第三章 はじめての海賊(13)
はからずも船を乗り換えて六日目。明日、目的地である大陸に着く。
船は小さな島たちが浮かぶ海域を進む。
そして、その早朝のことだった。
「フリントだ、フリントが出たぞおおぉ!?」
甲板で叫びがあがった。おれは朝からヘルプセルフに稽古をつけてもらっていたし、二日前からその稽古に合流してセロヒキもいたし、見学のみでビットも一緒だった。
「フリントが出たぁあ!?」
海賊たちの誰かが叫び、とたん、船全体が大わらわになった。彼らはみな、持ち場の手を止め、慌てだす。なかには、得物を手へ伸ばす者もいた。
フリントが出た。
なんだろう、もしかして海軍の船の名前かあだ名か。
もしくは、このあたり海域に古代より生き続ける、船より大きな、巨大な蛸でも出てきたのか。
まあそれはないだろうけど、でも、それくらいの慌てぶりだった。かなりで出てはいけないものが出たに違いない。ただ、こっちは正体を知らないぶんどうしても落ち着けていた。真実をまだ知らない者の強さというか。とにか、まずは両手に持っていた剣を背中の鞘に戻す、じつはこれがかなり難しい。背中の角度と、鞘へ納めるときの手の伸ばし方に独特の工夫が必要で、仕損じればおそろしく無様な動きになるし、最悪、剣を落としてしまう。
「フリント………」
いつの間にか、音もなく剣を鞘へ収めていたルプセリフが騒ぎの方へ仮面を向けながらつぶやいた。
「もしかして、巨大な蛸の怪物か何かだろうか………」
仮面を被っているため、冗談なのか本気なのかわからないところが、かなり性質が悪い。 騒ぎは船の中心で起こっているようだった。無視するのも不自然なので、おれたちはとくに示し合わせることなく、騒ぎの根源へ向かってゆく。
「よう、おまえら」途中、ホーキングと合流した。片方の肩に布で巻かれた鯨銛を携えている。
「ホーキング」
「ヨル」
「いや、なんかフリント? っていったかな………出た出たってみんな騒いでるみたいなんだけど………なんだろ、フリントって………知ってる?」
鯨捕り生活をしていたホーキングなら、船の上で起こっているなにかを知っているのではないかと期待した。
「ああ、フリントだろ。知ってるさ、ここいらじゃ有名だ」
「蛸なのか? いるのか、やはり………」
聞いたのはヘルプセルフだった。しかも、少しまえに出た。
「いや、そんな、ぬるっとしたもんじゃねえ」
ホーキングの答えも答えで、少しややっこしい。
「………あの、なんなんですか、フリントって?」
ビットが彼を見上げながらいう。身長差があるため、首が辛そうだった。そして、その傍らで、セロヒキが無表情で出っていた。じつは、彼もすごく聞きたいらしい。セロヒキはいつも無表情だが、じつは、浮かべている無表情にも種類があることは、この数日で分かって来た。
「ああ、あれだよあれ。初日にこの船の牢屋にいた男だ。あいつ、フリントっていうだとさ」
「なるほど」ヘルプセルフがいった。「忘れようとしていたが、そういえばいたな、初日に」
なにげなく、言い放つヘルプセルフの思考が気になったが、いまは気にしている場合じゃなかった。
「そう、初日にいた奴だ」ホーキングが同意して、笑顔のまま、一度大きく胸骨を膨らませて、静かに縮めた。「思わせぶりな、あんちきしょうだ」
「フリントって名前だったんだ………で、出たって牢屋から出たって意味か………」
おれがつぶやくとホーキングは「そうさ、あの男の名前はフリントつーらしい。まあ、俺は責任者だし、ここ数日、この船のあれこれそれこれは調べておいたわけだが」得意げに言う。褒めるべき見どころを提示しているらしい。
でも、正直、感心していた。しかし、こうして、おれたちが話している間も、騒ぎは続いていた。
そのとき、リスがおれたちの方へやってきた。あきらかにこの騒ぎで不本意な目覚めを迎えたらしい。
「ちょ………もぉ……なにぃ………?」寝起きの不機嫌さを、いくらも隠さず、罪のないおれたちに遠慮なくぶつけてくる。「なんなの? この、まるで牛肉どろぼうでも出たみたいな騒ぎは?」
「たとえが下手だ」
すぐにヘルプセルフが断言する。が、リスは気にもしなかったし、おれたちも、ひとまず、かかわるのをやめておいた。
「たとえ話の才能が何もない」
けど、さらにヘルプセルフは断言する。
みんなやはり無視をした。いっぽうでなにか、人間関係の完成も感じる。
「さあ、俺たちも騒ぎに合流だ。行こうぜ」
嬉しそうに笑み浮かべながらホーキングは率先して歩き出した。
騒ぎは船の中央部の柱で起きていた。その麓に海賊たちはあつまり、みな、見上げている。柱には見張り台があり、そこに数日前、牢屋で目にした男が立っていた、手には松明を持っている。対して、甲板上の海賊たちはそれぞれ手に物騒な得物を持っていたが、表情はどれも怯えたものだった。
「あれがフリント?」
リスが眠気を帯びた半眼で見上げながらいう。
「そーいえば、あのおっさん、牢屋のなかでこの船の船長とかいってよね、虚言癖の重傷者っぽい感じで」
「それがなぁ、俺の調査によると、一週間前までは、ほんとにこの船の船長だったんだとさ、まちがいなく」
「だとすると、きっと、船長になってしまったこと自体がまちがいだったんでしょうけどね。で、なにしてんの、あの元船長は」
「ほれ、あそこに樽があるだろ」
ホーキングは、がっしりとした顎で柱の一部をしゃくって見せる。たしかに見張り台に立つフリントの傍らに樽がある。そして、樽からは長い麻紐が垂れ下がっていた。
「あの樽、爆薬をつめつめに詰めた、爆弾なんだってよ」
言って、がっはっは、と笑った。
「たぶん、あの紐が導火線だろうな、ぽいもんな、はは」
「いや、笑ってんじゃねえわよ、ぼえっと、早朝からとんでもねーことになってんじゃん」リスが不満げにいった。「なにこれ、目覚めて起きてきたら通常運用の人生じゃ、そこそこ巡り合わん状況になってんじゃん。え? なにこの現実、捨てたいんだけど、遥か銀河の彼方くらいまで」
ホーキングに不満をぶつけてもしかたないが、気持ちはわかる。
けど、どうして、そんなことを。そう思ったときだった。
「おはよう諸君!」
見張り台の上からフリントが叫んだ。みんなが見上げるなか、リスが小声で「ねえ、誰か、矢とか弓とか銃とか持ってないの?」と、物騒な発言をしている。
「というわけで、さっそく! 船もろともみんな吹き飛べ!」
高らかに言って、フリントは持っていた松明で、導火線に火をつけた。
とたん、甲板上は大騒ぎになった。海賊たちの数人はたちまち手にしていた刃物を投げだし、小船へ殺到し、また、そのまま海へ飛び込んで逃げ出す者もいる。
幸い、船は小さな島々の浮かぶ海域を進んでいた。泳いでたどり着けそうな島はいくつもある。
「さあさあ、諸君。船と運命を共にするがいい!」フリントが歌いあがるようにいう。
おれたちはどうすべきか。導火線は長く、即座に爆破はしないだろう。けれど、のんびりしている場合ではない。
「おい、おっさん」
すると、リスが甲板からフリントを呼んだ。
ただ、フリントは気が付かない。
「おい、牢屋のおっさん!」リスは眉間にしわを寄せた表情でさらに呼んだ。「あんただ、あんた」
重ねて呼ばれ、フリントがようやく気づき、リスを中心に、固まって立っているおれたちを見下ろした。
いっぽうで、彼にいる見張り台と、爆弾の樽を目指し、数人の勇気ある海賊たちが、柱や網を伝ってフリントを取り押さえに向かい、襲いかかる。ところが、フリントはどれものらりくらりかわす。鋭さはないが、独特な動きで法則がなく見切るのが難しい。襲撃者たちを漏れなく足蹴にされ、甲板に蹴り落とされていった。
「なんだい、お嬢さん!」
見張り台での攻防の合間を縫って、フリントはリスへ反応する。
その間にも、導火線は短くなってゆく。もう半分を切っていた。
「と、そのまえに、女子! まず女子、君に言いたい! 古代から海賊船には女は乗ってはならないと決まってる、なぜなら恋愛問題でもめるから! 恋に傷ついて働かなくなるからな!」
「そんなごみみたいな情報いらない! ばかが!」
「おおう、では!」フリントは新手の襲撃者を足蹴にして落としながらいう。「では、いったいなんだね! わたしはいま踊るように忙しい! ほーら、ぱっと見、どたん場感が出てるだろ!? いまはそっとしておくべきだと自主的に感じて欲しい!」
よくしゃべりながらも世話しなく動き、元部下の海賊たちを蹴落としてゆく。曲芸めいた動きだったけど、余裕はありそうだった。弾に飛んでくる銃弾も避けてゆく。
そして導火線も半分を越えていた。なんとか爆発を阻止しようと頑張っていた海賊たちも、次第にあきらめ、どてどてと次々に船から海へ飛び込んでしぶきをあげてゆく。
「うっせえ!」リスは暴言をぶつけてゆく。「おっさんこそ、調子のってないで爆破をやめい! でないと、ここにいる殺し屋たちにあんたをすぐ始末させるわよ!」
ここにいる殺し屋たち。
おれはヘルプセルフ、セロヒキは互いを見合ったのを見てしまった。
「つか、責任者、いけ!」
「………え、なんだ俺かよ?」
たのしげな表情で動向を見守っていたホーキングをけし掛ける。そもそも、なんでホーキングはたのしげな表情で動向を見守っていたのか、その精神が理解できない。
だめにんげんだ。
「いけい! 責任者として、あいつの首を素手で、もいでこい!」
「それは責任ってものの範疇を遥かに越えた、いわば残虐の指令の登場だよね?」おれの指摘を、興奮したリスは一切きいてないし、この状況にはなんら影響を及ぼさない。ただ、ビットだけが、かくかくとうなずいている。
誰かがきっと、見てくれているというのは、ありがたい。
そして、導火線はいよいよ短くなる、火は樽へと迫る。
「ならまあ」するとホーキングはここ数字、魚を捕るために使っていた銛を握る手に力を入れた。「せっかくの機会だし、ちょっとだけ」
笑った。
かと思うと、銛をフリントへ向かって投げる。速い、稲妻が地上から空へ逆に落ちたみたいな速度だった。さすがのフリントも避けるだけで精いっぱいだった。銛は秒前までフリントの顏のあった柱に刺さった。フリントは態勢を大きく崩して下へ落ちる。丁度真下には、逃げていた海賊たちがいて、そこに身体を落とした。
ホーキングはフリントが登っていた柱へ近づく、拳で殴りつけた。すると、柱にささっていた銛が落下して来た。それを見事に掴み、持ち替えて、刃先を空へ向ける。
「痛っいいいいい!?」
そうしている間に、海賊たちを下敷きにしていたフリントが起き上がる。
「フリントぉ! 差しだぁ!」
白い歯を見せながら吼え、銛を両手に構えたホーキングが迫る。
「そっそっそ!?」フリントはなにか言い返そうとしたが、脅威が迫るなか、うまくいえなかったのか、慌てて立ちあがると、下敷きになっていた海賊たちが落とした剣を慌ててひろいあげ構える。
「ずんがああ!」
吼えたホーキングが銛でつらぬきにゆく。フリントはさっき見張り台でみせたように、のらりとかわす、間を置かず放たれたホーキングの追撃も、くらりとかわす。傷は追っていないが、見ていると、その危うさに、心臓が鳴ってしまった。偶然避けられただけに見える。
「ようようようよう!」
ホーキングが声の拍子に合せて銛で連続に突く。
フリントは、一見踊るように避けてみせた。けど、やはり、がむしゃらに避けらているようにも見える。はやり、動きには法則がなく、型もあるように思えない。
「ええい、じゃこっちも!」
言ってフリントが剣を降った、早い。首を狙う。だが、ホーキングも素早く頭をさげて避ける。
すぐさま銛で突く。フリントはふらりと避ける。
「異常だな、ただの鯨捕りじゃないな」
フリントがいった。
「おまえさん、じつは強いんだろ」
ホーキングは言って笑んだ。
ふたりは攻防を再開した。鋭く打ち込み合う。息詰まり、見入ってしまう。
そして、その間に見張り台に仕掛けられた爆弾は遠慮なくみんなの頭上で等しく爆発した。
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