第十章 竜払い 後編

第十章 竜払い 後編(1)

 聞こえて顏をあげた。

 立ち上がり、背を預けていた木の影から群れの様子をうかがう。

 かすかに、ひとの赤子の泣き声がきこえた。

 見ると、都へ続く、竜の群れを横断する道の真ん中に、籠が落ちている。泣き声はそこからきこえていた。

 周囲の様子をうかがうと、道から外れた場所に、大人の男と女らしい、ふたりが倒れていた。竜にやられたらしい。傷から判断して、きっともう絶命している。

 泣き声のきこえる籠の周囲には竜しかいなかった。咄嗟に、森から出て、道を馳せる。すぐに慌て行動したことを後悔した。けれど、手遅れだった。数匹の竜が、こちらへ鎌首を持ち上げてみている。焦って自分から姿を現わしてしまった。

 確実に罠だった。慎重になるべきだった。いくら悔いても、時間が戻るはずもない。

 数匹の竜がこちらをじっと見ている。監視していた。すぐには攻撃してこない。やはり、道を進んでいる者は攻撃しないようにしているのか。

 道を外れて逃げ出したり、引き返した場合はどうなる。きっと攻撃される。泣き声のする籠のそばに倒れているのが赤子の両親なのかもしれない。ふたりは、道から外れた場所に伏している。

 このまま道を進んで都へ入れば攻撃されることはない。都へ入っているしまうことは、状況を詰んでしまう可能性は高い。だが、手遅れだった。おれの存在は竜に気づかれ、いまはもう監視されている。都へ向かって進むしななかった。

 この道をゆけば攻撃されることはなさそうだが、それでも最大限の警戒しつつ、そして、泣き声のする籠へ向かう。

 いよいよ、竜たち群れのなかを横断した。どの竜も大きい。未曾有の体験に、緊張で、気絶しそうだった。

 籠までたどりつくと、その場にしゃがみこんだ。生まれてどれくらいだろうか、中に赤子がおさまっていた、顏に泥と血をつけて泣いている。血は、この子のもどではなさそうだった。

 道から外れた場所で倒れている二人をみる。きっと、もう絶命してた。ひどい傷だった。まいったのは、ふたりのそばに、五歳ぐらいの男の子が倒れていることだった。その子も、もうこと切れている。

 この籠のなかの小さな子もふくめ、親子四人で、都へ続く道を進んでいたんだ。それで、たとえば竜のそばを進んでいるうちに、あの男の子が、急に怖くなって、逃げ出そうとしたのか、それで道を外れ、両親が追いかけ、そして、三人とも竜にやられた。そんな起こったのかもしれない。

 籠の中の乳児は泣いているが無事だった。おれは籠を抱えた。竜たちはじっとしていた。

 引き返すことは不可能だ。そのまま籠を抱え、竜たちの群れなかを歩き、都へ向かった。

 その時だった。

《ハハ》

 すぐそばで、笑い声がきこえた。

 何かが面白くて笑った、若い男みたいな声だった。

 きこえた方へ視線を向けると近くに一匹の竜がいた。中型より、少し大きめの竜だった。全身は黒と灰色だった。

 けど、近くにいたことでわかった。そいつの全身には泥が塗られていた。だが、その泥が、ところどころ剥がれ、白さがみえる。全身を泥で汚して他の竜の色に合わせている、ありふれた竜に擬態している。そして、決定的だった、その竜は目が赤い。

 白い竜、そいつだった。泥で自身の色を隠しているため、群れに紛れてしまえば、わからないのも無理はない。けれど、これだけの距離ならわかる。

 こいつだ。

 剣を手にして迫ろうか。いや、だめだ、できない。

 いま、抱えた籠のなかには子供がいる。両親と兄を失ったばかりの赤子だ。

 赤子だった生餌、おれみたいな奴をおびき寄せるために奴が用意した。目論み通り、のこのこ姿を現わしたおれを見て、白い竜は笑ったんだ。ばかだと思ったんんだろう、愉快だったんだろう。奴は最初から、おれが近くに隠れていることを気がついていなんじゃないか、そんな気さえしてくる。

 ありふれた竜に擬態している白い竜に対し、一瞥だけに留めた。二度と振り返ってみてはいけない。

 こっちがその存在に、気づけていないふりに徹する。泣いている赤子の入った籠を抱え、都へ向かう。

 白い竜は、ただおれをつかって愉しんだ。

 ただただ、無力な竜払いが一人、赤子の泣き声に誘われやってきて、後先を忘れ、慌てて助けに来た。そして、そいつもけっきょく、あの都へ収容されてゆく。

 狙い通りだ、面白い。

 そのあたりだろう。

 けれど、点が入った気分だった。

 おれだって、はじめからこの世界に白い竜がいて、そいつは人間みたいな奴だと知らなければ、奴には気づけていなかった。白い竜が存在するなんて知らなければ、泥で擬態している竜などいるはずとも思えていなかったはずだ。

 けど、奴はどうだ。おれが奴を特別な存在だと認識していることまでは、わかっていない。

 小さいが点が入った。一点でも入れば、勝負へ持ち込める可能性がある。

 そのまま無力な竜払いを演じ切って、都の入口まで向かった。大勢の人間が、おれの方を見ていた。他の人たちも、泣き声はきこえていたし、もしかすると、この子の両親が襲われる一部始終のを目撃していたのかもしれない。けど、この都から一歩でも出て、赤子を助けにゆくことは、道を引き返すことになる。ここに無数にいる竜たちが、それを逃避を判定して襲って来るかもしれない。

 いま都にいる人たちが、都から出て、赤子を助けることは、自らの生命を投げ出せといわれていると同じだった。白い竜は、その状況も愉しんでいたのか。だから、わざわざ、あんなに赤子に近くにいたんじゃないか。

 都に入ると、すぐに年齢もばらばら女性が三人が駆け寄って来た。そのうちの一人の女性が籠から赤子を取り出して抱きしめた。家族なのかどうかはわからなかった。周囲にはおれのことをじっと見ている人間もいたが、壁際に座ってじっと動かない人もいた。彼女に抱かれるうちに、赤子はだんだん泣き止んでいった。

 あの芸術を高らかに歌っていた豊かな都は、どこも避難所になっていた。武装して、見張りに立っている人間もいたが、ほとんどは竜から逃れて来た特別な力を持たない人々だった。おれは、最後まで残していたきれいな布で、赤子の頬についた血と泥をぬぐって、抱きしめた女性へ「この子をお願いできますか」と頼んだ。彼女はうなずいて「はい」といった。

 すると、別の女性が「彼女は自分の子供を失くしたばかりなの」と、小さな声で教えてくれた。

 何も言えることはなかった。

 ただ、やるべきことはあった。おれは女性たちに頭をさげ、都の奥へと視線を向けた。ホーキングを探さなければ。にしたって、都は広い、しかも、この状況でどうさがそうか。

「ヨル!」

 尋ね人はすぐに、向こうから現れた。

 熊みたいに大きな身体に眼帯、竜の骨でつくった鯨銛りを携え、そこに立っていた。

 一瞬、夢かと思った。かなり驚いたはずなのに「ホーキング」と、淡々とした口調で彼の名を呼んだだけだった。

「ヨル」

 近づき、前に立った彼は、もう一度、おれの名を呼んだ。彼も全身ぼろぼろだった。顏は汚れ、服も砂まみれだった。けれど、表情は、おれのよく知っている、あのホーキングだった。

 変わり果ててもいないし、まだ、何事にもやつけられていない。

「来たのか」

「ああ、来たよ」

「なんだよ、赤ん坊の話を聞いて来てみりゃ、その次は、赤ん坊を剣を二本背負った奴が助けって話を聞いた。はは、お前だったとはな、はは、しびれたぜ」

 話し方も変わっていない、ホーキングそのものだった。

 少し前まで、田舎に現れた小型の竜を一緒に払っていた、あのホーキングで、どこか故郷に還って来た感じだった。

「おまえだけか」

「うん、みんなは島を守ってる」

 不意に思い出す、トーコの姿だった。

「おれだけで来た、だって、おれは竜払いだし」

 ホーキングは少し間をあけてから「そうだな」と、いった。そして「ああ、そうだそうだ」とわずかに顏に陰を灯してうなずいた。

「オレたちゃ竜払いよ。いまここにいるべき者たちって、やつだよな、ああ」

 お前は間違えてない、と肯定してくれている。

 本当はどうあるべきかはわからない。けど、とにかくホーキングは、ここに来たおれを、ありったけ肯定した。

「状況はどうなの」

「初日は大陸中で竜が暴れたらしい。この都に大勢が逃げ込んだ来た。次の日にはあの通り、竜の群れで囲った。で、あとは毎日少しずつさ、竜たちはこの都を少しずつ、外側から焼きに来やがる」

「外側から砂山を崩して遊ぶように」おれは外からみら見た都の光景を思い出す。「外側から都を削ってる?」

「ああ、そうやって追い詰めて遊んでやがるのさ。一日一回来る、夕暮れ時にな、今日で三日目だ。だんだん人間が生きれる場所を狭める」

「今日で三日目」教えられ、おれは破壊されたあたりを見る。この大陸の竜払い協会があった場所は、もう焦土と化していた。「じゃあ、今日も来るんだね」

「ああ、確実に来るさ。だから、みんな都のなるべく中心にいる」

 都の中心には、頂上の四面に時計がついた高い塔があった。

「二回の襲撃であそこまで焼かれたんだね」きいたことを踏まえて、あたりを見回す。「あと二回ぐらい襲われたら、ぜんぶやられそうだ」

「つまり、あしたの夕方までは全滅しない、ってことさ」

 落ち着いて言ってのける。少なくともホーキングはここでこのまま死ぬ気はないことがわかった。まだ試合を投げてない。

「二回あった襲撃の時には戦ったの?」

「竜払いの半分はな。二回でけっこうやられちまった。いい奴もいたんだがな、かっこいいのもな。大きいのも何匹か竜も仕留めたが、どうにも数が多い」

「倒した竜があるんだね」

「ああ、今日も戦うかどうかはまだ残った竜払いのなかでも決まってねえんだ」ホーキングが手で頭をかきながらいった。「夕方には来る、三回目の襲撃だ。それを迎え撃つか、今日は休みってことにして、まんなか集まってみんなで避難するか、って」

「大陸中から逃げてきた人がここに集まっている」

「奴はここにいるみんな、明日には、ぜんぶやられるってのを分からせた上で、それでもここに来るしかないように仕向けてやがんだ」

 ホーキングの視線の先には、竜の襲撃を逃れ大陸中から逃げ込んできたが、雨風をしのげるようなめぼしい軒先もなく、ただ、座り込んだり、寝転んだりするしかない人たちがいた。食料も水もそんなに無いだろう。

「それに奴の姿もみえねえ、どこか奴自身がこの状況を見える場所にいるとは思ってんだが」

 ふと、ホーキングがそういった。

「いや、みつけたよ」

 おれが言うと、ホーキングが顏を向けた。

「みつけた?」驚いた表情をして「いたのか」少し身体がまえへ出た。

「うん、子供が入った籠のそばにいた、あのあたりだよ。子供の泣き声をきいて、隠してた姿を現わしたおれを笑うため、近くにいた」

 勘付かれないように最低限の視線で示す先を、ホーキングが見た。

「身体に泥を塗って他の竜と同じような色をして姿を隠してる。遠目でも、よく注意してみればわかる。鋭そうな奴だった、見過ぎ気づかれないようにね」

「おいおいおい」教えておいて不安だったが、どうやらまだ奴はそこにいたらしく、ホーキングも目で確認したらしい。「ちきしょう、竜を隠すなら、竜の中ってか」

 憎々し気に、そして、気づけなかった自身に対して苛立つようにいった。

「おい、はは、ほんとだ。いやがったぜ」

 けれど、次には顔を伏したまま嬉々とした。

「いよーし」

 何か、最強の手札でも手に入れたみたいに声を発した。

「すげぇぜ、ヨル。ここに奴がいるとわかればなんとかやれるぜ」

 ホーキングはおれだけに白い歯をみせて笑った。

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