第五章 いまを奪い続けるもの(5)

「こども時代はこの世界が楽園だと思っていた。そんなのんきなガキだったよ」

 はじめにホーキングはそういった。

「俺の目が片方なくなった時の話をしとくぜ、白い竜にやられた時の話だ」

 人の過去を悪戯に詮索したりはしない、みんな、そういう人たちだった。でも、気にはなっていた。好奇心といってしまえば、それも確実に入っていた。

「つまり俺のこども時代はどうしようもなく、幸運だった。小さ町に住んでたが、親も、友だちもいた。たいしたものを食っていたわけじゃねえが、それでも食うに困ったことはねえ。小さいがいい町だった。はっきりと覚えてる、十歳ぐらいの時さ。町に見世物小屋がやってきた、あの町じゃ、年に二回、大きな祭りがあった、春と秋。その見世物小屋の一座をやってる一族ってのは、年に一度、毎年秋だ、俺の住む町にやってきてた。いいや、まあ、見世物ってもあれさ、ちょっとした演劇つーか、そんなたいそうなもんじゃねえ。が、まあ、こどもにとっちゃ、見てて楽しくてたまらないやつさ。俺も大好きだった、英雄物語ってのをやったり、そうだな、竜にさらわれたお姫様が高い塔に閉じ込められて、助け出す、とか、そういうんだ。俺の住む地方じゃあ、いないような動物ってのも、よく見せてくれた。不思議な模様の鳥とか、小さい猿とかさ。年に一度、町に、外の世界をありったけ持ち込んでくれる人たちだった。一族には俺と同じようなこどももいた。俺と同じ歳くらいのこどもだよ、働いてたよ。そこにかわいい子がいた。俺と歳はそんなに変わらない。いやあ、はは、つまり、その時見たばかりで舞台でお姫様をやってた子だ、竜にさらわれたお姫様役だよ。で、しかしまあ、なんつーか、俺もこどもながら、照れがねーつうか、その子と仲良くなりたくて、あれこれとしょぼい作戦を考えて、近づいてって、で、なんだかかんだやってみるもんでさ、奇跡が起きた、俺は、彼女と、ともだち、ってのになれた。ほんと、かわいい子だったよ」

 ありきたりだけど、ホーキングの十歳の頃が、いまの彼の熊みたいな外見からだと、想像できなかった。どんな少年だったんだろうか。

 そういえば、ビットは十歳だ。思い出して彼を見る。彼には失礼かもしれないけど、まだまだ子供にしかみえない。

「忘れもしない、その子の名前はレレン。彼女と話せて、俺は、浮かれたし、のぼせた。しかも、まだお姫様の衣装を着たままで。はは、俺もよせばいいのに、町の景色の場所へ案内なんてしてな。考えてみろ、彼女は旅暮らしだ。あんな町でいちばん景色なんかより、よそでもっとスゲェの見てるはずだ。それでも、彼女は喜んでみせてくれた。でもって、次の日になって、また来年ってことになっちまう。必ずと来るとは彼女もいわなかったけどな、たぶん、来るとか、その程度だ。で、俺は彼女に会えることを一年間ずっと願ってた。はは、ついでにこの深刻なほど恥ずかしい告白もしとくぜ、竜払いになろうって決めたのは、彼女の芝居を見たからだ。彼女が竜から救われるって、れいの芝居さ。まあ、きっかけは、どう探したってあれだった」

 ホーキングは苦笑していた。

「レレンの一座は次の年もやってきた。そりゃあ、俺は喜んださ。一座にはレレンもいた、かわいかった彼女は、一年できれいになってた、驚いた。彼女が俺のことを覚えてたときは、気絶しそうになったよ。ただ、ちょいとな、彼女に変化が起こっていた、目さ、視力がさ、ほとんどなくなりかけていた、病気なんだろうって、そういわれた、それも微笑みながらだよ、スゲぇよな。彼女はまるで変わってなかった、明るいんだ。目はあまり見えなくても、舞台の大きさは覚えてるから、ここでなら自由になんでもできるんだって、そんなこといってまた微笑んだ。やつけられちまったよ。しあわせなことに、祭りでの見世物が終わった後、レレンはまた俺と会ってくれた。彼女はまた笑いながら旅先の色んな話をしてくれた。そして、あの夜だ、彼女は最後に秘密を見せてくれた。彼女は白い竜を育てていた」

 ああ、出て来た。

 白い竜だ。

 でも、育ててたって、なんだ。人が竜を育てる。そんな話、聞いたこともない。不可能だろう、竜は決して人に懐かない。人はいままで竜を手懐けようよして、何度も酷いめにあってきた。命を落とした者、すべて焼かれてしまった町。

 竜を育てていた。無理だ、絶対に無理だ。

 けれど、じゃあ、いったい、この話はどうなるんだろう。ただ聞き入っていた。

「育ててた、っつても。小さい竜だった。小鳥ぐらいのな、真っ白な竜だ、目は赤かった。彼女はそいつを鳥かごの中で育てていた。親にも、兄妹にも、一座の誰にも言わずに育てていた。彼女はその白い竜をどこかの森で拾っただといった。なあ、この中の何人かは知ってるはずだろ? 竜は人に懐かない、飼われることはない。将来は竜払いになろうって粋がってた俺だ、そのくらいの事は知っていた。その小さな白い竜は、鳥かごのなかで静かにしていた。目は血みたいに赤かった。レレンはあいつに名前をつけたが、おぼえてねえ。彼女が指先を鳥かごに入れて呼ぶと、竜は彼女の指先をつついた」

 ありえない。竜が人にすり寄る。

「御伽噺みたいに聞こえるだろ」

 思ったことを見切りように、ホーキングが言う。それから、続けた。

「レレンはあの白い竜を可愛がってた。でも、俺は違った、ヤツはまだ小さい、小鳥みたいな大きさだったが、あの赤い目で見られたとき、俺は死にそうなほど怖かった。とはいえ、レレンのそばにはいたかった。一年間、願いに願った再会だ、がんばってその場に留まったよ。当たり前だが、翌日、レレンたちは町を後にした。俺はレレンを見送った、でかい声で呼んで見送った、声の方に向かって彼女は微笑んで手を振って返した。で、また、レレンを想う日々が始まった。ところが今回は、あの竜も気になってしかたねえ。奴をレレンから切り離さなきゃならねえ。本気で竜払いに成ることにしたのは、十二の夏だった。ある竜払い弟子になった。その後は、なんだかんだでレレンと会うこともなく、五年が過ぎた。俺もなんとか竜の骨で出来た剣を手に入れて、いっぱしの竜払い気分になっていた。なんつーかな、面白くてしかたなかった、もちろん、いつだって竜を払うのは命懸けさ。けど、竜と遣り合うのがたのしくてたまらなかった、とにかくそういう時期だった。そして、その頃、レレンと再会した。再会したのは、彼女の結婚式前日だ」

「あ」と、リスが声を漏らした。

 それから、他のみんなと同じように静まった。

「たまたま竜払いの仕事の帰りに寄った町でレレンに再会した。彼女の目はもうほとんど見えなくなっていた、けど、彼女は彼女のままだった。俺の声をきいて、彼女から俺に気がついた。俺からじゃとても気づけなかった、なにしろ、そう、なにしろ、彼女は、レレンは、むかし見たときより、もっときれいになっていた。彼女は明日、この町の男と結婚するんだと俺に話した、史上最高に嬉しそうな顏でな、笑顔で。複雑な心境ってやつだったよ。でも、目の前には、幸せそうなレレンだ、ならいいか、って思うようにしたさ。せっかくだし、結婚式も見に来て欲しいと頼まれた。親とか兄弟たちは、あいかわらず、見世物をして旅をしてるから、新婦側の参加者として来て欲しいって。ちきしょう、むちゃくちゃ言いやがる、はは、しかし、やりづれぇが、いい思い出になるかも、っとか、考えた。複雑な心境だったが、彼女の花嫁姿も見てみてえ、ってとか思ったしな」

 おれは勝手に、そのレレンという人を想像していた。

「当日、真っ白な花嫁衣装を来たレレンが姿を現わした、そいつは俺がいままでこの世界で見て来たもののなによりもきれいだった、いちばんだったよ。はは、ああ、この世界は捨てたもんじゃないなぁ、っけ、はは、まあいいさ、彼女が幸せなら、そうだ、いいさ、正直、そう言い聞かせもしたさ。いや、とうぜん、俺も負け犬の遠吠えをきっちりやったさ《幸せになれよぉ!》ってな」

 ホーキングは吠えた、きっと、その日と同じ大きさで、同じ本当の願いを込めて。

「そこに奴がやってきた、白い竜だ。空から来たんだ」

「だめ」

 と、リスがいった。

「奴は数年前に見たときより、とんでもなくでかくなってやがった」

 なぜ、とただその疑問を頭のなかでつぶやいていた。

「空からやってきた奴は、まるで人間みてえに、はっきりと《レレン》って、彼女の名を呼んだ後、彼女を殺した」

 どんな風にやったのか。言わなかったのか、言えなかったのか。それはわからない、ただ、ホーキングは、殺した、とだけいった。

「それから炎を吐いてあたりを焼いた」

 なぜ。

 また、同じことを頭のなかでつぶやいていた。

「俺は剣を抜いて向かってったよ。恐怖とか、そんなもんを感じてられるほど余裕なんてなかった。とにかく向かってった。すると、奴と目が合った、あの赤い目だ。そして、そしてだ、奴が炎を吐いた、それが普通の竜の炎じゃなかった、まるで弾丸みたいな、赤い光りの線が真っ直ぐに飛んできて、正確に俺の左目だけを焼いた。《やった、狙い通りあたったぞ》奴がそう思って笑ったように見えた、ところが奴にとっては誤算だった、目をつぶされても狂った俺がかまわず向かってって、そのまま剣で喉を真横に切った、入りは浅かった。けど、奴はそれで逃げてった、来た時と同じ空へ還ってった」

 白い竜にあるという、喉の傷はそのときのものか。

「白い竜がどこかに消えて悪夢だけが地上に残ってた。さすがにあれはだめだ、あんなのだけはだめだ。あんな光景、この世にあっちゃなんねえ、こえたよ。焼かれた結婚式の片づけを手伝った、茫然としたままだ。あれを、俺は一生乗り越えられねえ」

 いまもまだ、その光景のまえに立っているような言い方だった。

「奴を切った剣は折れてた。そのあと、海に行って捨てたよ、それからとにかく怖くなった。どうしようもなく怖くなった。それで鯨捕りになった、竜は海の上までは来れないかならな、たまたまその時、港に来てた船が捕鯨船だったってこともある、もう大陸では生きたくなかった。ここで生きて、またあんなことがあるといけねえ、って思ってさ。そっからは十年間、鯨を捕り続けた、ずっと海の上だ。たまに陸にあがると、しんどくてたまらなかった、海に戻りたくなった。陸にあがるたび、その繰り返しだった」

「じゃあ、なんで竜払いに戻ったの」

 急くようにリスが問う。

 みんなホーキングから目を離さない。

 彼は炎を見ていた。

「はは、つまりよぉ、情なかったってだけのことさ。俺はぁ、十年かけて、ようやく、あの白い竜を殺そうと決めたんだ。奴を殺すために動き出す、それを決めるためだけに、人生の十年間を使ったんだ。十年かけなきゃ決められない男だったってことだ、はは。決断力の欠如ってやつさ。けど、もう決めた、やるさ。ああ、俺はやってやるのさ。そう決めて竜払いに戻った。そう決めて戻ったくせに、だ。じつは最近まで奴を本気で探そうとはしてなかったらしい、いい加減な奴さ。勝手に想像してたんだ、いや、もうどうせ、あの白い竜はどこかで、誰かに始末されてるさ、そう思おうとしていた。それにさ、運良く、お前たちにも会えたしな」

 ホーキングはリスとおれを見た。

「お前さんたちといて、どたばたやって、うまくいかないときもあって、まるで新人の竜払いに戻った気分だった。新品の人生になった気分さ。だからさ、このままそれなり愉快にやってくのも、けっこうなもんなんじゃないか、って、感じてた。その矢先さ、ビット、おまえさんがあの店にやってきた」

 名前を口にされ、ビットが申し訳なさそうな表情をした。

「いやはや、しかし俺も大したことないったらねえよなぁ!」

 けど、そんなビットに気負わせないようにするかのように、ホーキングの口調は馬鹿に快活だった。

「店で奴の話をきいて、見事の動揺しちまいやがってんだ。これっぽちも覚悟が出来てないでやんのさ、はは、しょぼいでやんの、人としてな。けれど、まあ、来たさ。こうして、いまここに来たさ、おまえさんたちにもこうして話をしてる。誰にも話すつもりもなかった話をしている。想像もしてなかった未来にいるんだ。いま、こうやって明日にも奴を仕留める未来にいる」

 ホーキングは自身へ言い聞かせている、それは自己暗示にもみえて、少し危険な印象も受けた。おれはホーキングのことは信じている、今日まで不毛な大騒ぎもしながら、一緒にやってきた。今日までの彼を知っている、知っているから、彼を信じるに値する人だと思っている。けれど、もちろん、完璧な人間じゃない。いや、完璧な人間なんていない。

「というわさ、これが俺の白い竜のとの話だ。俺の左目がこうなっている理由さ」

 静まるみんなを、道化めいたしゃべりかたで、ホーキングは底上げしようとした。

「奴は光り矢みたいな炎を放つ、気をつけろ」

「なんで」

 ふと、リスが問いかける。

「なんで、白い竜は彼女の結婚式を襲ったの」

 話のなかで、ホーキングはその理由は語っていなかった。彼もわからないのか、あえて避けたのか。

 いずれにしろ、俺は暗黙のうちに聞かないようにしていた。

 けれど、リスは踏込んだ。

「たのしいからだろうな」

 ホーキングのそう回答し、それから続けた。

「レレンを殺した後、奴が笑いやがった」

 竜が笑う。きいて、想像して、一瞬、呼吸が止まりかけた。

「まるで人間みたいな笑い方だった」

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