第6話 関東大震災(一)

 一九二三年九月一日、帝都を未曾有の巨大地震が襲った。


 陸の上の出来事とはいえ、さすがに帝国海軍も無関係というわけにはいかず、可能な限りの救援活動を行った。

 そして、大勢の人間を救った、はずだった。

 それでも、なにかしら無力感のようなものが帝国海軍の将兵の間に漂っている。

 それは、自然の脅威に対するものではなく、もっと何か出来ることがあったのではないか、あるいは救えた命があったのではないかという、悔悟にも似た感情だった。


 そのような状況のなか、地震の爪痕がいまだ生々しく残る会議室で時の海軍大臣は震災調査をしていた部下から受け取った報告書に目を通していた。

 様々な事が記してある。

 海軍大臣はある程度は心の準備をしていたつもりだったが、それでも頭の痛い問題の羅列に気が滅入ってくるのを自覚する。

 かといって放置しておくわけにも行かない。

 目の前の部下に確認をとる。


 「やはり、今回の地震の被害を大きくしたのは火災か」


 「はい。揺れによる直接的な家屋の倒壊ならびに破壊も相当数ありましたが、何より被害を甚大なものにしたのはその後に起こった火災です。紙と木の家で出来た帝都はまさに可燃物の固まりでした」


 「それを貴官は船に見立てたわけか」


 「人としての良心にもとる、あるいは不謹慎なのは承知しております。ですが、やはり看過するわけにはまいりません」


 「いや、別にそうは思わんよ。私とて目の前に転がっている苦い教訓を無視して素通りにできるほど愚かではないつもりだ」


 いささか恐縮気味の部下に気にするなと言葉をかけ海軍大臣は続ける。


 「それで、もしこれが軍艦で起こればとんでもないことになるということか」


 「はい。足場のしっかりした陸の上でさえ消火活動と救難活動は困難を極めました。もしこれが海上の、しかも仮に戦闘中であったとすれば絶望的な状況が現出するでしょう。それに帝都と違って軍艦は可燃物だけではありません。砲弾や魚雷、それに爆雷といった爆発物が艦内にはそれこそ山積みになっています」


 「そうだな。軍艦の場合だと火災が発生するのはそのほとんどが戦闘によるものだろう。敵の砲撃を前にしての消火活動はさぞたいへんだろうな」


 海軍大臣は日本海海戦で起こった船火事に思いをはせる。

 彼自身は日露戦争においては大本営で作戦参謀を務めていたので海戦の場には居合わせなかったものの、それでも多くの者からその凄惨を伝え聞いている。


 「おっしゃる通りです。それに船の場合でしたら同時に浸水が起こるかもしれません」


 「下は水責め、上は灼熱地獄か。船乗りにとっては想像もしたくない状況だ」


 「ですから艦内にあるすべての物の不燃化、あるいは難燃化対策を進めるとともに被害応急のための装置や設備の強化、それに将兵の教育と訓練もまた早急に取り組まなければならないと考えます」


 「確かにな。ただ、我が帝国海軍将兵は命中率の向上のためならどんな努力も惜しみなくやるが、それ以外のことだと結構気が抜けている節があるからなあ。昔の自分を振り返ればあまり人のことを偉そうには言えんが」


 海軍大臣は自省を込めた相槌をうつとともに部下に先を促す。


 「加えて、被害時における指揮通信の問題があります。先日の大地震では被害が広範囲に及んだため、目の前の状況以外はまったくと言っていいほどに何も分かりませんでした。もし、これと同じことが軍艦の中で起これば、極めて危険な状況に陥ります」


 「そうだな。どこでどのような被害が発生しているのか分からなければ指揮官としても指示の出しようが無いからな。帝都では電話線の被膜が燃えてしまったことで情報が寸断されてしまった。そのことで必要なことが何もわからず、救援活動に大きな支障をきたした」


 関東大震災では一〇万人を超える死者・行方不明者を出したが、もし最善の救援活動が行えていたら、少なくない者を助けられたはずだ。

 そのことに、悔悟の念を抱く者は帝国海軍内でも少なくない。


 「はい。その電話線ですが、艦内のものもチェックする必要があります。もし今回燃えた電話線の被膜と同じ素材のものが艦内でも使われていたら導火線のように艦内各所に火を運んでしまいます」


 「それと塗料か」


 「はい。帝都にあった建物で塗料が燃えあがったことが原因と思わる延焼が複数個所で確認されています。もし軍艦の塗料がこれらと同じ可燃性のものであれば、火災発生時には致命傷になります」


 「まあ、艦全体に塗りたくった塗料が燃えるものだったらどうしようもないわな。これは最優先で調査だな」


 「はい。それと先程の通信と関連しますが、今回の大震災では当事国の我々よりも早く動いた国があります」


 部下の言を受けた海軍大臣の目に鋭い光が宿る。


 「米国か。確かに救援物資の搬入や医療支援、それに義援金の申し入れと何もかもが迅速だった」


 「その通りです。米国は地震発生の瞬間から民間と軍隊、それに政府間で迅速な情報交換と共有がなされました。陸上ではほとんどの個所が通信途絶に陥っていましたから、おそらく東京湾にいた米国籍の民間船が一報を発したものと思われます。そして、その情報は恐ろしいくらいにスムーズに流れた」


 「我が帝国海軍も日露戦争の教訓から情報通信網の整備にはどこの国よりも一生懸命に取り組んできたつもりだったが、米国はすでに軍内部だけでなく、政府や民間との情報網の整備も進んでいたということだな」


 帝国海軍では情報通信については日本海海戦のこともあり、早い段階でこれが重要視されるようになった。

 だが、一方で日本という国家に関して言えば、まだまだそれは発展途上、あるいはその努力が足りていないということだろう。


 「ええ。彼らは狩猟民族だからということでもないのでしょうが、情報についてはこれに異常なほどに執着し、そしてその価値を知っています」


 「我が国も軍と民間、それに政府との情報通信網の整備を進めろということか」


 「はい。第一次世界大戦ではっきりした通り、これからの戦争は総力戦になるのは間違いのないところです。もはや軍だけで戦争をやる時代ではありません。これからは情報通信にとどまらず、あらゆる分野で民間との幅広い交流とそれに伴う共同開発などが必要となるでしょう」

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