第5話 ワシントン軍縮会議
大正一〇年に開催されたワシントン海軍軍縮条約における各国間の会議は喧喧囂囂たる有り様となりはしたものの、それでも戦艦の保有量のほうはすでに米英が五〇万トンに対して日本が二五万トン、それに仏伊がそれぞれ一七万五〇〇〇トンという線でなんとか話がまとまりつつあった。
だがそれとは別に、日本と米英の間で「長門」型戦艦二番艦の「陸奥」について、それが完成しているかあるいは未成なのかを巡って議論が紛糾していた。
この条約では未成艦は廃艦になるとされているが、日本側は「陸奥」がすでに完成されたものだとし、それに対し米英側は未完成だと主張した。
米英にとって「長門」型戦艦は脅威以外の何物でもなかった。
世界のどの戦艦よりも大口径の四〇センチ砲(実際は四一センチ)を搭載し、さらに二三ノットと公表されている速力もその艦型から推測される機関容積を考えれば到底それを真に受けることは出来ない。
実際、欧米の専門家の中には「長門」の速力を二六ノット以上と見積もる者も多かった。
それと、四〇センチ砲を搭載するのであればその防御力もまたそれに対応したものだろう。
攻撃力と防御力、それに速力を加味した総合性能で言えば、「長門」型に対抗出来る戦艦は現時点で米英には一隻も無い。
特に太平洋を挟んで日本と対峙する米国にとって、このような高性能艦が一隻増えるだけでもその軍事的な負担は極めて重いものになることは間違いなかった。
それでも、各国ともに条約の締結こそを最優先とする方針に変わりは無く、結局のところ当事者間における話し合いで日本が「陸奥」を保有できる代わりに米国は後に「ウエストバージニア」ならびに「コロラド」と名付けられる四〇センチ砲搭載戦艦の建造が認められ、英国は二隻の四〇センチ砲搭載戦艦の新造が認められることになった。
「陸奥」の保有が認められた背景には、第一次世界大戦で貸与された「金剛」型巡洋戦艦を二隻も沈められてしまい、そのことで日本に対して負い目のある英国が米国をとりなしてくれたことが大きかった。
それに、英国としては日本の軍備拡大は、それはそのまま米国に対する牽制となるからそれほど悪い話でも無い。
もちろん、日本が英国の植民地に牙を剥いた場合は困ったことになるが、現時点でその可能性はさほど高くはないはずだった。
いずれにせよこの会議がまとまれば、日本が保有出来る戦艦は四〇センチ砲搭載の「長門」と「陸奥」、それに三六センチ砲搭載の「伊勢」と「日向」、それに「山城」と「扶桑」、さらに巡洋戦艦の「榛名」と「霧島」の計八隻となる。
このことで、「河内」型戦艦以前の主力艦はすべて廃艦となるが、それらはそのいずれもがド級戦艦や準ド級戦艦といった古色蒼然とした艦なのでさほど惜しくは無かった。
保有を許された八隻の戦艦については、実際の排水量だけをみれば米英の五割にわずかに満たない数字だった。
だが、それでも四〇センチ砲搭載戦艦の比率では優遇されていると言ってもよかったから、帝国海軍としては上々の結果だった。
その帝国海軍内では主力艦については五割ではなく七割が必要だという声もあった。
しかし、日露戦争ならびに第一次世界大戦の経験から、大艦巨砲が日本にふさわしい軍備であると考える者はすでに少数派だった。
日露戦争における日本海海戦で帝国海軍が勝利したのは艦隊運動や砲術の妙ではなく、単にロシア側が艦艇も人も疲労の極にあったこと、それと日本の艦艇に装備された無線通信を使った連携、いわゆる戦場における情報ネットワークの活用による勝利だということは帝国海軍士官の中では常識であった。
続く第一次世界大戦でも、海軍強国のイギリスを追いつめたのはドイツの戦艦部隊ではなくUボート部隊であったのは歴史が証明するところだし、帝国海軍の研究でも同様の結論が出されている。
だからこそ、欧米に比べて科学技術が遅れている日本はその差を埋めるためにも多額の研究開発費が必要だった。
それに、これからは飛行機や潜水艦といった空中や海中を自在に三次元機動できる新たなる脅威に対する備えも必要だ。
日露戦争でロシア艦隊を反面教師として得ることができた衛生や医療、それに情報や通信の大切さ。
加えて第一次世界大戦で思い知らされた対潜戦闘や船団護衛の困難さ。
これらに対応するための各種学校や訓練施設の新設、さらには護衛艦艇や航空隊の増強も急務だ。
とてもではないが、貧乏海軍としてはそうそう戦艦に金をかけてもいられない。
だから、帝国海軍の上層部は五割海軍と揶揄されようともこの結果には納得していた。
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