第10話 ロンドン軍縮会議

 一九三〇年、英国で開催されたロンドン海軍軍縮会議において、いまだ日露戦争の戦債返済の負担にあえぐ日本は同会議によって軍事費の削減を実現することに対して積極的な態度であった。

 この会議には戦艦や空母といった主力艦の削減を企図した先のワシントン軍縮会議と同様、日米英仏伊の五大海軍国が参加した。

 しかし、このうち仏伊は条件が折り合わず、部分参加にとどまっている。


 この会議で日本は重巡洋艦の保有比率を米英の半分程度の八隻とされた。

 一方で、軽巡洋艦は米英に対して重巡洋艦と同じく五割、駆逐艦は米英に対して七割、潜水艦は一〇割を確保できるなど、日本側にとってはおおむね満足できる内容だった。

 特に軽巡洋艦の建造枠は二隻の「天龍」型と八隻の「球磨」型を残してもなお三七〇〇〇トン以上残っており、これを利用して海軍は一五・五センチ砲一五門を備えた「最上」型を建造することにしている。

 この「最上」型軽巡洋艦は各国への通告値は九二五〇トンだが、実際には「妙高」型と変わらない排水量を持ち、将来は「妙高」型と同様に二三センチ砲に換装することを前提に建造が進められるはずだった。

 また、帝国海軍は基準排水量六〇〇トン以下の水上戦闘艦艇は制限を受けないという同条約の隙をついて、ある程度の航洋性能を持った五九〇トン級の駆潜艇と掃海艇の能力を併せ持った小型護衛艦艇の整備にも力を入れ、海上交通路を守る護衛戦力の充実を図ることにしている。


 補助艦艇の制限を目指すロンドン会議ではあったが、日本の真の交渉はここからが正念場だった。

 ワシントン条約で戦艦と同じく制限対象とされた空母について、当初案では米英が一三五〇〇〇トン、日本が六七五〇〇トン、仏伊が六〇〇〇〇トンだった。

 第一次世界大戦における航空機の活躍とその脅威をどの国よりも深刻にとらえていた日本は当時、空母においては米英と同等の保有量を主張した。

 もし、仮に空母の保有量で米英に対して劣勢に立たされるのであれば、相手の空母の跳梁を封じることは事実上不可能であり、日本本土を直接攻撃されれば紙と木で出来た日本の家屋はあっという間に燃やし尽くされてしまう

 また、日本の海上交通路を行きかう商船を空母艦載機によって攻撃されれば、日本はさほど間を置かずに干上がってしまうはずだ。

 いくら戦艦を保有していようが、国土が燃やされ物資が入ってこなければ艦隊決戦どころではない。

 それが日本の主張だった。

 しかし、当時の会議では結局は日本側が矛を収める形となり、対米英五割のままで妥協している。

 そして今回、日本はまたしても空母の増勢を要求した。

 ただし、その保有量については従来の一〇割ではなく対米英五割から六割に引き上げろというもので、その代償として戦艦の保有比率を対米英五割のそれから四割に減らしてもよいという提案だった。


 これは米英にとってはたいへん魅力的なものに思えた。

 日本が戦艦の保有比率を五割から四割にするということは、米英の一五隻に対して六隻になるということである。

 新しい「扶桑」型や「長門」型を廃艦にするとは思えないから、その対象となるのは「金剛」型巡洋戦艦の生き残りである「榛名」ならびに「霧島」になるはずだ。

 その「金剛」型巡洋戦艦は防御力にこそ難があるものの、高速ゆえに使い勝手がよく、逆に米英からすれば捕捉が困難で極めてやっかいな敵と認識されていた。

 それが、日本の主張を認めるだけでこちらが手をかけずして廃艦に追い込めるのだ。

 もし、実際に日本との戦争になった場合、この「榛名」と「霧島」を沈めることにどれだけの労力がかかるのか分かったものではない。

 そう思えば米英にとっても日本の提案は渡りに船だった。

 それに、空母はしょせんは戦艦を補佐する補助艦艇にしかすぎない。

 そのうえ、日本が米英に対して六割の空母を持ち得たとしても科学力が違いすぎるのだ。

 精密機械の固まりである航空機は、その科学力と工業力の優劣がモロに性能にあらわれる。

 それに、それらを操縦するアジア人搭乗員の能力が白人に優越するとはとても思えない。

 だから、米英の質的優位は微塵も揺らがないはずだ。

 仮に日本が米英と同じ数の空母を保有したとしても工業力や科学力、それに搭乗員の人的能力の見地からみてまったく問題はない。

 六割ならなおのことだ。


 結局、米英はしぶしぶと言ったふぜいで日本の提案を受諾したが、内心では大喜びしていた。

 だから、日本が保有している「鳳翔」と「龍飛」の二隻についても空母から工作艦への艦種変更もすんなりと認めた。

 一方、この軍縮会議で米英からほぼ満額回答を勝ち取った日本の交渉団もまた、この結果にしてやったりと陰でほくそ笑んでいたのだった。

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