く!」

 反射的にそう決めて、おれも船から小船へ飛び降りた。そして、じつは海面に浮かぶ小船までかなりの高さだと気づいたときにはもう身体は宙にあった。けれど、まあ最悪、海に落ちればなんとかなるという楽観あったらしい。幸い、船の上に着地できた。もちろん、すでに海賊とホーキングの四人が乗っているところに着地したので、船体は危うい揺れを起した。海賊たちは声をあけて船にしがみついたけど、ホーキングは少しよれただけで、二足で立ち、飛び乗ってきたおれを見て「はは」と、短く笑った。

 ところが「あたしもー」とリスが船へ飛び乗ってきた。そして、ヘルプセルフも飛び乗って来た。しかも、ヘルプセルフは右わきにビットを抱えた上で、船に乗って来た。

 最終的に、小船に七人が乗っていた。明らかに過剰乗員数を突破している。小船の製造元が目にしたら、怒られる気がしてならない。

 ほとんど、ぎゅうぎゅうの状態だった、隙間なく、立っているしかない状態で「なぜみんな来る?」と、訊ねると、リスが「理由はあとで考える」と、なにかを放棄した答えを放って来た。そしてヘルプセルフは仮面の向こうから「暇なんだ」と答えた。そこで「なんかビットを小脇に抱えてますよ」と、教えるようと「仲間外れはかわいそうだ。あれはつらいものだ」と回答が返って来た。

 はからずも、それがヘルプセルフとの初めてのまともな会話だった。

 それはさておき、もはや気の毒なのは小船の海賊たちだった。眼帯をした熊みたいに身体の大きくホーキングから「漕いでよ」そう声をかけられ、彼らは怯えた様子で従い、船を漕ぎ出していた。そして、おれたちが好き勝手に開始した、このぐちゃぐちゃな船出を、母船の人々がじっと見送った。もちろん、おれたちも、見送る人々も、ひとしくこの先の未来はなにひとつ見えていない。

 小船が海賊船へ接近する間もセロヒキの勢いが衰えていない感じだった。海賊たちの声も途絶えない、戦い続けている証拠だった。

 流れでヘルプセルフと言葉をかわしたこともあって、一段、気が変わったのだろう、おれは「だれか、セロヒキについて知ってるひといる?」と、一同に問いかけた。

「しらん」リスは感情なく刺すように即答した。でも、そのすぐ後で「なんか志願してきた」そういった。

「いや、動機とか。志望理由とか聞かなかったの?」

「踊り子の就職面接じゃあるまし、きかないわよ。そんなの」

「なら、どうしてその踊り子の就職面接みたいな対応をしたの」

「いや、ねむかった」

 リスが放ったのは回答として零点なものだった。会話そのものが成立していない。

「軍にいたってきいたぜ」

 いったのはホーキングだった。狭い船内で、一同は一斉に顏を彼へ向ける。そのせいで、船が一瞬、不安になる揺れを起したけど、なんとか堪えた。

「ビット。お前さんが店に来た夜、厨房で少し話したとき、そんなことを言ってた。まあ、くわしいことは俺も知らない」ホーキングは海賊船を見据えながら言う。片目しかない顏に、海面に反射する太陽光が張り付き、そこに無精髭も加わって、より精悍な顔立ちに見える。この海で生き抜くために必要なだけの生命力を備えているように思えた。かれど、その後で「いや、くわしいことは知らない、つーか、酔って聞いたから憶えてないつーか………」情けさも備えてきた。

「着くぞ」ヘルプセルフがいった。

 間合いの発言だった。

 海賊船には縄梯子が降ろしっぱなしになっていた。この小船を出すときに、海賊たちが使っていた梯子だった。

「行くぜ」ホーキングが見上げていった。それから笑って「あ、もし、死んだら、海にそのまま沈めて埋葬するかたちになるから。そういう世界だから、海」言わなくていい情報をいって梯子を登り出す。ちょっとした地獄に落ちればいいのにと少し思った。

 ホーキングが熊みたいに大きな身体なのに、まるで天にひっぱられるかのように、するすると登ってゆく。あっという間に甲板へ姿を消した。

 次にリスが梯子を登った。近くにいたので、次に俺が、そしてヘルプセルフがビットを抱えたまま続いた。

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