第七章 ある、限りは(3)

 それから荷物をまとめはじめ、いまに至る。

 その荷物の準備も終わった。

「姉さん」ビットは、彼女のそばにゆき、表情に決心を持ち込みながら訊ねた。「ほかの島のひとは………」

 たしか、ビットがこの島を出る三か月前の時点で、すでにかなりの数の犠牲者が出たといっていた。

 彼女は顏を左右にふった。

「七人だけ」

 そういった。ビットは「え」と、声を漏らした。

「残ってるのは、わたしを入れて七人。ぜんぶ、こどもだけ」

 傍で聞いていて、呼吸が止まりそうになった。そういえば、ビットが島を出たとき、この島に人は何人いたんだ。とても聞けなかった。

 他のみんなも、きっと、最悪の気持ちそうだった。気が沈んでいるのがわかる。

「七人………なの?」

 衝撃的な数だったんだろう。ビットはその場に、ゆっくりと座り込んだ。安易にかけられる言葉もみつからず、立ち尽くしてしまう。そこにいる、誰もが、手立てを失ったように動きをとめていた。ビットはじっと地面一点をみつめていた。生気が一瞬で消えている。旅に時間をかけ過ぎた。けれど、それはしかたがない。助けを求めた竜払いたちが断りつづけたからだ。だから、しかたない。旅が長くなり過ぎたのはしかたがない。それでも、しかたがない、だけでは、乗り越えられるはずもない。現実があまりにも重い。

 ホーキングが動いた。彼はビットの手の肩を乗せた。

「ビット、移動しよう。やりづれえだろうが、それでもいつかは立て歩くしかねえんだ」

 彼がビットにかけた言葉が、いまかけるに相応しい言葉だったかどうかなんか、わかるはずもなかった。それでもビットは「はい」と、返事をし、自力で立ちあがった。

 その様子をビットの姉さんは、悲しげな表情でみていた。

 手分けして物資を背負い、一列になって移動をはじめる。あたりまえだけど、ビットの姉さんには何も背負わせない。彼女の案内で、生き残ったこどもたちの待つ家まで向かった。島で唯一、まともに残っている家らしい。それだけきいて、島全体がどういう状態なのか、想像するもの気が狂いそうだった。なんとなく、おれが列の最後を歩いた。岩場を進み終え、砂浜に出る、ヘルプセルフの仕留めた竜の亡骸がみえた。生命が潰えた竜は目をあけたまま、そこにいた。あのとき砂浜にいなかった者たちは、砂浜に崩れている竜を目にして一瞬して、ぎょっとした。リスがおれの方を向いて「げ、なにあれ、事件じゃん………」と、慄きながら聞いてきたので「ヘルプセルフが倒したんだ」と伝えた。リスはきょとんと表情で「うそ、優秀だったんだね、あいつ」といった。

 そこにある竜の亡骸をヘルプセルフとおれは一瞥くらいしかしなかった。セロヒキは顏を伏せ気味に通り過ぎた。

 そのまま砂浜をまるまる横断した。相変わらず、海に反射した陽の光りが眩しい。この島に向かい側に、大陸がはっきりと見える。ビットが言っていた通り、波は夜明け前より、高く、強くなっていた。向こうの大陸まで距離はそれほどないかもしれないが、いまの波の状態のなかを、今朝の小船で渡るには、勇気だけでは到底無理そうだった。考えているうちに砂浜が終わり、草原に広がる小さな丘をのぼる、道が頂上まで続いていた。ふと、振り返ると、砂浜に竜が落ちている光景があった。

 きっとみんな、ビットの姉さんから島のことをいろいろ聞いて知りたかった。でも、憔悴した彼女へ問いかけることをみんな自制している。聞くのはいまではない、そんな感じだった。

 かも思っていると、リスが列からはみ出て、小回りを利かせて、一番前へいった。草食系の小動物の挙動めいていた。彼女は先頭をゆくビットの姉さんの隣へついた。

 ビットの姉さんは、瞬きしながらリスを見返す。

「あのさ、必要なものとか、いま欲しいものあるなら言ってよね。あたし、いろいろもってきたから」

 リスはどちらかといえば、目を合わさず、まえを向いたままそういった。

「でさ」そして、自分の都合で話を変えてゆく。「あたし、リス、リスって名前ね。ほかはー」

 と、語尾を伸ばしながら列を振り返った。だが、すぐにまえを向いた。

「ほかは、まあ、てきとーでいいよ。おい、とか、そこのお前ぇ、とか、雑に呼んでいいから。でさ、あなた、あなただ。ええっと、ビットのお姉さん………でしょ?」

 問われると、彼女は「はい」と返事をしてうなずいた。

「名前おしえてよ、あなたの」

「わたしは、トーコ」

「トーコ」と、リスは復唱し、あさっての方向を見て「トーコ………トーコ………」やがて呪文のように繰り返す。

 そうか、彼女の名前はトーコというのか。はからずも彼女の名前を知ることができて、小さく喜んでる自身があった。

「はい………」

 なんなくだろう。ビットの姉さん、トーコはまた返事をした。

「トーコ、トーコ」リスは繰り返し名を口にし続けていた。やがて、覚えたのか「そっか」と、うなずき、手を差し伸べる。トーコが不思議そうな表情をしたが、反射的にだろう、手を握り返し、握手が完成するとリスは「じゃ、また」と、いって、握手を終わらせ、また、れいの草食系の小動物めいた動きで、列のもとの位置へ戻る。

 戻って来たリスはどこか満足げな表情を浮かべていた。

 けど、トーコか。それが彼女の名前か。トーコ。

 トーコ、トーコ、トーコ。

 つられたのか、おれも頭のなかで繰り返し名を呼んでしまっている。

 丘を越える。道の先には、黒い場所が見えた。すぐに、竜の炎で焼かれたのだとわかった。建物のあとも点々とみえる、かつて村だったのかもしれない。

 ビットは動揺していなかった。つらそうな表情をしていたが落ち着いている。知っている景色なんだろう。村と思しきあの場所がああなったのはビットが島にいる間に起こった出来事なのかもしれない。もちろんはじめて目にする者にはかなりきつかった。おそらくビットが落ち着いているおかけで、頭がおかしくならず、抑止がきけている。他のみんなはどう感じているんだろうか。つい、人の反応をみて、気持ちの置き場所の参考にしようとしてしまう。

「ビットの姉さん、さ」

 ホーキングが彼女へ声をかけた。

「俺はホーキング、ビットと一緒に旅をしてここまできた。まあ、ここにいるみんなそうだがな」

 彼はまず挨拶した。

「いいかい、もう一度だけ確認させてくれ。俺たちは奴を始末するためにここまで来たんだ。だからさ、こいつは、かなり大事なことってわけでさ、その、どうにも出来ない気分ってのがあって、だからつまり、また聞いちまうんだが、白い竜はもうこの島にはいないんだよな?」

 きかれた彼女は、振り返り「はい」という返事を添えてうなずいてみせた。

「飛んで行った、って、さっき言ってたよな。大陸の方へ」

 問いを投げながら、ホーキングは大陸の方を向いた。ここからは海の向こうにある大陸がよくみえる。今日の夜明け前まではいた場所だった。そして、おれたちが倒そうとした白い竜はいまあの大陸にいる。そんなこと知るはずもなく、夜明け前まで、おれたちは白い竜と同じ土を踏んでいたことになり、それを考えて、落ち着けなくなってきた。

「はい」

 彼女はまた、返事をしてうなずいた。

 すると、ホーキングは数秒ほど、言葉を選ぶような表情で黙り込み、やがて、顏をあげた。

「ビットの姉さん、きみが知ってるわけねえかもしれないが、それでも、もしかしたらってことで、きいてみるぜ。奴は、白い竜はどうしてこの島からあっちの大陸へ移ったんだ。なにか理由に心当たりがあったりするかい」

 それはホーキングらしく、なりに、今日まであまりに身心に傷つき過ぎた彼女に対して、できるかぎり柔らかく聞こうしていた。ほんとは、いまそんなことを聞くのは酷なのはわかっている。彼女の回復を優先したい。けれど、ホーキングは、数秒でも早く、白い竜を仕留めたいんだろう。放っておけば、悲しいめに会う人が増え続ける。この島の状況をその目で見て、よけいそう思ったのかもしれない。

「知っています」

 と、彼女がはっきり答えたとき、みんなの心が一緒ざわついたのがわかった。

「あの竜は私にいいました、この島は、この海で最も端にあって………端にあるから………」そこまでいって、彼女は言葉が少しの間、途絶えた。それから立ち止まり「《はじめはこの島からだ》って、いったんです」そういった。

 きっと、その話を竜から聞かされた時の記憶を思い出すことは、彼女にとって、強い負荷もかかるだろう。もういいですよ、そう言いたい気持ちがあった。でも、どうしても知らなければならないという心の方が勝ってしまい、口にすることができない、そのまま彼女を残酷めに会わせてしまう。いま、おれはたぶん悪のかたちをしていた、それはわかっていた。けれど、それでも、やっぱり、おれたちはそれを知らなければいけなかった。なるべく早く知る必要があった。

「あの竜はこの海の端から端まで大陸をひとつずつ焼いていくんだって言いました。この島は、この海では最も端にあって、ここからはじめないと、すべて焼いたことにならないから、この島に来たって。はじまりなんだって」

 おれがじっと彼女を見ていたせいだろうか、彼女はしゃべり、最後の方は、おれの目を見ていた。悲しい眼をしていた。疲れ切っていた。きれいだった。

 それから彼女は視線を外す。風が吹いて、あたりの草原を揺らした。目につく生き物といえば、おれたちしかいない。

「私はその話を聞かされるために生かされました、はじめから最後までを知る者が欲しいからだって」

 つまり。いや、まずは心を鎮めろ。いいや、だめだ、こんなの鎮まりやしない。つまり、だってつまり白い竜は。

「つまり」 

 ホーキングがいった。

「ビットたちのこの島は、ただ奴の気分だけであそばれたわけじゃなかったのか」

 淡々とした口調だったが、彼が怒りを押さていた。

 それから彼女は言った。

「あの白い竜はこの海に浮かぶ大陸を端から端まで順番にすべての人を焼いていく気なんです」

 きかされたとき、みんなの気が、いっせいに振動した。暗転して、別の世界に放り込まれた気分だった。しかも、そこは難しい世界だった。

 これは長引く。とっさにそう思ったとき、道の向こう側から声がきこえた。目を向けると、ビットより少しだけ歳下らしいこどもが走って来る姿だった。たぶん、女の子で、ひとりだった。全速力で駆け寄ってくる。

「アンだ!」

 ビットがおおきく目をひらき、こぼすようにいった。

「島のこどもです」すると、トーコが「家にいるようにいったのに」そうつづけた。

 そのまま、そこでみんなで近づいてくる女の子を待った。やってきた女の子は、息をきらし、みんなの前に立った。幼いながら意思の強そうな顔立ちをしていて、手には煉瓦を持っていた。いざというときは、それを竜か、それ以外の何かにもぶつけて戦うつもりだったらしい。

 アンと呼ばれた少女は、見慣れないおれたちを前にして、止まった。すると、トーコは彼女へ伝えた。

「この人たちは、竜払いの人たち。私たちを助けに来てくれた」

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