第六章 夜明けに落ちる(2)
けれど、いまは自分の問題と向き合っている時間はなかった。銛を回収したホーキングの「戻るぞ!」の一言と動きで、おれもヘルプセルフは浜辺へ向かって走り出す。
身体には、点々と竜の血がはりついていた。さっき感じた竜の体温や感触も、頬や手、素肌に濃く残っていた。
ホーキングは大柄な身体に似合わず足が早い。ヘルプセルフの足も早かった。おれが一番足が遅い。余計なことを考えているとおいてゆかれてしまう。剣を握りしめたまま、必死にふたりの後をついてゆく。
やがて、森を抜け、砂浜へ出た。
「どこかに奴がいるかもしれねえ! 油断はナシだ!」
鬼気迫る様子でホーキングが言い放つ。奴とは、とうぜん、白い竜のことだった。
この島にいる。だとすれば、どこかでおれたちを見ている可能性はある。
けれど、見渡す限り、白い竜はいなかった。砂浜にはヘルプセルフが仕留めた大きな老いた竜の躯と、そこから少し離れた場所で、渡した剣を片手にしたまま、座り込んでいるセロヒキの姿があるだけだった。一瞬、彼が死んでいるのかと思ったが、茫然としているだけだった。
彼に対して、いまは何も思うまいと自身を制した。「セロヒキ、こっち!」と、声をかけると、彼は放心状態の顏で振り返った。「まだ助かるから!」勢いで、おおざっぱな希望を言い放つと、セロヒキは焦燥した顏のまま、うなずき立ちあがる。ホーキングたちはすでに岩場へ向かっていた。ふたりで後を追う。
朝陽は登りきり、見舞われている現実とは不釣り合いなほど、海がきれいに輝いていた。いまさっき、人間を襲った竜がいて、その竜を葬った。その気が遠くなるような血のやり取りなど、無関係に、海は、島は、ただ、きれいにある。
「うそぉ生きてた!」
とたん、行き先で声があがった。すぐにわかった、リスの声だ。
ホーキングとヘルプセルフが立ち止まっていた、その肩越しにみんながいた。そう、みんなだ。ビット、リス、フリント。三人ともずぶぬれの姿だった。こてんぱんにやつけられてしまった姿だった。手にはそれぞれ、得物を持っている。
「まじかぁ! 生きててたのあんたぁ!?」
リスは髪や服の袖から海水をしたたらせながら、生存しているホーキングに対し、驚愕していた。浮かべた表情には芯からの驚きがあり、慄いている。
彼女の驚きが大き過ぎるせいで、こっちからすれば、三人が生きて来たことに驚きたいのに、間合いよく驚く機会を失ったかたちだった。
「ええええ、あんたぜったい死んだと思ってたしぃ! え、うわうわ、生きてるとかってなに!? きゃああ、もう逆に吐きそうだし!」
なぜホーキングが生きていると吐きそうになるのか。よくわからなかったが、いつものリスの世界観を目の当たりにて、ようやく、ここまでの張り詰めた意識が途切れた。知っている日常の一部に戻り、泣きそうだった。
いっぽうで、いまになって自分の呼吸がひどく乱れたままだと気づいた。酸素をむさっていた。動悸は激しく、収まる気配はなく、げんに、呼吸が整いまでには、たぶん、生涯で最も長い時間がかかった。
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