第三章 はじめての海賊(8)
牢屋は船底の最深部にあった。牢屋といっても、船底の枠にそって、鉄格子が嵌められているだけだった。明りはなく、牢屋のなかはみえない。
船底の空気は鮮度もわるく、鼻腔も攻撃してくる。換気の仕組みが雑なんだろう、さっきまで乗っていた客船とは雲泥の差だった。船の製造元の油断がみられる。
「あいつ………身を削って救出に向かっているわねえ………」
リスは露骨に鼻を押さえながらいった。
「船底なんてどこもこんなんだ」鯨捕りだったホーキングが言った。「まあ、ここはかなりしんどいけどな」
「あ、あ、おおおおぉ!?」とたん、牢屋のなかから声が発せられた。それから鎖がこすれる音も。
「げっ、まじでなんかいるじゃん………」リスが今度は露骨に嫌そうな顔をした。心のかたちがそのまま顏つきに出ている。まあ、心が少ししかないから仕方がない。
ホーキングが光源を牢屋へ向ける、男がいた。三十歳前後くらいで、ひどく偽物っぽい礼服めいたものを着くずし、身に纏っている。なんとなく道化師の要素も感じられた。
「おっとおっと、これはぁこれはぁ!」
すると、男が牢屋のなから、まるで上等な屋敷にでも招き入れるかのように仰々しい身振り手振りをして、お辞儀をした。
「よぉうこそ諸君、我がぁー、船へ!」
礼節を持った挨拶をする。けれど、おそろしく嘘っぽい。
「ハズレだ」リスが一言つぶやくと、おれたちは出口の方へ身体を向けた。ホーキングも光源を牢屋から剥がす。とたん、男は「まあ待ちたまえ、ズドンと落ちつきたまえ」といい、格子の間から手を出していい。
「わたしは、この船の船長である」
その発表を聞き、ホーキングが立ち止まる。
「んん、貴君、もう一度、私に、その光りを頂けるかね?」男はホーキングに頼んだ。
「あ、だいじょうです」しかし、リスがそう言い返して一礼する。そして指示した。「じゃ、あたしたちの未来へ、再出発」
「話は合おう!」すると、男はすごく必死になった。さっきまでの余裕は灰燼に帰すほどの必死だった。「お話しよう! なあ、まずはお話しようじゃないか!? お話を! そう、ともだちからはじめよう! ね、諸君! 諸君たちぃ! 諸君様ぁ! な、いいだろ!? 話だけだ! 話だけ! 少しだ、たったちょっとだけのお話だ! 短い時間だけでもいい、人生の一時期を共有しようじゃないかぁ!? よくするから! ぜんぶよくするから!」
あまりのやかましさに、さっきセロヒキに倒され、通路で気絶していた海賊が、寝苦しそうに眉間にしわを寄せてうなるほどだった。
そこで、おれはみんなへ向かって「どうする」と、漠然と問いかけた。
自分で考えたくなかったので、みんなに放り投げたかたちだった。
「あいつ、この船の船長っていってたわね」リスが腕を組みながら言った。「自分の船に捕まってる海賊船の船長なんて、世界最高峰のうんさくさだ」
「彼は自由を求めているとみえる」ヘルプセルフが仮面の向こうから発言した。「解放してやろう。もしそれで裏切った場合は、責任を持って俺が処分する。容易くいこう」
「いや、なにいってのよ、あんたは好き好き町角殺人鬼か」リスがそう言い返し、ホーキングを見た。「で、どうするの、決めてよ」
「ん、なんだ、俺が決めるのか」
ホーキングは光源の明りのなかできょとんとした。
「だって、このなかだと、あんたが一番長生きでしょ、みんなの指示係になってよ。あたしの地域じゃ、年上が年下のめんどうみるの。それに、あんた見た目の貫禄だけはあるし、ガタイがいいから山っぽいし、熊っぽいし、みんなの防御壁として最適だと思う」
「彼が代表だったのか」と、そこでセロヒキがはじめて知ったという感じで問いかけた。それからおれを見て「こっちの彼ではなく」そうきいた。
そこで、おれは「おれもホーキングになってほしい」そう意見をいった。「ビットはどう思う?」
「え、あ、ぼくは………ヨルさんを信じますから、ヨルさんがいいというなら、ホーキングさんです」
そこまで聞いてヘルプセルフがいった。「あと乗りの身だ、みんなの決定にただ従う」
「オレもだ」セロヒキもうなずいた。
「じゃ、ホーキング、あんたが責任者ね」リスが笑顔でいう。
「おー、よぉーし、まかせておけぇー」
ホーキングは抵抗も照れもなく許諾した。
微妙に、リスがはじめにいっていた指示係ではなく、責任者という表現の変化があったが、気にしていないか、気づいていなさそうだった。いずれにしても、今後はまず、発生するだろうあらゆる問題は、まずホーキングを盾にしつつこなそうという暗黙の合致が生成された。
そして業務的とはいえ、会話が弾んで少しうれしかった。
芽生えたその感情が油断だったともいえなくもない。ふと、ホーキングの表情が変わった。かと思うと彼は「おいおいおい」といいながら走り出す。光源は彼しか持っておらず「なんだ、どうしたクマ!」と、リスが叫んだと同時に、みんなで光りに導かれるように追いかけた。背後では牢屋のなから「ああ、みんなぁ、オレのこと忘れないでねえ!」と、なにか別れめいた叫びが聞こえたが、一同は捨て置きホーキングのあとを追う。
甲板に出る。暗転のせいで攻撃性を帯びた陽の眩さに目を細めた。それでも無理に目を光りに馴染ませてあけた。
やがて見えたのはもはや絶望的なまでに遠ざかり、水平線の彼方で小さくなる、自分たちの乗って来たの気帆船と、その空で揺らめく小さな煙だった。
「ああ、あたしの肌荒れ防止石鹸が、まだ船に!?」
そして、リスが世界の最後みたいに叫ぶ。
そうか、肌荒れとか気にしていたのか、と思ったらしき、男たちが一切にその場に崩れるリスを見た。
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