第一章 竜払い(5)
竜は丘の上で目をつぶって眠っていた。白鳥のように、自分の首を背中に預けて丸まっていた。
眠っている竜を見たのは、はじめてだった。寝息が、洞穴から聞こえる風みたいにきこえる。見ていると、巨大な岩、そのものが眠っているような気がしてくる。おおよそ、じぶんが知っている、生き物のどの眠りとも、種類の違う眠りに見えた。起すとこちらの命が亡くなる。身体がばらばらになる死を想像してしまう、焼かれて塵になる死を想像してしまう。
こんなものが人の住む場所の上空を飛んでいる。この惑星には、人間に絶対安全な場所などないことを証明する存在感だった。
いったい、いつ、どこで、誰がこの生物と戦おうと思ったのか。戦い続けようと決めたのか。いまでは、この戦いに文明単位で慣れてしまって、人はもう竜と戦わざるを得なくなっている。
なぜそんなことに。人は決して、この生命体に慣れることはないのに。それでも、文明がこの戦いを維持しようとしている。戦う部屋へと、追いやってゆく感じがある。
「こいつはでかいな」
横に立ったホーキングの言葉で我に返った。
「百年は生きてる」
彼は落ち着いていた。でも、素ではなさそうだった。心は構えてあるのがわかった。
この絶対的な生命体の前でも、こちらもまた堂々とした生命体であろうとしている。
そのとき、陽の光に竜の背中で何かが煌いた。竜の翼に、剣が刺さっていた。
せんせいの剣だった。昨日、とっさに投げてぶつけたとき、巡り巡って、翼のつけ根に刺さったらしい。竜からすれば、取りにくい場所なのか、刺さったままだった。
「せんせいの剣だ」
ホーキングにだって、当然、見えているはずなのに、興奮して報告していた。
「眠ってます、静かに近づけば取ってこれます」
じぶんで言っていたが、じつはよく自殺行為なのもわかっている。気持ちが空回りしていた。
「やってみるかい」
彼は否定しなかった。でも、じぶんで言っておきながら、やはり、すぐに、やります、とは答えられなかった。
「けど、今日の一番手は俺だ。さっきの約束を、遠慮なくつかわせてもらうぜ」
答えに窮したこちらを救済するような間で彼がそういった。
「どうするんですか」
「まずは挨拶だ」
「あいさつ………」
「竜に伝えるのさ、このホーキング様がてめえのところへ還って来たってな」
何を言っているんだろう。とにかく、ひどく厄介なことをしでかしそうな予感がした。竜に挨拶、この人に言っていることは竜払いとして、これまで学んだ基本的な挙動として、間違っている気しかしない。
すると、彼は布に包まれた長い何かを相変わらず天秤のように両肩に担ぎ、眠り竜へ向かって丘をあがっていた。
「あ、死にますよ………」
とっさのことで、つい侮辱めいたもので注意をしてしまう。
「まずは目を覚ますのさ」
それを何に対し、どういう意図で言い放ったのかは不明だった。ホーキングはそのまま丘をあがっていく。せんせいの動きと比べてしまうと、あまりにも無防備だった。いけない素人そのものだった。
彼はついに、竜の目の前まで行き、立ちふさがるように立ってしまった。
竜は、ぴくり、とも動かない。
そこからどう動くんだろう。ホーキングの次の動きを見極めることできない。十年ぶりの竜払いといっていた。もしかして、竜の怖さを忘れてしまっているのか。いいや、たとえ忘れていたとしても、あの竜を前にして、純粋に怖さ感じとれないとすると、それは、もはや、人として重要な感覚の欠如を起している可能性が高い。
静寂が続いた。ホーキングは竜の前に立ち続け、竜は動かない。
朝陽は昇り切って、短い草と、岩だらけの寂しげな光景が地平線まであらわになってゆく。
「よーう」
と、彼が竜へ声をかけた。
すると、片側だけ見えていた竜の目が開いた。
「あのよ、朝も早々からじつにワルいんだがぁー、おまえさん、どっか人のいない遠くへ行ってくれやしないかい?」
うっ。竜に、普通に、しゃべりかけている。
その衝撃は強かった。そんな人、これまで見たことがない。普通に頼んでいる、竜に、人の言葉で頼んでいる。
ゆ、有効な手なのか。も、もしかして、じぶんが知らないだけで、言語による通達、そんな方法があったのか。
真剣に考えてしまった。
だが、竜は再び目を閉じていった。歯牙にもかける様子はないとは、まさにその光景だ。竜の瞼は下についているので、下から上へゆっくりと瞼を閉じてゆく。
すなわち、竜に無視された。
その直後。ホーキングが大きく息を吸い込んだ。そして、大口をあけて。
「がああああああああああああああああああああああっはっはっはっはっはっはっぁあああああああ!」
吼え、笑った。
とたん、竜はぎらりと目を開けた。次には折り畳んだ翼を広げ、身体を振って、目の前で叫んだホーキングを薙ぎ払う。きん、と音がなり、ホーキングの身体は大きく吹き飛ばされていった。滞空時間もながい、見上げて、弧を描いて丘の下へ落ちてゆくのも見えた。そして、じぶんがいたところよりも、丘の下部分まで飛ばされ、そこにあった岩に頭からぶつかった。
目にした光景に茫然としていた。
これは、いったい。
いまのは、いったい。
けれど、茫然としているような、贅沢な時間はなかった。今度は竜が吠えた。眠っていた態勢は解かれ、臨戦態勢をとっていた。そして、両の翼を羽ばたかせ出す。
風が起きて、立っているのもやっとだった。草原のなかに、隠れるように咲いていた小さな花々が散ってゆく。
そして、竜が二本足を使って丘を下りはじめた。一歩ごとに地面がにぶく揺れた。
剣を抜いた。
まだ羽根のつけ根あたりに、せんせいの剣が刺さりっぱなしだった。
竜が正面から駆けて来る。巨体のせいか、向かって来る動きが緩慢に見えるが、実際は、一歩一歩の距離が長い。間は、一呼吸を追えるうちに詰められていた。
とうぜん、何も考えられる時間もなかった。
竜はこちらを攻撃する前に飛んだ。
たぶん、運が好かった。竜は緩い丘で、乏しい風を羽根にとらえると、始めは地面すれすてを、そして、上昇していった。
「くそっ」
視線で追いかけ叱咤する。無力さえの叱咤だった。
あの人は、っと、彼が吹き飛ばされた方を見た。すると、岩場の影から、ぬう、っと右手が伸びて出た。
あ、死んではない。
いや、ぎりぎり死んでないだけかもしれない。
ひどいこと考えながら近寄る。同時に上空にいる竜への警戒は怠れない。竜は旋回していた。今回はわかる、猛っている。猛る理由も目にした。
瀕死か。あんな大きな身体を抱えて村まで戻るのは。想像しながら岩へ。
回り込むと、ホーキングは岩を背に座っていた。頭からは血が流れ、顏にべったりついている。
白い歯をみせて笑っていた。はじめは「くっくっく」しだいに頭を片手で抱え「はーっはっは!」狂気染みた高笑いを起す。
かくじつに、だいじょうぶじゃない。
「だいじょうぶ、ですか………?」
けど、反射的にそう聞いていた。
「え?」聞くと、ホーキングは笑いを止めた。そしてまた小さく笑い「はは、よう」と、挨拶してきた。
きょとんとしてしまった。出血は凄いし、おそらく頭が割れている。なのに、当の本人はかすり傷でも負った感じしかない。そのせいで目にしているこっちも、けっこうだいじょうぶなのではないかと錯覚をはじめている。
「はは、ああ、そうだ。そうだったそうだったよ」
頷き出す。空には空で竜が猛って旋回を続けている。ひと息つける隙間はどこにもない。
「そうだ、そうだよ」ホーキングは独りでのうなずきを続けた。「完全に目が覚めた、そうさ、竜は強いだった」
当たり前のことを口にしながら立ち上がる。困惑していたが、じぶんより遥かの大きい彼が立ちあがり、ふたたび見上げる存在に戻ると、困惑は薄まった。
「戻るぞ」
宣言する。立ちあがった拍子に、顏にかかった赤い血が滴り、そのまま左目の眼帯の下から、涙っぽく血が頬を流れていった。
戻るぞ、って。問いかけようとしたとき、竜が空で吼えた。まるでホーキングが立ちあがったことを見ていたみたいなだった。彼が絶命していなかったことに対して、苛立っているようにもみえる。
「ここぞって時があったら、剣を竜から引っこ抜け。命を懸けてもいい」
不安げに竜を見上げているところへそう言われた。見返すと笑っている。白かった歯のほとんど血がついている。なにかとんでもない獣を喰らってしまった人にみえる。
「いや、でも、さっきは、今日は死ぬなって………」
「命を懸けて! しかも死ぬなってことよ!」
勢いよく言う。勢いだけで、理不尽の極みだった。
どうしろと。考えている余裕はなかった、竜がまた上空で吼えた。
すると、ばさ、っと布を払う音がした。ホーキングが、ずっと持っていた長いものの布を払った。
剣じゃない、槍。
いや、槍でもない。
それは、むかし港で目にしたことがある。
銛だった。白い銛だった。
「それは」
唖然としながら聞いた。
「こいつぁは、鯨銛よ」
「くじらもり………?」
くじらを捕るための、銛。なのか。
想像もしてなかった道具の登場に、唖然とし続ける。けれど、竜は待ってくれるはずもない。
しかも、ホーキングが竜の骨で出来た道具を手にしたことで、何かを察知したのか、より一層吼えた。
吼えて、こちらへ向かって滑空を始める。
あっという間に、地面まで来た。
竜の口元が虹色に揺らめいている。炎を吐く気だった。
「っき!」回避しようとした。
そこにホーキングが手をぐるぐるさせながら囁いた。
「決めちまうから」
なにを。
竜が丘まで迫る、口を大きくあけた。間に合わない、喉の奥から炎が吐き出される、焼かれる。
と、ホーキングが銛を逆手に持ち替えて投げる、突風みたいなのが起こった。
銛は竜の翼に突き刺さった。竜は驚き悲鳴をあげた。そして、動揺したのか態勢を崩す。銛には縄がくくりつけられていた。直後、竜は羽根を大きく広げ、逃げるように空へ飛んだ。じぶんたちのすぐ真上を通った。
竜は銛を翼に刺したまま上昇してゆく。ホーキングは右手で握りしめていた縄が、ぴん、と空へ伸びた。
「行ってみるかい?」
問われて、左手を差し出された。大きな手だった。考える前に握り貸していた。
身体が浮いた。ぴん、っと張った縄には収縮力があって、伸びきって、竜に引っ張られて、戻ろうとする力もあったのか、身体が浮いた。かと思うと、とんでもない勢いで上昇した。
ホーキングも空へ向かって、投げ出されていた。手を握った方の腕が根本からもぎれるかと思った。
気づいたときには空にいた、眼下に竜が飛んでるのが見えた。
悲鳴をあげる間もない、重力が働き出す。竜の翼のつけ根当たりに体当たりするように落ちた。
竜は背中にくらった衝撃で大きくよれて、飛行が不安定になった。ホーキングは縄を手放さず、もう片方の手も手放さなかったため、竜の背中の上から落ちずにはすんでいた。ホーキングの片手一本に命を預けている状態だった。たった一本の腕、けれど、不安はなかった。
心の状態とは無関係に竜の飛行は不安定だった、がたがた左右に揺れる。この竜がもっとの高く飛んでいたとき、はんぶんくらいの高さで飛んでいる。飛んでいるというか、真横に落っこちている感じだった。
「いつもこんなことやってんですかあ!?」
叫んで聞いてた。
「いや、この状況はハツだ! 何かをまちがえた空を飛んじまった! こいつは予想外だった!」
叫んで返される。でも、笑っていた。
空を飛んだのは生まれて初めだった。空を飛んでる竜の背中から遠くまで見通せた。村も海も見えた。
これが竜の世界の見え方か。地上を歩いているときとはぜんぜん違う。世界が数百倍も広く見えた。なにより、光と影が、いっぺんにたくさん見える。それを命懸けで体験している。
そうしているうちに竜の飛行は不安定さを増していった。揺れるし、竜は吠える。背中に張り付いているじぶんたちを振り払おうともがき始めてもいた。
「なんか、下に落ちて来てませんか!?」
「そりゃあそうだろ! ハトが背中にネズミを二匹のせて長く飛べるわけもないだろ!」
竜の背中で、空を飛びながら聞かされるようなたとえ話ではない。
「これ、もしかして村に向かって飛んでませんか!」
気付いて、叫んだ。
「このままじゃ一緒に落ちるな、はは!」
ホーキングはホーキングで、べつの深刻な事実を笑いながらいってきた。
「どうするんですか!?」
「いったろ、ネズミのはなし!」ホーキングは歯を見せて笑っていた。「こいつだって、でかくて強そうに見えて、空を飛ばせる重さはきっと、自分ひとりの身体でギリギリなんだよ!」
「はい!?」
竜は切り立った岩の連続する地域を飛んでゆく。なんとか、それらをわかした。
「自前で踏ん張れ、俺はちょっとそこまで負荷をかけてくる!」
言って、手を離す。慌てて、竜の身体の謎の突起にしがみつく。一方で、ホーキングは翼に突き刺した銛にくくりつけたロープを握りしめたまま、翼から飛び降りた。まだ充分に高い、地面に落ちれば死ぬ。
ロープがしなった、突き刺した銛の食い込みはなんとか持ちこたえ、飛び降りたホーキングの身体は竜の後ろ足あたりで空中停止した。
その衝撃で、竜の全体が、がくん、となった。高度もさがり、飛行が不安定になった。
切り立った高い岩が目前まで来ていた。竜は激突を逃れ、なんとかかわして飛行を続ける。
もう少しだった、もう少し寸前でホーキングが仕掛けていれば、飛んでいる竜を岩にぶつけることができそうだった。
そんなことを考えながら、瞬間、あることを考えた。
そして、無意識のうちに、じぶんも翼から飛んでいた。ロープはなかった。
落ちてゆくとき、ロープにぶらさがり、先に下にいたホーキングの唖然とした表情を見た。けど、その表情は口を大きくかけ、歯を見せ、笑顔になった。そこへ手を伸ばした。ホーキングも手を伸ばし、この手を掴んだ。
竜は新しい負荷を与えられ、ついに身体はほとんど斜めになった。方向もかわった。
そして、岩壁に激突した。
いままで生きてきて、聞いたこともないような、すごい音がなった。それは、まるでとんでもなく巨大な、根菜を、棍棒で叩き割るような音だった。
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