第15話 政治

 日露戦争以降、帝国海軍は戦艦や巡洋艦といった大型水上打撃艦艇の充実を後回しとし、海上護衛戦力や各種支援部隊それに情報通信網の整備や医療衛生の向上を図ってきた。

 もちろん、それらと並行して新しい技術の開発や燃料弾薬の備蓄にも力を入れている。

 兵器にとって最も重要な信頼性を担保するための技術、例えば防水や防錆といったスペックに現れにくい、だが何よりも重要なそれの向上は海軍艦艇や航空機の稼働率を極めて高いものにしていた。

 また、応急指揮装置をはじめとした各種装備も欧米に大きく遅れをとるようなこともなく、一部では凌駕するものさえある。

 帝国海軍を強くするため、なにより御国を守るために先人たちは平時であってさえ粉骨砕身、最善の努力を継続してくれていたのだ。

 だが、それでも人間は完璧ではないし組織もまた同様だ。

 帝国海軍に欠けていたもの、あるいはあえて距離を置いてきたものがあった。

 それは政治だ。


 「軍人は政治に関わらず」


 多くの帝国海軍軍人がこれをモットーに、人によってはそれを美徳とし、軍政に携わる海軍大臣や海軍次官といったごく少数のものだけがこれに関与してきただけだった。

 だが、一方で政治に疎い帝国海軍はその舞台における立ち回りの拙さからやがて帝国陸軍や世論に巻き込まれるようにして満州事変や上海事変、そして日中戦争の泥沼にはまり込んでいく。


 皮肉ではあるが、それでも実戦を経験したがゆえに貴重な戦訓を得ることも多い。

 性能を過信し、戦闘機の護衛をつけずに送り出した九六陸攻は、だがしかし中国戦闘機隊によって大きな損害を被った。

 このことで、海軍内にはびこりつつあった戦闘機無用論の萌芽はこれを完全に摘み取られ、爆撃機に戦闘機の護衛をつけるのは当たり前という意識も生まれる。

 また、漢口空襲では中ソ連合航空隊の奇襲攻撃によって数十機もの飛行機を地上撃破され、その際に幹部をはじめとした海軍航空の発展になくてはならない貴重な人材を多数失った。

 この苦い戦訓によって、従来の聴音機や監視哨による目視よりも遥かに遠方の敵をキャッチできる電波探信儀の研究が加速されるとともに、併せて敵影を確実に捉えそこに戦闘機を誘導するための方策も検討された。

 これらは近い将来において航空管制として結実することになる。


 その漢口空襲をはじめとした大陸における空の戦いは、帝国海軍の戦闘機に対する性能要件にもまた大きな影響を与えていた。

 これまでの格闘性能第一から加速や上昇性能、それに最高速度が重視されるようになったのだ。

 いくら旋回格闘性能が良くても敵機に追いつけなければそれは単なる宝の持ち腐れだ。

 実際、格闘性能抜群の九六式戦闘機がその速度性能の低さゆえにソ連の高速爆撃機を取り逃がす無様を何度も演じている。

 このことを教訓とし、栄発動機かあるいは瑞星発動機を採用する予定だった一二試艦上戦闘機は航続距離や翼面荷重の要件を緩和して金星をその発動機として搭載することにしている。

 また、双発爆撃機だけでなく単発機に対してもその非力を露呈した七・七ミリ機銃に代えて一二・七ミリクラスの機銃の開発あるいは他国製のそれの導入も最優先の検討対象に入っている。

 さらに、一二試艦上戦闘機の発動機変更によって設計陣に余裕が無くなった一四試局地戦闘機は、これを一五試水上戦闘機を開発する予定だった別のメーカーに変更された。

 そのあおりで一五試水上戦闘機の開発はキャンセルされるが、しかし一方でそのメーカーが作った局地戦闘機は、近い将来にその高性能も相まって艦上戦闘機としても運用されることになる。


 それと、中国との戦争における航空戦は、その求められる航空機の性能諸元の方向性を大きく変えた一方で、人材面においてもまた少なからぬ影響を与えていた。

 その一端となったのは、大陸の戦いにおける搭乗員の損耗の激しさであった。

 特に陸攻や飛行艇といた大型機が墜とされた場合は、七人から多い時には一〇人近くを一度に失うこともあった。

 戦闘機のほうは撃墜されても一人で済むが、それでも戦闘機搭乗員の層の薄さを考えれば、こちらのほうもまたダメージは大きい。

 このことで、帝国海軍は必要とされる搭乗員の確保のために練習航空隊を拡充させる。

 どんなに機体が優秀でも、搭乗員の腕が悪ければ航空機は持てるその戦力を十全に発揮することは出来ない。

 逆にいくら腕が良くても、その数が少なければこちらもまた戦力として大きな期待は出来ないだろう。

 だからこそ、搭乗員の大量養成が必要だった。


 さらに、それと並行して無為に搭乗員を失わないための対策も講じられる。

 飛行機は爆撃機や戦闘機を問わず、また飛行艇に関しても可能な限り防弾装備を施し、搭乗員を守るための鋼板や火災を消すための自動消火装置を充実させることにしていた。

 そして、これらの施策は近い将来に生起する未曽有の戦いにおいて、その効果を大いに発揮することになる。

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