第三章 はじめての海賊(5)
白い竜を倒しに行く。人の言葉をしゃべり、たのしみで人間たちをいたぶる。しかも、あのホーキングの正気を失わせた。
日中の甲板に立ち、海を眺めながらずっと考え、ずっと緊張した。俺に出来るのか。大きな竜とやり合ったことは、まだ、あのとき、ただ一度しかない。足りな過ぎることはわかっている。けど、もうこの船にのってしまった。
そして、その緊張と共にずっと襲われている。
退屈だった。
日中、船の上ではまったく何もなにもすることがない。景色はずっと海だし、部屋は狭い。運動できるほど船は広くないし、働く船員たちの邪魔になってはいけない。
それに、同行者たちは以下の通りだった。
リスの船酔いは二日目に突入し、ホーキングが無口を維持し、へプルセルフは仮面をかぶったままで話しかけづらく、セロヒキの方もいつも無表情で、笑顔が想像できず、やはり話かけづらい。ビットは部屋でずっと寝ている。まだまだ、長い旅の疲れがとれていない様子だった。
つまり、退屈をしのげるような話を出来そうな相手もいない。よって、ますます何もすることがない。
延々と続く緊張と退屈。
食事は一日二度でるが、保存を重要視して持ち込まれた食料のため、味つけには心がない。もそもそと、作業のように口へ運ぶばかりで、食事をたのしみに生きてゆくこともままならず、また、その食事についても誰も文句を言わない。みんな従順な囚人のように食べる。ようやく陽が沈んだとしても寝るのは、どう見ても二人が限界の広さの部屋に五人が寝る。そして日中、たいした運動もしてないので眠れるはずもない。
こうして、三日目も延々と続く緊張と退屈の一日が、じんわり襲いに来るようにやってくる。夜は眠れず、それでも必死になって眠った眠りの質は悪く、よって目覚めの出来も悪く、その後、やっぱり、空に陽が登っているうちは何もやることがなく、やってくる食事は作業的な行為でしかなく、そして、長く狭い夜が来る。
旅は愉快な仲間たちと、充分な宿泊環境ですべきなのだと痛感していた。けちってはならなかった。手筈をひとに任せてはいけなかった。甲板から海だけしかない景色をまえにしながらそう思う。そして、そうか、これがあと二日半つづくかと思い、なぜだか、一瞬、波のうねる海へ向かって得体の知れない言語で叫びそうになった。訳すときっと「海ぃ、ぜんぶお前のせいだぁ」あたりだった。とうぜん、海側からすれば非難される心当たりはないだろう「え、いや、わたしはずっとこれでやってきてますけど………」そんな海の戸惑いの回答がきこえる。かくじつに幻聴だった。でも、どうしても惑星の一部を敵に想う。とにかく、海の上では何もやることがない。やることがないことがきつい
しかも、夜は環境のせでよく眠れていないので、日中は少し眠くても、ここでこのわずかな睡魔を消費してしまえば、もっと夜眠れなくなってしまうのではないかという恐怖とも戦うことにもなっている。かつて体験したことのない苦労が、いずれ発狂を招きそうだった。あたらしい自分に出会うともいえるけど、そんな新しさはいらない。
ひたすら時間だけがあるので、余計なことばかり考えて過ごしているときだった。
「ヨルさん」
ビットが声をかけてきた。船の乗ってからずっとあの狭い部屋で休んでいた。狭い部屋でも、みんなビットの眠る場所だけは、みんな暗黙の気遣いで、侵食しないように雑魚寝もしていた。そして、それ以外の領域は無法地帯だった。足の上に頭、頭の上に足。人間の尊厳が、ささやかに削られて行きながら眠る。いや、眠れないけど。
疲れのせいか、なにかといえば世界そのものへ因縁をつけ気味の頭を振り払い、なるべく笑んで、海からビットへ向き直った。
かれの頭の包帯も毎日、リスが変えているんで白さが保たれていた。
「ビット」
名前を呼んで返す。
「あの………いま………しゃべりかけてもいいですか………」
遠慮がちに言う。年齢に対して、気の使い方が妙に大人っぽかった。
「うん、いいよ」うなずき言った。「なにもないし」
許諾すると、ビットは黙った。少し間が出来た。それから「………あの」なにか聞きにくそうな表情で見上げて来た。
「ヨルさん………あの………みなさんは、なんでぼくたちを助けてくれるんですか」
真っ直ぐに目を見て言う。問いの内容は、おろそかには答えられないものだった。
「ぼくのことをなにも知らないのに………こうしていっしょにぼくたちをきてくれてます………やさしくしてくれます………どうしてやさしくしてくれるんですか」
さらに迫る。聞いて思った、ビットが投げかけて来たものは、もっともな疑問だった。
ほとんど見ず知らずなのに、助けてくれる、優しくしてくれる人を信じられない。無理もなかった。なぜ、その人が優しいのかわからない。本当に優しい人なのか、そうではなくなにか目的があって演じているのか。
もし、時間を遡って、その相手の人生を見渡せれば、信じていいかどうかはわかるだろう。この人は、むかし誰かに優しくしてもらったから、人にも優しくできる人なんだろう。とか。
そう、たとえば、その人の母親が優しい人で、子供の頃から、人になにかを与えられる者になるように育てられたとか。見ただけで、その人の根なるものが知れればどんなにいいか。
けれど、現実では人の過去は遡って目視させてくれない。いま手元にある光景だけで、信じられるかどうかを決めるしかなかった。だから、本当の優しさも、優しさではないと判断してしまうこともある。ほんとは人の優しさはただ信じていたい。あって欲しい世界がそれだ。でも、悪い奴がいるのもわかっている。知ってしまっている。
ビットの不安は仕方なく感じられた。彼は、おれたちを知らな過ぎる。これから生命を懸けるわけで、それはたとえ一緒の船に乗っただけでは、まだ足りないのかもしれない。そもそも、おれはかれがこれまでどうやって生きて、助けを求める旅をしてきたのかを知らない。その旅のなかで、何を経験し、どんな気持ちでいたのか。
「おれの父さんは竜払いで竜に殺されたんだ」
過去は見せられない。だから、どうしても言葉で伝えることになる。きっと言葉だけは信じるに足りない。それでも、いまは言葉しかなかった。せめて、本当のことを話していると信じてもらえるように話そうとつとめるぐらいしかできない。
「その後、おれはひとりになってさ。母さんは最初からいなかったし」
ビットはじっと目を見返していた。
「でも、町の人たちはおれに優しくしてくれた。みんなで育ててくれたんだ。それはさ、まあ命懸けで竜と戦った父さんの子だから特別にって………そんなこと言われたこともけど、でも、ほんとは、あの町の人はただ優しい人たちだったんだ。おれ以外の人にも当たり前ように優しくしていた」しゃべりながら思い出していた。「いや、小さな町なんだよ。むしろ、村っていわれるかもね、ごはんはじゃがいもばかりだし、そんなにお金を持ってる人もいない。でも、年に何回も祭りみたいなのがあって、みんな、踊ったり歌うんだ、いつも陽気だった。それがさ、みんな根拠はないけど、ああ生きてるって、たのしいなぁ、って感じの顏をしているんだ。なんか、おもしろいんだよ………いや、おもしろいっていったら失礼かな………」
調子に乗ってしゃべったことを少し反省した。
「それからおれはせんせいに出会った。竜払いのせんせいだ。あの人もオレに優しくしてくれた」
流れでせんせいことを言う。けど、思い出すと、まだ少し内臓に来るものがある。
「おれはとんでもなく運がいいんだよ、優しい人たちに出会えた」
そこまで言って、またせんせいのことを思い出して、言葉をとめてしまった。
そして、けっきょく、なぜ助けるのか、ビットへ説明しきれていないのではいかと思い、頭をかいた。いまのは説明ではなく、自分が話したいことを話しただけではないか。
だめだ、良いことを言おうとして、しくじってる気がする。
考え込み始めているときだった。
「ヨルさん」
「え、あ、はい」
「いいんです、ヨルさんのことは信じてます」
「え、ああ………」
真っ直ぐに言われると、ほぼ虚を突かれたような反応をしてしまった。あげく「は、はあ………」と間抜けな返事まで漏らしている。
「ぼくたちのためにあの、トルズさんにむかっていってくださいました!」
「いや、あれは」
「ぼくは………あの人がこわかったんです」告白して目を反らす。思い出してまた怖くなった、そういう感じではなかった。悔しそうだった。それから顏をあげて「でも、ヨルさんたちに出会えて、ぼくはいましあわせだと思ってますから!」そう言い切った。どこか、同時に自分へ言い聞かせている様子もあった。
「ああ、そうか………」
「………あの………でも………その」ビットは言いづらそうに続けた。「ヨルさんとリスさん、いがいの人たちのこと………その………あまりしらなくて………わかってなくって………」
いや、それは、おれもわかっていない。言いかけてやめた。余計な不安を生産するだけだった。
話を聞きながら腕を組んだ。ホーキングのことなら、まだそれなりに説明できるし、釈明もできるし、弁護士にもなれる。
けれど、あのふたり。ヘルプセルフとセロヒキに関してはまったく何も知らない。きっと、ビットの心にある不安とほぼ同量の内蔵している。しかし、やはり、ああオレもすごく不安だといって、不安だけ共有しても、不安がただ増すだけにしか思えない。
「………はなし………とか、しにいってみるか」
やがて、さぐりさぐりにそう提案していた。
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