第九章 竜払い 前編(3)

 なんとか海を越え、大陸へ渡る。半月以上ぶりだった。

 浜辺から森に入る。都へ向けて進んだ。まだ、空に浮かぶ陽は高い。夜になる前に森を抜けなければいけない。走りと、歩きの、中間あたりの動きで進む。一度通った道を、記憶が頼りに進んだ。

 竜の気配はない。少なくとも浜辺と、進む森のなかはそうだった。もとより、ここにあたりには人家もないときいた。

 昨日、島から燃えて見えていたのは、この森の先の領域みたいだった。そして、陽が沈む前に、森を抜けた。

 半月以上前に馬車を降りた場所まで戻った。そのあたりの光景は、まったく変化がなかった。着いた頃合いも、馬車を降りた日と同じ、夕方頃だった。そのせいか、一瞬、島での出来事は、すべて幻だったんじゃないかという錯覚に陥った。ぜんぶ、まだ起こってなかったことなんじゃないか。

 その正体は不安から来る何かだ、いらないさ、と雑に振り払い、視線を進行方向へ投げる。都から馬車で半日をかけてやってきた。体感を思い出す、馬車の速度はそれほど早くはなかった。人の足でも続ければ、半日で都までは戻れるはず。

 疲れはあった。けど、昨日の夜、トーコのおかげで少しは眠れた。この身体は、まだ充分使えると思えた。

 感覚としては、道を戻る、そんな感じがあった。馬車でやってきた道を遡る。けれど、戻った先が、もはや、人間の世界ではなくなってるんじゃないか、そんな気の滅入る想像もしたが、屈せずに進む。

 何かが焦げたにおいがしてきたのは道沿いにあった最初の一軒の人家からだった。家と、その周辺が、半分焦げて黒くなっている。空にはもう夜がやってきていた。暗く、だが、半焼した人家周辺から、人の暮らし明りは一点もなかった。それで、おそらく、もうあそこには誰もいないと判断して先へ進んだ。しばらくすると、道の左右で、焼かれた人家が見られるようになった。どれも明りはついていなかった。

 島へ向かう時に見かけた、麦畑一面が焼けているところもあった。ひどく香ばしいにおいもいた。

 人も竜もいなかった。それ以外の生き物にも出会わないまま、ついに完全な夜になった。

 万全ではない月明かりと、島で会得した夜目を使って進み続ける。見た渡す限り、地上には、まったく暮らしの光りがない。みんなどこか隠れていて、けど、竜にみつからないように明りを消しているんじゃないか。想像して、なんとか自身の心を安定させていた。誰も真実を説明してくれない状況では、他に手もない。

 とにかく、静かだった。島の夜も静かだったが、耳を澄ませばいつも波の音が聞こえた。風が揺らす木々の音もあった。虫も鳴いていた。

 けれど、いま、この大陸の静けさは別物だった。何かに大いなる意志によって制御されたように、音そのものが存在しなく思える。あるのは、自分の呼吸音と、かすかな衣擦れぐらいだった。

 疲れを無視して、進み続け、ようやく、村というべきか、小さな町へさしかかった。遠目からでは、やはり、家のいくつかは焦がされ、明りもついていない、そして町から人が消えていた。

 ここまでひたすら移動し続けている。少し休むべきか。

 いや、まだ一度も竜と遭遇していない。それは、夜の闇が味方しているのではないか。だとすれば、ここまま歩を進め続けるべきじゃないか。

 考えていた。すると、静寂のなかに、聴覚がなによりも人間らしい音を拾った。小さいがきこえた、赤ちゃんの、泣き声だった。

 どこだ。立ち止まり、周囲をうかがう。そこは、町のささやかな広場だった。いくつかの露店が営業中の状態のまま放置されている。店先の売り物も荷崩れしたままだった。

 赤ちゃんの泣き声はどこだ。気のせいか、いや。

 その時、上空から別の生き物の鳴き声が聞こえた、竜だ。頭の上を飛んでいる。

 鳴き声から察するに、大きさは、人間の大人と同じくらいか。

 とたん、竜が町へ近づいて来る気配がした。咄嗟に、近くの建物壁へ身を隠す。空にちいさな赤みがかった明り灯った、竜が滑空しながら町へ降ってくる。空の赤みは竜が口に灯した炎だった。

 大きさは予想通りだった。竜は、空から町へ接近すると、一帯の屋根へ目掛け、炎を吐いた。竜としては小規模だが、炎は濃く、強く、ひと時の間、昼ように明るくなった。炎を吐いた場所からして、こちらの存在には気づいてなさそうだった。だとすると。

 目を凝らし状況を確認する。竜が焼いた屋根の家、その裏口の戸が空き、荷物を抱き、親子だろうか、両手の小さな子供を引いて飛び出す者がいた。

 竜にみつからないように逃げようとしている。だが、炎に照らされ、しかも空にいる竜からは姿がまる見えだった。竜は、その人たちの前に着地した。

 背中から剣を抜き、馳せる。他の竜はいない、おそらく、そうだ。確信はなかったが、自身の判断に縋って飛び出す。

 竜は親子の前へ降りると、威嚇するように吼えた。そして、じりじりと迫る。

 一瞬、奇妙な動きをするなと感じた。そう感じながら、竜へ向かう。

 血が沸騰していた、でも、全身の音を殺すことは怠らない。寸前まで竜の死角をとり、その上で最速をもって間合いを詰める。

 親子は怯え、竜に迫られ、後退しようとするが、子供たちが恐怖で動けなくなっている。

 竜が再び吼えた。大きく口を開き、奥歯まで見えた。

 そこで一挙に間合いを詰めた、開いた竜の口を真横に最高と剣を平行に振る。

 炎を吐かれる前に、一撃で決める。

 だが、竜自身が狙ったのか、偶然だったのか、剣が迫ったとき竜が口を閉じた。

 剣を完全に咥えられてしまった。

 いや、で、これはどうなる。不測自体に瞬間、焦りかけた。

 剣を噛んだ時、一瞬、竜の表情がくぐもった気がした。

 なんだ、竜が嫌な気分になっているのか。

 まるで、人間みたいに吐き気をもよおしているようにもみえた。

 そう思ったと同時に、背中からもう一本の剣を抜いていた。とにかく、払う、意志が働いていた。片方の手で竜の首の付け根をありったけの力で叩くように切りつける。すると、狙った場所を、にぶく切れることが出来た。とたん、竜は口から剣を離し、悲鳴のようなものを上げ後退をはじめた。そして、与えたれた傷に驚きながら、じたばたし、必死になって、空へ戻ろうと羽ばたき、なんとか空へ戻り、よろめきながら、どこかへ去っていった。

 なんだったんだいまのは。竜はその場から消えたが、あの竜の表情の変化が気になってしかたない。

 けど、そのまえに親子だ。

 振り返ると、そこにいたのは小さな子供ふたりと、手をつなぎながら、赤ちゃんを胸に抱えた若い男がいる。

「だいじょうぶですか」

 訊ねると、若い男は、放心状態のまま、何度かうなずいた。

 すると、燃えていない家の戸があいた。そして、若い女性が「あなた、こっち早く!」と叫んだ。

 声の大きさを気にして、あたりを確認したが、別の竜もいなさそうだった。その間に、若い男は、おれの方を気にして、なにか言いたげな表情をしながらも、急いで女性が呼んだ家の方へ向かい、戸のなかへ隠れていった。

 そこまで見届けると両方の剣を背中へ収めて、おれは道へ戻った。

 休息はなしだ、先へ進むと決める。これから通過するいくつの場所で、これがあるかわからない。進むんだ、頭のなかで唱えたのか、実際に口にしたのかは、わからなくなっていた。

 町を離れ、しばらくゆくと、ぽつんと建った家屋を、さっきと似たような小型の竜が口から放った炎で焼いているところに出くわした。慌ただしく戸があいて、鞄を抱えた中年の男が丘の方へ走ってにげ出した。丘は道からは反対にある、竜は男を追いかけ、回り込む。男はその場で腰を抜かし、動けなくなった。

 ふたたび背中から外して、竜に気づかれない闇に乗じる。竜は男を威嚇するように吼えて迫っていた。その場から男は動けなくなっている。

 竜の背後へ回り込むと、背中から羽根の付け根を切りつけた。中盤の手ごたえで、傷は深からず、浅からずの傷を与えると、竜は急速な動きで振り返る、その際、尖った翼の先が、頬をかすめて傷を負った。

 目に当たらなくてよかった、幸運を思う、すると竜は大きく口を開き、炎を吐こうとした。瞬間のなかでもう一度あれを、と考え、その口へ剣を当あてがう、竜は反射的に剣を噛んだ、とたん、同じだった。さっきの竜と同じように、剣を噛んだ竜が、まるで吐き気をもよおしたように、動きを濁らせた。背中から一本の剣を背中から抜いて、切る、片足を足を狙った。竜の足へ剣先が入る、血が散って、顏にかかった。竜は立てなくなり、その場に地面を揺らして伏す。

「逃げてください」

 おれが言うと、男は鞄を抱え、どこかへ走ってゆく。

 竜は戦意を喪失して、足を引きずりながら、遠ざかっていった。それをある程度、見届けてから、剣を収めて顏を手で拭うと、ぬめりがあった。闇夜のせいで、自分の血か竜の血かがわからない。疲れのせいか、鼻も万全には機能してくれていなかった。

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